18 その手に持っているものはおもちゃか?


「すまなかった……。まさか、アルベッドが勝手に聖域に入り込むとは思わず……。驚かせただろう? あいつにはきつく言っておく」


「い、いえっ、お気になさらないでくださいませ……っ」


 ソティアがふるりとかぶりを振ると、ジェスロッドの黒瑪瑙くろめのうの瞳が、険しく細められた。


「ひどくユウェルリースが泣いている声が聞こえたが……。あいつが何かしたのか?」


「あぁう~っ!」


 泣きやんだユウェルリースが何かを訴えようとするようにじたばたとソティアの腕の中で暴れるが、残念ながら何もわからない。


 ジェスロッドのまなざしに気圧けおされ、ごくりと唾を飲み込んだソティアはおどおどと口を開いた。


「そ、その……。ユウェルリース様の癒やしの力は赤ん坊になっても使えるのかと、お尋ねになられました……。私は何もわからないので、その旨をお伝えしてお詫び申し上げたのですが……」


「っ! あいつ……っ!」


 告げた途端、ジェスロッドの凛々しい面輪が強張り、ソティアは思わずびくりと肩を震わせる。ソティアの様子に、ジェスロッドが我に返ったように息を呑んだ。


「す、すまないっ! きみを怯えさせるつもりは……っ!」


「い、いえっ、大丈夫です!」


 あわててふるふるとかぶりを振ると、ジェスロッドがほっとしたように息をつく。と、すぐに気まずげに視線が伏せられた。


「その……。今日は、きみに伝えねばならないことがあって来たんだ……。少し、時間をもらえるか?」


「陛下のお望みとあれば、もちろん否はございませんが……。伝えたいこと、でございますか……?」


 いったい何だろうか。いつも泰然たいぜんとしているジェスロッドが何やら思いわずらっているような様子に、不安で胸がざわつく。


「だが、ここでは落ち着いて話せないな」


 ひとつ吐息したジェスロッドが、立ち上がってひざまずくソティアに手を差し伸べてくれる。


「あ、ありがとうございます……」


 ユウェルリースを抱っこしたまま立ち上がって初めて、ソティアはジェスロッドが小脇に小さな木箱を抱えているのに気がついた。両手のひらを合わせたほどの大きさで、桃色の綺麗なリボンがかけられた木箱だ。


「ソティア嬢、こちらへ来てもらえるか?」


 ユウェルリースを抱っこしたソティアがジェスロッドの後について行くと、連れていかれたのは、昨日もジェスロッドと座って話をしたならの大樹の下のベンチだった。


 初夏のさわやかな風が梢を揺らし、青々とした木々の葉が心地よい音を奏でている。


「そういえば、その手に持っているものは? ユウェルリースのおもちゃか?」


「だぁぅ~っ!」


 ユウェルリースをおんぶするのに使っていたおんぶ紐は、いまはほどいて腕の中に抱えているため、ユウェルリースが端っこを持って嬉しそうにぶんぶんと揺らしている


 ジェスロッドの不思議そうな声に、ソティアは自分の顔が熱くなるのを感じた。


「も、申し訳ございません。見苦しいものを……」


 ジェスロッドの視線から隠そうと、ユウェルリースの小さな手からおんぶ紐を取ろうとするが、意外なほど強い力で握りしめていて、放してくれそうにない。


「実家で、弟妹達の世話をしていた頃に使っていたものなのです。動き出すようになると、なかなか目が離せませんが、おんぶをしている間は心おきなく家事ができるので、重宝しているのです……」


「重くはないのか? 赤ん坊とはいえ、やはりそれなりに重いだろう? ソティア嬢は華奢きゃしゃだというのに……」


 みっともないと叱責されるだろうかと思いながら説明すると、予想もしていなかったことを問われた。


「大丈夫です。ユウェルリース様はまだお小さいですから。弟や妹たちは、三歳くらいまでおんぶしていましたし、それに比べたら軽いものです」


「あぁぅ~っ♪」


 ソティアがおんぶ紐を引っ張るのを遊んでもらっていると思っているのか、ユウェルリースは機嫌よくおんぶ紐を振り回している。先ほどまで大泣きしていたとは思えないほどのいい笑顔だ。


「ユウェルリース様と違って、弟達はあまり寝つきがよくなくて……。おんぶをして寝つくまで歩き回っていましたから……」


 あの頃は、どうしてこんなに寝てくれないのだろうとソティアのほうが泣きたい気持ちだったが、いまではもういい思い出だ。思い返すだけで口元が柔らかくゆるむのを感じる。


「俺だったら、あんな優しくて綺麗な子守唄を歌ってもらったら、すぐに寝入ってしまいそうだが……」


 真面目な声音で呟かれた言葉に、ぱくんと心臓が跳ねる。


「っ!? あ、ありがとうございます……っ」


「い、いや……っ」


 一瞬で顔が熱くなったのがわかる。恥ずかしくて、顔を上がられないでいると、腕の中のユウェルリースが、急に「あーぅっ、あーぅ!」と身を乗り出した。ジェスロッドがベンチの端に置いている木箱が気になるらしい。


 ジェスロッドが箱の存在を思い出したかのように持ち上げる。いったい箱の中に何が入っているのかはわからないが、凛々しい顔は真剣この上ない。


「こ、この箱は、その……っ! 菓子を贈りたいと……っ!」


「あぅ~っ!」


 ジェスロッドが両手で差し出した綺麗なリボンが巻かれた箱を、ようやくおんぶ紐を放したユウェルリースが嬉しそうにぺちぺち叩く。


「まあっ、ユウェルリース様にですか? ありがとうございます。よかったですね」


「ち、違うっ! おいユウェル、叩くなっ!」


 大きな声に、ソティアもユウェルリースも驚きに動きを止める。


 二人の様子など気づかぬように、ジェスロッドがほのかに赤い顔で言葉を紡いだ。


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