17 許可もなく聖域に入っていいと言った覚えはないぞ
駆け寄ってきたジェスロッドが、アルベッドの視線を遮るかのように、ひざまずくソティアの前に立つ。
「だぁ~っ! だぁっ!」
ジェスロッドが来て嬉しいのか、先ほどまであれほど泣きじゃくっていたユウェルリースが、嬉しそうな声を上げる。
ようやくユウェルリースが泣きやんでくれたことにほっとしながら、ソティアは素早くハンカチを取り出すと涙で濡れたぷにぷにしたほっぺを優しくぬぐう。
ちらりとユウェルリースとソティアに視線を向けたジェスロッドが、すぐにアルベッドに向き直り、厳しいまなざしで睨みつけた。
「俺は許可もなく聖域に入っていいと言った覚えはないぞ」
ジェスロッドが険しい声音でアルベッドを糾弾する。怒りに満ちた低い声を聞くだけで、無意識に身体が震える。
だが、対するアルベッドは、ジェスロッドの怒りなどどこ吹く風と言いたげに、悠然と肩をすくめた。
「邪神を封じる時は、わたしの立ち会いを求めたというのに、ずいぶんな手のひら返しだね」
アルベッドという名と青年の言葉から、ソティアは彼が隣国バーレンドルフの王太子だとようやく気づく。
他国の王太子でありながら、聖域に入れるローゲンブルグ王家の血を引く、第三位の王位継承権を持つ王族だ。
「俺が望んだわけではない。高官達があまりにうるさく求めるため、仕方なく立ち会ってもらっただけだ」
「だが、最終的な決定権を持つのは、国王であるきみだろう? 高官達に責任を押しつけて言い逃れるのは、国王として情けないんじゃないのかい?」
「言い逃れをする気などない!」
「俺が言いたいのは、邪神を封じ終えたいま、用もないのに聖域に立ち入るなということだ。特にいまはユウェルリースが赤ん坊に変じて、大臣達もぴりぴりしている。聖獣に異変があったことを国民にはもちろん、他国に知られるわけにはいかんからな。そんな中、いくら王位継承権を持っているとはいえ、他国の王族であるお前が、許可もなく聖域をうろついていては、あらぬ疑いがかけかねられん。自重してくれ」
「あらぬ疑いとは何かな?」
生真面目な口調で
「確かにわたしはバーレンドルフの王太子だが、母からローゲンブルグ王家の血を受け継いでいる。だというのに、そんな風に言われるなんて、心外だね。わたしが、ローゲンブルグの不利益になるようなことをするわけがないだろう?」
芝居がかった仕草で哀しげに吐息してみせたアルベッドが下からすくい上げるように長身のジェスロッドを見上げる。
「聖獣様が赤ん坊になってしまったことを差し引いても、やけにカリカリしてるじゃないか。何か警戒しなければならないことでもあるのかい?」
探るような視線を向けていたアルベッドが、不意に、得心したように無造作に告げる。
「ああ、そうか。まだ――」
「アルベッド!」
「っ!」
ジェスロッドの割れ鐘のような声に、ソティアは雷に打たれたように身を震わせる。
「だぅ……っ」
ユウェルリースもまたジェスロッドの声に驚いたのか、ついさっき泣きやんだばかりのくりっとした目に、ふたたび涙の粒があふれ出す。
ユウェルリースの様子に気づいたアルベッドが、呆れたように肩をすくめ、唇を歪めた。
「いいのかい? 大切な聖獣様を泣かせてしまって。きみは剣の腕には優れていても、無骨者だからね。子どもに好かれるような性格ではないだろう。せっかくいままで築いてきた聖獣様との絆が絶たれるんじゃないかと、
決してそんなことはない。ソティアは反射的に抗弁しそうになり、きゅっと唇を噛みしめる。
ジェスロッドは確かに大柄で威圧感があるが、決して国王の地位を笠に着て無体なふるまいはしないし、ソティアのようなしがない下級貴族の話すら、真摯に聞いてくれる。
何より、ユウェルリースが、誰よりもなついているのだ。
ユウェルリースが赤ん坊になる前のジェスロッドとの関係がどうだったのか、ソティアは侍女達から聞いただけだが、二人の絆がそう簡単に壊れるようなものとはとても思えない。
だが、ソティアごときが隣国の王太子に反論するなんてとんでもないことだ。
自分の身を守る以上に、ソティアが口を挟むことで侍女の
「聖獣様の機嫌を
からかうような口調だが、ユウェルリースに向けられた視線には探るような光が宿っている。
先ほどの荒々しい声音から、ソティアはジェスロッドがアルベッドに激昂するのではないかと心配した。だが、ソティアの不安とは異なり、ジェスロッドから出た声は落ち着いたものだった。
「忠告、感謝しよう」
アルベッドの視線を遮る位置にさりげなく移動しながら、ジェスロッドが悠然とアルベッドに告げる。
「だが、邪神を封じたいま、ユウェルの癒やしの力を必要とする事態は起こらんからな。何の問題もない。さあ、無駄話はもういいだろう。ユウェルのご機嫌とりが大事だというのなら、これからこいつと遊んでやらねばならん。お前と
有無を言わさぬジェスロッドの声音に、アルベッドが気分を害したように目を細める。口から出たのは、
「はっ、赤子の機嫌をとらねばならんとは、国王の責務とは思えんな。せいぜい可愛がってやればいい。大事な聖獣様だからな」
小馬鹿にしたように鼻を鳴らしたアルベッドが背を向ける。華美な服を纏う後ろ姿が生い茂る木立の向こうへ消えたところで。
「大丈夫だったか!? あいつに何かよからぬことを言われたりなどは……っ!?」
突然、振り返って片膝をついたジェスロッドの大きな手に両肩を掴まれ、ソティアは思わず悲鳴を上げそうになった。
「な、何もございませんでした……っ! アルベッド殿下が来られてすぐ、陛下が来てくださいましたから……っ!」
ジェスロッドに掴まれた肩から、全身に熱が巡る心地がする。
声がうわずるのを感じながらおろおろと答えると、ジェスロッドが安堵したように大きく息を吐き出した。
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