6 きっと自分だけが陛下に認められようと画策したに違いありませんわ!


「マルガレーナ嬢の言い分はわかった。だが、俺はまだひとつに落ちん。先ほど、ソラレイア嬢はユウェルが昼寝をしている間、ソティア嬢が職務を放棄していたと言ったが……。この寝台は綺麗なものではないか」


 ジェスロッドが視線を向けたのは、赤ん坊には大き過ぎる立派極まりない寝台だ。指摘したとおり、シーツや掛布はきっちりと整えられ、しわひとつない。


 ジェスロッドの言葉に我が意を得たりとばかりに、ソラレイアが口を開く。


「それもソティア嬢のせいですわ! ソティア嬢はユウェルリース様をちゃんとした寝台で寝かせず、床に粗末なマットを敷いて寝かせるのです! 神聖なるユウェルリース様をそのように扱うなど……。これを職務怠慢しょくむたいまんと言わずになんと言いましょう!」


 ソラレイアの言葉に、ジェスロッドの靴音が重なる。


 部屋の奥に進んだジェスロッドが、ソラレイアが言うとおり床にじかに置かれたマットと昼寝で乱れた毛布を見て、凛々しい眉をきつく寄せた。


「ユウェルを、こんなところで寝かせているのか?」


 発された声は怒りに満ちて抜き身の剣のようだ。釈明しなくてはと思うのに、恐怖に喉が凍りついて、まったく言葉が出てこない。


 ジェスロッドの言葉に同意したのはソラレイア達だ。


「そのとおりですわ! わたくし達は反対しましたけれど、ソティア嬢がかたくなに譲りませんでしたの!」


「ユウェルリース様に敬意を払わないなんて、陛下に対する不敬と同じ大罪ですわ!」


「それどころか、わたくし達がしようとすることにひとつひとつ反対してばかりで……っ! わたくし達もお世話係としてお仕えしたいというのに、手を出させてくれませんの!」


「きっと自分だけが陛下に認められようと画策したに違いありませんわ!」


 令嬢達の糾弾に、ソティアはさらに強く唇を噛み締める。


 彼女達の言うことは半分は嘘で半分は真実だ。


 おむつ替えや沐浴、食事の介助など……。


 汚れそうなお世話をすべて押しつけられたのは事実だが、ソティア自身も押しつけられたのをいいことに令嬢達の意見など歯牙にもかけなかった。


「皆様、少し落ち着かれてはいかがかしら? 陛下の御前ですのよ」


 しとやかな声音で令嬢達をなだめたのはマルガレーナだ。マルガレーナの言葉に、令嬢達が我に返ったように口をつぐむ。


 令嬢達の様子を満足そうに見やったマルガレーナが、ジェスロッドを振り返り、深々と一礼する。


「皆を代表して、陛下のお心を乱しましたことをお詫び申し上げます」


 優雅な身のこなしでジェスロッドを振り仰いだマルガレーナが華やかな笑みを浮かべる。


「不幸な行き違いが起こってしまいましたけれども、ユウェルリース様に心穏やかにお過ごしいただきたい気持ちは皆同じでございます。そのために、叶うならば陛下からユウェルリース様のことをゆっくりとおうかがいいたしたく――」


「やぁう! やーうぅ~っ!」


 抱っこされているのに飽きたのか、クリームのべたべたが気になったのか、突然、ユウェルリースが暴れ始める。


 全身でのけぞるユウェルリースをソティアはあわてて抱え直した。


「陛下、申し訳ございません。ユウェルリース様を湯浴みさせてきてよろしいでしょうか?」


 ジェスロッドが開け放したままの扉から廊下を見れば、心配そうに室内の様子をうかがっていた侍女達がひとりを残して姿を消している。


 きっと大急ぎで湯浴みの支度をしてくれているに違いない。


「そうだな。ユウェルをこのままにはしておけん。マルガレーナ嬢、話をするのはあとだ」


 ジェスロッドの許可にほっと安堵の息をつき、「失礼いたします」と一礼して断ってから、そそくさと部屋を出る。そのまま、台所へ急ごうとして。


「どこへ行く? 浴室はそちらではないだろう?」


「ひゃっ!?」


 背後から聞こえたジェスロッドの声に、ソティアは思わず悲鳴を上げた。


 振り返ったソティアを不審げに見つめているのはジェスロッドだ。ユウェルリースが心配で後を追ってきたらしい。


「いまは浴室は使っておりません。台所で沐浴をしております」


「台所だと? なぜだ?」


 答えると、間髪入れずに問い返された。いったい何と答えれば納得してもらえるのかと、一瞬悩み。


「実際に見ていただいたほうがよろしいかと存じます。陛下の貴重なお時間をいただいてもよろしゅうございますか?」


 控えめに問いかけると、「ああ、かまわん」とあっさりジェスロッドが頷いた。


「世話係を集めるよう命じたまま、なかなかこちらへ来られなかったからな。この際、しっかり確認しておきたい」


「では、お見苦しいところですが、台所までお願いいたします」


 足早に台所へ向かう。国王陛下がついてきたと知ったら、台所で準備をしてくれている侍女達は肝を潰すに違いない。


 予想したどおり、ソティアに続いて台所へ入ってきたジェスロッドを見た瞬間、侍女達が石と化したかのようにぴしりと固まる。


「いい。気にするな。それよりもユウェルを」


 床にひれ伏そうとする侍女達を、片手を軽く上げてジェスロッドが押し留める。が、平民出身だという侍女達にとって、ジェスロッドは雲の上の存在だ。


 ソティアだって、ユウェルリースを抱っこしていなければ、とてもではないが落ち着いてはいられなかっただろう。


 いまは国王陛下への畏怖よりも、クリームだらけのユウェルリースをなんとかしなければという使命感のほうが強い。


 台所の石造りの床の上には、大きな布が広げられ、その上に湯が汲まれた大きな木桶が二つ置かれていた。


 ソティアは布の上にユウェルリースを座らせると、かちこちに緊張している侍女のひとりから清潔な布を受け取った。


 お湯の温度を確かめると同時に軽く濡らして、顔や髪についているクリームをざっとぬぐう。


「あたたかいお風呂で綺麗にいたしましょうね」


 手早く産着を脱がせ、片方の桶の中にそっとユウェルリースを座らせる。


「だーぅっ!」


 はしゃいだ声を上げたユウェルリースが小さな手でぱっしゃんぱっしゃんとお湯を叩く。そのたびにびしゃびしゃとお仕着せに飛沫が飛んでくるが、いつものことなので気にしない。


 ユウェルリースはお風呂好きだ。嫌がって泣かれるより、遥かにいい。


 すかさず侍女が差し出してくれた石鹸せっけんを泡立て、そっと優しく、同時に手早く髪や身体を洗っていく。


 目に泡が入らないように気をつけなければいけないが、活発なユウェルリースは、ずっとおとなしく座っていてはくれない。最初の座ってくれている間が勝負だ。


 もうひとつの桶から、手桶で綺麗なお湯を汲んで泡を流していく。


「あーぅっ、あーぅっ!」


 お湯が身体を流れていく感触が楽しいのか、ユウェルリースはばっしゃばっしゃとお湯を叩いてご機嫌だ。だが、油断はできない。


「だぁっ!」


 手桶の動きを目で追っていたユウェルリースが、見上げた拍子に体勢を崩す。


 後頭部からお湯の中に倒れ込みそうになった小さな身体を、ソティアはあわてて支えた。


「さあ、綺麗になりましたね」


「やぁうぅ~っ」


 まだ遊びたそうにしているユウェルリースを抱き上げ、侍女が布の上に敷いておいてくれた清潔な布の上に寝かせ、身体を拭いていく。布おむつをつけ、綺麗な産着を着せたら完成だ。


「……このような産着など、あったのか……?」


 侍女が用意した簡素な椅子に腰かけ、ソティアの一挙手一投足を見ていたジェスロッドがいぶかしげな呟きを洩らした。


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