5 なぜ、ユウェルがこれほど汚れている?


「だぁっ、だぁっ!」


 急に現れたジェスロッドに興奮しているのか、じたばたと暴れるユウェルリースの身体を落とすまいと、ソティアは腕に力をこめる。


 赤ん坊とはいえ、全身を使って暴れられると捕まえておくのが大変だ。


 ユウェルリースの声に、ジェスロッドの固い靴音が重なる。


 ぴたりとそれが止まったのは、深く頭を下げるソティアの目の前だった。伏せた視界に、腰に佩いた剣のさやの先と、ぴかぴかに磨かれたブーツが入る。


「なぜ、ユウェルがこれほど汚れている?」


 頭上から降ってきた威圧感に満ちた声に、ソティアの身体が反射的に震える。


おもてを上げろ。発言を許す」


「あ、ありがたき幸せでございます……」


 震える声で謝意を述べ、おずおずと顔を上げる。


 豪奢ごうしゃな服に包まれた引き締まった体躯たいく。背の高いソティアよりさらに頭半分高い長身なので、自然と見上げる格好になる。


 短い黒髪に縁どられた凛々しい面輪には、いまは強い猜疑さいぎの表情が宿っていた。


 髪と同じ黒瑪瑙くろめのうの瞳は怒りをはらんで炯々けいけいと輝いている。


「その……」


 緊張に強張る唇を動かし、説明しようとした瞬間。


「わ、悪いのはすべてそこのソティア嬢ですわ! 彼女がユウェルリース様がお昼寝をなさっているのをよいことに、席を外して職務を放棄していましたの!」


 緊張に耐えられなくなったかのように、ソラレイアが甲高い声を上げる。


 マルガレーナを除いた周りの令嬢達が「ソラレイア嬢のおっしゃるとおりですわ!」と追従した。


「ソティア嬢が、ユウェルリース様の お世話係だというのに、神聖な任務をないがしろにしましたの!」


「ユウェルリース様がクリームだらけになったのも、ソティア嬢が目を離したせいで……っ」


「ソティア……。ケルベット男爵令嬢か」


 名前を言われて初めて気がついたと言わんばかりに、ジェスロッドが呟く。


「さ、さようでございます……」


 男爵令嬢ごときが聖なる一角獣を抱き上げているなんて不敬だと叱責されるのだろうか。


 お世話係としてやってきた令嬢達は、「わたくし達の細腕で抱き上げるなんて、とても無理ですわ」と言うくせに、聖獣の館の侍女達が聖獣にふれるのを『平民ごときが聖なる一角獣様にふれるなんて、おそれ多い!』と禁じたのだ。


 おかげで、ユウェルリースの世話は侍女達に手伝ってもらいながらソティアがひとりで担っているような格好だ。


 この国の最高位に座す国王陛下の目から見れば、男爵令嬢など、平民とさほど変わらないのかもしれない。


 だが、叱責されたとしても、国王陛下には伝えなければならないことがある。


 気圧けおされそうになる気持ちを腕の中のあたたかさに励まされながら、黒瑪瑙の瞳を真っ直ぐに見つめると、ふとジェスロッドのまなざしがやわらいだ。


「侍女のお仕着せを着ているゆえ、見慣れぬ侍女がいるといぶかしんだが……。なぜ、ドレスを着ていない?」


 ジェスロッドの問いに反射的に視線を向けてしまったのは、ソティアを睨みつけている令嬢達だ。


 確かに、この格好では男爵令嬢だと思わなかったことだろう。


「畏れながら……。ケルベット家は裕福ではございません。ユウェルリース様はたいへん活発でいらっしゃいますので、このように服が汚れることも多くございます。ですから、心おきなくお世話に取り組めるよう、お仕着せをお借りしているのです」


 ジェスロッドに向き直り、視線を伏せて説明する。


「なるほど。確かに、ひどく汚れているな」


 ジェスロッドの声に呆れが混じる。白いエプロンはともかく、お仕着せは黒なので、白いクリームがさぞかし目立っているだろう。


「だが――」


 不意に、ジェスロッドの声が圧を増す。


「それは、世話係として職務に忠実に励んでいるという証左だろう? 他の令嬢達は、お仕着せどころか、赤ん坊の世話などできそうにないドレスを纏っているが?」


「っ!?」


 ジェスロッドの低い声に、ソティアだけでなく令嬢達も息を呑む。ソラレイアが悲痛な声を上げた。


「陛下、どうか誤解なさらないでくださいまし! つい先ほどまではわたくし達がユウェルリース様のご様子を見守っていたのです! 異変に気づいてソティア嬢を呼び寄せたのもわたくし達ですもの!」


「異変、か……」


 素早く室内を見回したジェスロッドの唇が挑発するように笑みの形を刻む。


「状況から推測するに、ユウェルがクリームまみれになったのが異変と言うのなら、原因は令嬢達のほうにあるようだが? そこに落ちているケーキは、テーブルの上にあるものと同じケーキだろう?」


「そ、それは……っ」


 ソラレイアがおろおろと視線を揺らす。


 静かに口を開いたのは、黙してやりとりを見守っていたマルガレーナだった。


「陛下。差し出がましいかと存じますが、口を挟むのをお許しくださいますか?」


 にっこりとマルガレーナが美しい面輪に笑みを浮かべる。上品な笑みは同性のソティアでも思わず見惚れてしまいそうだ。


「許可しよう、マルガレーナ嬢」


 興味深そうに口のを緩めたジェスロッドが促す。「ありがとうございます」とマルガレーナが楚々そそとした所作で一礼した。


「陛下がご指摘されたとおり、ユウェルリース様が汚れる原因となりましたのは、確かにわたくし達のケーキでございます。ですが、ユウェルリース様が食べ慣れないケーキを欲されたのも、そちらのソティア嬢のおやつの用意が遅れたゆえ。ソティア嬢がきっちりと己の責務を果たしていれば、今回の事態は起こっていなかったものと推測いたします」


「……なるほど」


 ジェスロッドが納得したような声で頷く。


 咲き誇る薔薇のように美しく、理路整然と述べたマルガレーナの言葉に心動かされたとしても、不思議はない。


 腕の中のユウェルリースを 抱き直し、ソティアは来るべき叱責に耐えるべく唇を引き結ぶ。


 室内の視線を一身に受けながら、ゆっくりとジェスロッドが口を開いた。


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