7 陛下のお言葉に甘えさせていただきます


「私が侍女達と縫いました。ユウェルリース様は大人用の服しかお持ちでないようでしたので……」


 初めて聖獣の館へ来た時、大人用の服でぐるぐる巻きにされていたユウェルリースに驚かされたことは黙っておく。


 侍女達から聞いたところによると、ユウェルリースはつい十日ほど前まで美しい青年姿だったというのに、突如赤子に変じてしまったらしい。


 ソティアは青年姿だった頃のユウェルリースを知らないので実感がともなわないが、侍女達の混乱は相当だったに違いない。


「ソティア嬢自身は着替えなくてよいのか?」


 飛んできたお湯でお仕着せのクリームは多少流れたものの、まだついている。


 ユウェルリースを侍女に預け、固く絞った布でお仕着せの前をぬぐっていると、ジェスロッドに尋ねられた。


「ユウェルリース様のおやつが終わったあとで着替えさせていただきます」


 幸いいまは初夏なので、多少濡れていても風邪をひくことはない。


 ソティアの返事にたまらずと言った様子で周りの侍女達が申し出る。


「いけません、ソティア様。ユウェルリース様におやつを差し上げるのでしたら、私どもでもできますので……」


「そうです。どうぞ先にお着替えなさってください」


「でも……」


 ためらいながらぬぐっていると、ふと指先に硬い感触を感じた。ポケットから取り出してみれば、床に落ちていた銀のフォークだ。すかさずジェスロッドの問いが飛んでくる。


「それは?」


「ご令嬢のどなたかがご用意されたフォークです。床に落ちていたので、尖ったものは危ないと思い拾ったのですが、返しそびれてしまいました」


 まさか、突然国王陛下がお見えになるとは予想だにしていなかったので、フォークのことをすっかり忘れてしまっていた。


 布で丁寧にフォークをぬぐうと、刻まれた家紋があらわれた。聖獣の館の備品ではなく、家紋から察するにソラレイアが持ち込んだものらしい。


 早めに返しておかなければ、後で何を言われるかわかったものではない。


「陛下のご厚情に感謝申し上げます。お言葉に甘えさせていただいて、こちらをお返しするついでに、着替えもさせていただきます」


 ユウェルリースは桃を小さく刻んで似たおやつを侍女にあーんとしてもらってご機嫌だ。いまならソティアが席を外しても問題ないだろう。


「失礼いたします」


 興味深そうにユウェルリースを見守るジェスロッドに一礼して、ソティアは台所を出た。


   ◇   ◇   ◇


 台所を出てほどなく、ソティアは前からひとりの侍女がやってくるのに気がついた。ソラレイアの侍女のひとりだ。


「失礼します。ソラレイア嬢の侍女とお見受けしますが」


 ソティアとて、先ほど激しく非難していたソラレイアと好んで顔を合わせたいわけではない。


 運がいいと思いながら足早に近づいて声をかけると、初めてソティアの存在に気づいたと言いたげに侍女がこちらを振り向いた。


 と、ソティアの格好を見た途端、口元に嘲笑が浮かぶ。


「聖獣の館の侍女かと思えば、ソティア嬢でいらっしゃいましたか。あまりにみっともない格好で気づきませんでしたわ。そのような格好で人前に出られるからこそ、きっと婚期も逃されたのですね」


 伯爵家に仕えているとはいえ、侍女達自身は平民出身だ。だが、主人のソラレイアや周りの令嬢達が「行き遅れのかかし令嬢」とソティアへの侮蔑を隠さないため、侍女達も主人にならってソティアを蔑んではばからない。


 が、ここで抗弁しても無意味なのはわかっている。何より、ソティアがみっともない格好をしているのは、侍女が言うとおりだ。


「見苦しいところをお見せして、お恥ずかしい限りです。申し訳ありませんですが、こちらをソラレイア嬢にお返し願いますか? 床に落ちていたのを拾ったものの、陛下がいらしたため、返しそびれていたのです」


 感情を出さぬよう淡々と告げ、綺麗にぬぐったフォークを差し出す。


「拾った……?」


 言外に「盗もうとしたのではないの?」と言いたげなまなざしを向けながら侍女がフォークを受け取る。


「よろしくお願いいたします」


 これ以上、無駄なやりとりをする気のないソティアは軽く一礼すると、さっさと通り過ぎて自分に与えられた部屋へ歩を進める。


 マルガレーナを筆頭とした令嬢達は、聖獣の館の二階にそれぞれ部屋を与えられているが、聖獣の館はその名のとおり聖なる一角獣のための建物であり、立派な造りとはいえ、もともと部屋の数はさほど多くはない。


 令嬢達の何人かを相部屋にしても客室が足りなかったため、ソティアが使わせてもらっているのは侍女用の部屋のひとつだ。


 それに、ユウェルリースの私室は一階にあるため、お世話をするにしても同じ一階のほうが都合がいい。


 汚れたお仕着せから同じ仕立ての清潔なお仕着せに手早く着替え、ソティアは来た廊下を台所へと急いで戻る。


 が、台所へ戻ったソティアを迎えたのは、困惑顔の侍女達だった。ユウェルリースとジェスロッドの姿はない。


 もっとも年かさの侍女長が一歩歩み出ると、ソティアに伝える。


「陛下より、ユウェルリース様のお部屋へ来るようにとのことです」


 不安そうな表情の若い侍女達が、ソティアを取り囲む。


 この聖獣の館の侍女達の多くは、身元のしっかりした平民出身の娘達だ。聖域は王城の一画にあるため、働き手の身元の確かさは厳格に審査されている。


 ソティアは男爵令嬢とはいえ、裕福な平民以下の暮らしをしてきたため、ソティアが侍女達と仲がよくなるのにさほど時間はいらなかった。


 ソティアにしても、たくさんの妹ができた気がして嬉しく、いまや侍女達の多くはソティアを姉のように慕ってくれている。


「ソティア様が叱責されたりなんてしませんよね!?」


「すみません、私達がちゃんと陛下に説明できていれば……っ」


「誰よりもユウェルリース様のお世話をされているのはソティア様なのに……っ!」


 ここへ来た当初に侍女達から聞いた話によると、ユウェルリースが赤ちゃんになる前からジェスロッドはしばしば館を訪れていたものの、侍女達と言葉を交わすことはほとんどなかったらしい。


 ジェスロッドは凛々しいが、大柄で引き締まった体躯と鋭い眼光は威圧的でもある。平民出身の侍女達が声すらかけられなかったとしても仕方がない。


 いちおう男爵家の令嬢の身分であるソティアとて、ジェスロッドの威圧感に反射的にひるんでしまったのだから。


 だが、まだお世話係になって十日ほどしか経っていないソティアを、年下の侍女達が心配してくれることが嬉しい。実家にいる弟妹達が思い出されて、心がぽかぽかとあたたかくなってくる。


「大丈夫よ、心配しないで。見た目は厳しそうな御方だけれども、無体なことをおっしゃったりはしないのでしょう?」


 安心させるように微笑みかけると、侍女達がおずおずと頷いた。


「それは、そうですが……」


「ですが、陛下はユウェルリースとたいへん親しくなさってらっしゃったので……」


 先ほどの室内でのやりとりは侍女達の耳にもしっかり聞かれていたらしい。


 確かに、ジェスロッドの言動は、ユウェルリースを心配するがゆえのものだった。


「教えてくれてありがとう。でも、それならきっと、陛下はちゃんとご説明すればわかってくださるはずだわ。だから、心配しないで」


 とはいえ、国王陛下を待たせないほうがよいに決まっている。ソティアはもう一度、心配しないでと告げると台所を出てユウェルリースの私室へと向かった。


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