4 行き遅れのかかし令嬢


「これは……?」


 もともと聖獣の館に務めている侍女達からは、ユウェルリースの食事は以前からほとんど果物ばかりだと聞いている


 が、まだ歯も生えていない赤ん坊に果物をそのまま食べさせるわけにはいかない。


 そのため、ソティアが台所で果物を煮ていたのだが……。


 ソティアの戸惑った声に、令嬢達の中心的存在である候爵家のマルガレーナが困り果てた声を上げた。


「ユウェルリース様がお菓子に興味を持たれたので、ソラレイア嬢がさしあげたんですの。ですが、食べられるどころか、玩具にされてしまって……」


 マルガレーナが美しく整えられた眉を困ったように寄せ、ソラレイアをちらりと振り返る。


 確かに、ぺったりと足を伸ばして座ったユウェルリースの足の間には握り潰されて原型をとどめていないスポンジ部分が落ちている。そばには皿とフォークも落ちていた。というか。


「もしかして、ケーキをそのままさしあげたのですか?」


 さっと床からフォークを拾い上げて、遠巻きに見ている令嬢達を振り返る。男並みに背の高いソティアの長身に、令嬢達がひるんだようにわずかに身を強張らせた。


 いくら愛らしい赤ん坊の姿をしているとはいえ、何百年も生きている聖獣なので、人間の赤子とは違うところもあるのだろう。


 だが、ソティアが知る限り、ユウェルリースはまだ歯も生えていないし、スプーンやフォークだってうまく使えない。握れたとしても、うまく口まで持っていけないのだ。


 なのに、先の尖ったフォークを渡すなんて……。


 もし怪我でもしたらどうするつもりなのだろう。


 ソティアの声に宿った非難の響きを感じ取ったのだろう。ソラレイアが顔をしかめて言い返す。


「何なの、その目は! かかしのくせに!」


 容赦のない声音が、胸の奥のまだ癒えない傷をずぐりとえぐる。

 

 自分がかかし令嬢と陰で揶揄やゆされているのは知っている。男並みに高い身長に、肉づきの薄い身体つき。


 どうして自分の身体は縦にばかり伸びたのだろうと嘆いたことは何度もある。だが、身体の成長を自分の意志で止めることなど不可能だ。


 どんなに憧れ、焦がれても、ソティアは小柄で可憐な令嬢にはなれない。


 胸の奥でうずく痛みを唇を引き結んでこらえ、ソラレイアを見つめると、責められたと思ったのか、ソラレイアがさらに眉を吊り上げた。


「だって、ユウェルリース様が欲しがられたんだもの! お世話係として、お渡しするのは当然ではなくって!? そもそも、ユウェルリース様がケーキを欲しがられたのも、あなたのおやつの準備が遅くておなかをすかせてらっしゃったかったからに違いないわ! まずは遅れた謝罪をするべきではなくって!?」


 そうですわ! と周りの令嬢達からも同意の声が上がる。


「あなたがいない間、ユウェルリース様のご様子を見てあげていたというのに! まずは感謝を述べるべきでしょう!?」


「ほんと、いったいどこでさぼっていたのかしら!?」


 ソティアは決してさぼっていたわけではない。確かに、お昼寝をしている間なら、少しはそばを離れても大丈夫だろうと台所に行っていたが、それはユウェルリースのおやつの用意をするためだ。


 しかも、おやつ用の桃を煮るのに時間がかかってしまった理由は、令嬢の侍女達が

『お嬢様方のお茶の用意をするのですから。行き遅れのかかし令嬢は引っ込んでくださいます?』とソティアに台所を使わせてくれなかったからだ。


 高位貴族の家に仕える侍女達は、自分達の主人の権勢をよくわかっていて、男爵令嬢のソティアや元から聖獣の館に務めている平民出身の侍女達など、はなから見下している。


 ましてや、十代後半で結婚するのが一般的な中、二十二歳のいまも未婚のソティアは、面と向かって嘲笑っても心が痛みすらしない取るに足らぬ存在だ。


 ちなみに、ソティア自身は実家から連れてこられる侍女などいないので、単身で聖獣の館にやってきた。


「まったく……。行き遅れだけあって、必要な時に来るのも遅いこと」


「こう気が利かないのでは、この年まで縁づいていないのも納得ね」


 令嬢達がくすくすとソティアを嘲弄する。


 ソティアにしてみれば、むしろ、ユウェルリースのそばでにぎやかにおしゃべりして、せっかくお昼寝していたのを起こしたのではないかと令嬢を問いただしたいほどだ。


 だが、男爵令嬢に過ぎないソティアが、高位貴族の令嬢達に反論などできるはずがない。


「大変申し訳ございませんでした」


 言い返したい気持ちをこらえ、ソティアは深々と頭を下げた。


 何より、令嬢達の相手をするより先にしなければならないことがある。


「ユウェルリース様、お顔やお手を綺麗にいたしましょう」


 ひとまず手にしていたフォークはエプロンのポケットにしまってユウェルリースを振り返ったソティアは、優しく声をかけながら床に膝をつく。


「だっ、だっ!」


 手を打つたびクリームが飛び散るのが楽しいのだろう。にこにこと手を叩いていたユウェルリースが、ソティアが膝をついたのを見て、「だぁっ!」はずんた声を上げる。


 かと思うと、べたべたの両手を床につき、勢いよくはいはいしてきた。


 聖獣の館の侍女達に聞いたところによると、お世話係が来た頃から、はいはいやつかまり立ちが始まったのだという。これからしばらくが一番目が離せない時期だ。


 まだはいはいでうまく身体を持ち上げられないので、こすった拍子に、服の前についていたクリームが、べちゃあ! と床につく。


 後ろで令嬢達が「ひぃぃっ」と悲鳴を上げているのを無視して、ソティアは小さな身体をそっと抱き上げた。もちろんお仕着せにもクリームがべったりとついたが、あとで洗濯するしかないだろう。


「楽しかったようで何よりです。ですが、そろそろおしまいにして、湯浴みをいたしましょう」


 聖獣の館の侍女達は、きっと廊下で待機してくれていることだろう。すぐにお湯を沸かしてもらうようお願いしなければ。クリームが飛び散った床も掃除しなければならない。


 ユウェルリースの寝る場所まで被害が及んでいないのが不幸中の幸いだ。


 頭の中でこの後の段取りを考えながら、ユウェルリースを抱っこして扉へ向かおうとすると。


 不意に、扉の向こうの廊下からざわめく気配が伝わってきた。


 かと思うと、前ぶれもなく大きく扉が開けられる。


 固い靴音を響かせ、大股おおまたに入ってきた人物は。


「へ、陛下……っ!」


 ざっ、と令嬢達が立ち上がり、あわてふためきながらも見事な所作でスカートをつまみ、こうべを垂れる。


 一拍以上出遅れて、ソティアもあわてて深々と頭を下げた。


 腕の中のユウェルリースが、「だぁ――っ!」と歓喜に満ちた叫びを上げる。これほど喜色満面な様子は初めてだ。


 だが、ユウェルリースの澄んだ明るい声とは対照的に。


「……これはいったい、どういうことだ?」


 抑えつけたようなジェスロッドの低い声に、紫電が走ったかのように空気が一気に緊張した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る