20 ……そんなに、美味いのか?


「まーぅっ、まーぅっ!」


 もっともっと、と全身を使って要求するユウェルリースの口に、もうひと欠片入れてあげる。


「まぁう~っ!」


「……そんなに、美味いのか?」


 全身で喜びをあらわすユウェルリースの様子を見ていたジェスロッドが、興味深そうに尋ねてくる。


「はい。とてもおいしいです! ユウェルリース様もお気に召したようですね」


 もうひと欠片、ユウェルリースにあげてから、残りを自分の口に入れる。さくさくと軽やかな食感に、バターの風味とたっぷり入った砂糖の甘さがおいしくて、自然と口元がほころぶ。


 というか、緊張するので食べているところをあまりじっと見ないでもらえるとありがたいのだが。


「その……。陛下も召し上がりますか?」


 秘書官が買ってきたと言っていたし、もしかしてジェスロッド自身は食べたことがないのだろうか。


 水を向けると、ジェスロッドが嬉しげに頷く。


「では、一枚もらおうか」


「もちろんです。どうぞ」


 ぱかりとジェスロッドが口を開けると同時に、ソティアがクッキーの木箱を両手で差し出す。


「……」

「……」


 なんとも言えない沈黙が落ちた二人の間を、初夏のさわやかな風が通り過ぎ。


「す、すまんっ! なんとなく、つい……っ!」


「い、いえっ! ユウェルリース様を抱っこしてくださっていますものね……っ!」


 同時に、あたふたと声を上げる。


「わ、私が差し上げても不敬でないのでしたら……」


「もちろんだ。その、もらっても、よいか?」


「は、はい……っ」


 そっと木箱からクッキーを一枚つまみ、おずおずとジェスロッドの口元に持って行く。

 口に入れた拍子に指先が唇をかすめ、その熱さに火傷やけどしたように手を引っ込める。


 さくさくとジェスロッドが真剣な顔でクッキーを咀嚼そしゃくし。


「確かに、これは美味いな。ユウェルが欲しがるのもわかる」


 満足そうな笑みに、ソティアはほっと息を吐き出した。


「まぁーぅっ、まぁうぅ~っ!」


 ユウェルがもっと欲しいと、手足をじたばたさせる。


「ユウェルリース様。あと一枚だけでおしまいですよ。あまり食べてはお昼ごはんを食べられなくなってしまいますからね」


 言い聞かせながら、木箱から取り出したもう一枚を小さく割る。


 いまは赤ん坊の姿をしているユウェルリースはどこまでこちらの言葉を理解しているのか、ソティアにはわからない。


 だが、たとえ言葉の通じない赤ん坊だとしても、ちゃんと説明するべきだとソティアは思っている。実家で弟妹達の面倒をみている時も、同じように声をかけていた。


「ソティア嬢は、もう食べないのか?」


 どことなく残念そうなジェスロッドの問いかけに、「その……」とおずおずと口を開く。


「私が目の前で食べていては、ユウェルリース様ももっと欲しくなることでしょう。陛下さえお許しくださるなら、後で聖獣の館の侍女達とわけあっていただきたいと思っているのですが、よろしいでしょうか?」


 クッキーは木箱にぎっしりと詰まっている。これを独り占めしては申し訳ない。


 首をかしげて問うと、「きみに贈ったのだから、好きにすればいい」と優しい笑みが返ってきた。


「きみが気に入ってくれたというのなら、何よりだ」


「はいっ、とてもおいしかったです。お気遣いいただき、誠にありがとうございました」


 もう一度、丁寧に礼を述べる。


「ご足労をおかけした秘書官様にも、どうぞよろしくお伝えくださいませ」


「あいつには、礼など不要だ。気にすることはない」


 そっけなく告げたジェスロッドが、何かを思い出したように咳払いし、「ところで……」と、緊張した面持ちでソティアを見つめる。


「ひとつ、聞きたいんだが……。その、ソティア嬢は何か欲しいものはあるか?」


「あのっ、それでしたら!」


 昨日、ジェスロッドが何か不足はないかと尋ねてくれていた品のことだろう。

 ソティアのほうから頼むのは気が引けたので、水を向けてくれて助かった。


「ぜひとも、いただきたいものがあるのですけれど、よろしいでしょうか?」


 思わず身を乗り出すと、ジェスロッドの面輪が喜色に輝いた。


「もちろんだとも! 何でも言ってくれ!」


 大きく頷いたジェスロッドの勢いに背中を押されるように、口を開く。


「その、肌触りのよい綿の布をたくさんいただきたいのです。ユウェルリース様も、はいはいができるようになりましたし、もうすぐつかまり立ちも始まることでしょう。そうなれば、いままで以上に活発に動かれるでしょうから、産着ではなく、もっと動きやすい服を縫って差し上げたいと思っておりまして……」


「よし、わかった! 布が必要なら、いくらでも用意しよう!」


 どこか達成感のようなものを感じさせながらジェスロッドが頷く。


「ありがとうございます」


 ほっと一息つき、深々と頭を下げて礼を言う。


「あーぅっ、あーぅ~っ」


 身を起こすと、ジェスロッドに抱っこされたユウェルリースが、ぱち、ぱち、と両手を打ち合わせていた。


 今度はちらちらと降りそそぐ木洩れ日が気になっているらしい。捕まえようとしているのか、真剣な顔で小さな手をぱちぱちと打ち合わせているユウェルリースは可愛いことこの上ない。


 ふと視線を上げると、こちらを見つめるジェスロッドと目があった。


「ソティア嬢……」

「はい」


 ジェスロッドの言葉を待って、じっと黒瑪瑙の瞳を見つ返すと、戸惑ったようにまなざしが揺れた。


「その……」


 しばらく視線を揺らしていたジェスロッドが、意を決したように口を開こうとした瞬間。


「まあっ、陛下! こちらにいらしたのですね!」


 甲高いソラレイア嬢の声に、ソティアとジェスロッドはそろって声のしたほうへ顔を向けた。


 濃い桃色のドレスで華やかに着飾ったソラレイアが、侍女をひとり供にして足早にベンチへ歩み寄ってくる。


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