22 聖域から出てもよろしいのですか?
「ソティア嬢。少し待ってくれ」
館の中に入ろうとしたジェスロッドが、玄関周りの掃除をしていた聖獣の館の侍女を見つけて呼び止める。
低い声だったため、何を命じているのかは聞こえなかったが「エディンス」と「聖剣」という単語だけはかろうじて聞き取れた。
一礼した侍女が身を
「待たせてすまなかった」
振り返ったジェスロッドが詫びる。
「いえ、とんでもないことでございます」
ソティアはかぶりを振って、案内のためジェスロッドの先に立って館の扉を押し開けた。
階段を昇り、令嬢達が滞在する部屋が並ぶ二階の廊下を進む。
幸い、廊下に出ている令嬢達はいないが、ジェスロッドが気を失ったソラレイアを横抱きにして歩む姿を見られたら、騒ぎが起こるに違いない。
どうか誰にも会わずに部屋に着けますようにと祈りながら早足に歩いていると、ソティアの祈りを裏切るかのように、不意にマルガレーナが滞在している部屋の扉が開いた。姿を見せたのはマルガレーナ本人だ。
ソラレイアを抱き上げたジェスロッドの姿を見たマルガレーナが目を
「陛下……!? ソラレイア嬢はどうなさったのですか?」
「立ちくらみを起こして、倒れたようだ」
何と答えればよいかソティアが迷っている間に、ジェスロッドが告げる。
確かに、先ほどのソラレイアの様子を話したとしても、すぐには信じてもらえぬだろう。
「それはいけませんわ。あなた達、先に行ってソラレイア嬢の侍女にすぐに休ませる支度を」
部屋の中を振り返ったマルガレーナが、自分の侍女達に命じる。
侍女達があわただしく動き出し、ソティアに代わってごく自然にマルガレーナがジェスロッドを案内する。
ソティアはそっと後ろに下がると、そのあとをついていった。
「へ、陛下……っ!? ソラレイアお嬢様はいったい……っ!?」
ソラレイアの部屋を訪れると、中にいた侍女達がジェスロッドの姿にこぼれんばかりに目を見開いた。
「落ち着きなさい。陛下の御前で見苦しいですわよ? それより、ソラレイア嬢を」
あわてふためくソラレイアの侍女達をマルガレーナが落ち着かせているうちに、ジェスロッドが寝台にソラレイアを横たわらせる。
「朝お話した時はお元気そうでしたのに……。いったいどうなさったのかしら……?」
苦しげに顔をしかめて横たわるソラレイアを見下ろし、寝台のそばへ来たマルガレーナが麗しい面輪に心配そうな表情を浮かべる。
ソティアはソラレイアの身に何が起こったのかこの目で見たものの、うまく説明できる気がしない。
「マルガレーナ嬢。すまんが、しばらくソラレイア嬢についていてもらえるだろうか? もし何か気になることがあれば、俺は聖域を出てすぐそばの建物にいるゆえ、すぐに侍女を遣わせて教えてほしい」
「陛下のご要望とあらば、喜んでお引き受けいたしますわ」
即座に淑やかな笑みで答えたマルガレーナが、まなざしに物問いたげな光を宿す。
「ですが……」
利発な彼女は、いまのジェスロッドの言葉から、ソラレイアが倒れたのは単なる立ちくらみなどではないと気づいたらしい。
ジェスロッドもまた、下手にごまかそうとしなかった。
「ああ。その時になればしっかりと説明すると誓おう」
力強い頷きで応じたジェスロッドが、ソティアを振り返る。
「ソティア嬢。ユウェルと一緒に来てくれ」
「は、はい!」
階段を下り、聖獣の館を出ても、ジェスロッドの歩みは止まらない。
大股で歩く速さは、小走りにならなければおいていかれそうなほどだ。
「だぁーうっ!」
揺れるのが楽しいのか、ユウェルリースが大きな声を上げる。と、我に返ったようにジェスロッドが立ち止まった。かと思うと、即座にソティアのほうへ戻ってくる。
「すまない。考えごとをしていたせいで、つい早足に……っ! ついてくるのが大変だっただろう?」
「い、いえ……っ」
あわててかぶりを振ったが、息が上がっているのはごまかせなかったらしい。ジェスロッドの凛々しい眉が申し訳なさそうにぎゅっと寄る。
「どちらへ行かれるかうかがってもよろしいですか? 先ほど、聖域の外へ行くとおっしゃっていましたが……。そちらに何があるのでしょうか?」
気に病まないでほしいという気持ちを込めて、ソティアから歩き出しながら長身を見上げると、 今度はソティアの歩調に合わせて隣を歩みながら、ジェスロッドが説明してくれた。
「聖域から出てすぐのところに、聖獣の館のための物資を保管しておくちょっとした倉庫があるんだ。そこなら人目に付きにくい。秘書官のエディンスにそこへ来るように伝言を頼んだ。受け取るものがあってな」
「あの、ユウェルリース様は聖域から出てもよろしいのですか……?」
王族でも乙女でもないエディンスは聖域には入れない。ということは、倉庫は聖域の外にあるのだろう。だが、聖域の外へユウェルリースを連れ出してよいのだろうか。
ソティアの腕に抱かれたユウェルリースは、散歩だと思っているのか手足をぱたぱたと動かして喜んでいる。
ジェスロッドの凛々しい横顔を見上げて問うと、ジェスロッドがあっさりと頷いた。
「以前、ユウェルから聞いたが、聖域から出てもユウェル自身に不調が起こったりはせん。だが、ここが聖域たる理由は、聖獣であるユウェルが存在するゆえ。あまり長く不在にすると結界がゆるむため、ユウェルは滅多に出ないのだ。だが、数時間程度なら、何も問題はない。現に、戴冠式の時など、重要な式典の時は聖域から出るからな」
貴族といえど、しがない男爵令嬢でしかないソティアは華やかな式典に出席した経験などない。
本来ならば、国王であるジェスロッドの隣に、ソティアなどがこんな風に立つこと自体、ありえないのだ。
目の前にいるはずなのに、とても遠くにいるような錯覚を感じて凛々しい面輪を見上げていると、ふいにジェスロッドがきつく眉を寄せた。
「いまの状態のユウェルを、聖域から出してもよいのかどうかは、俺にもわからん。だが……。赤ん坊の状態のユウェルを俺の目の届かぬところに置いておきたくないんだ」
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