23 邪神は封じられたのではないのですか!?


 ジェスロッドの言葉に、ソティアの脳裏をこの国の建国神話がよぎる。


 ローゲンブルグ王国の民なら、幼い子どもでも知っている伝説。


 初代国王が聖獣とともに封印し、数十年ごとに代々の国王が再封印を施しているという人知を超えた恐ろしい存在。


 幼い頃から聞かされた話と、ジェスロッドの緊張をはらんだ横顔、そして何より、先ほど感じた本能が拒否感を示すようなあの感覚……。


「邪神……」


 呟いた声は、自分でも聞き取れないほどにかすれていた。


 だというのに、ジェスロッドの長身がまるで斬りつけられたかのようにかすかに揺らぐ。


 ソティアが見たのは、ソラレイアの足元でうごめくく影だけだ。


 だが、たったそれだけでも、立っているのが困難なほどの悪寒と恐怖に襲われた。


 ソラレイアにとりついたあの影が、誰を狙っていたのかはわからない。


 何より、邪神はほんの十日ほど前に、ジェスロッドがユウェルリースとともに封じたはずだ。


 混乱に襲われながら、ソティアはいても立ってもいられぬ心地で問いを紡ぐ。


「へ、陛下っ、邪神は封じられたのではないのですか!? ですが、あの影は……っ!? ユウェルリース様が邪神に狙われているということなのでしょうか!? 邪神が――、っ!?」


 叫びは唇を押さえたジェスロッドの指先に封じられる。


 そっと指先で唇にふれられただけ。

 なのに、石と化したかのように声が出せなくなる。


「す、すまん! 淑女の唇に触れるなど……」


 焦った声でジェスロッドが謝罪する。同時に唇を押さえていたあたたかな指先が離れた。


 ソティアは思わず唇を押さえる。そこだけがまるで火にあぶられたように、強く熱を持っているようだ。


「邪神は、俺とユウェルが確かに封じた」


 ソティアの不安を融かすかのように、確固たる口調でジェスロッドが告げる。


「いま残っているのは邪神の残滓ざんしと言うべき欠片に過ぎん。それは間違いない。だが……」


 我に返ったソティアが顔を上げると、ジェスロッドと目が合った。その口調が不意に揺れる。


「欠片がどれほどの力を残しているのか、そして邪神の狙いが何なのかは、俺にもまったくわからん。この状態のユウェルがどこまで対抗できるのかも……」


「だーぁ?」


 自分の名前に反応したのか、ユウェルが無邪気な声を上げる。


 まだひとりで立つこともできない小さな身体は無防備この上ない。


 ユウェルリースが狙われているかもしれないという恐怖に、ソティアは無意識にユウェルリースを抱く腕に力をこめる。


「だーぅ!」


 苦しかったのかユウェルリースがじたばたと手足を動かし、ソティアはあわててユウェルリースを抱き直した。


 その手を、ジェスロッドの大きな手に包まれる。ソティアの不安をほどくかのような、あたたかな手のひら。


「大丈夫だ。俺がいる限り、決して邪神に手出しはさせん。そのために――」


 ふと言葉を切ったジェスロッドが王城のほうを振り返る。


 つられてそちらを見たソティアの視界に入ったのは、布に包まれた棒状のものを持って、聖域へと通じる小道を足早に来る金髪の青年の姿だった。


「来たか。俺達も急ぐとしよう」


 ソティアもふたたび歩き出したジェスロッドの一歩後ろをついていく。


 聖域の広さは聖獣の館と周りの庭を含む程度で、さほど広いわけではない。


 もし広大だったら、手入れをする聖獣の館の侍女達が大変だったことだろう。庭師を入れることもできないのだから。


 とはいえ、細やかな庭の手入れにまで人手がけないためか、庭は草木が元気よく茂っている。初夏の陽光に照らされる若々しい緑は、生命力に満ちあふれていた。


 あざやかな緑の中に映えるのは風にかすかに揺れる白いリボンだ。聖域の外縁に沿って杭が打たれ、杭と杭の間に通された白いリボンが境界を示している。


 唯一、リボンが通されていない外へと通じる小道に、ジェスロッドは迷いなく足を踏み出す。


 ユウェルリースを抱くソティアもおっかなびっくり足を踏み出した。


 聖域のこちらと外界で景色が大きく変わるわけではない。


 だが、聖域から足を踏み出した途端、明らかに空気が変わった気配を感じる。


 綺麗に掃除された部屋から、突然、埃っぽい部屋へ移動したたような、そんな気配。


 戸惑いに思わず足を止めたソティアの耳に、明るい声が届いた。


「も〜っ! 陛下ったら人使いが荒いですよ〜っ! って、あれ……?」


 小道を歩む金髪の青年にはソティアも見覚えがある。お世話係の選考の際に面接してくれたエディンスだ。


 ジェスロッドの隣に立つソティアを見ると、エディンスがさらに早足になった。


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