Wait!!

Wait!!

「待ってよーーーー!!」


 高校1年。冬。早朝。

 私は重い足を必死に動かしながらそう叫ぶ。

 30メートルほど前を走っていた薫は立ち止まって振り返った。


「はーやーくー」

 薫は腕を振るジェスチャーをしながら大声で私に言う。


 なんで一緒に練習する約束をしてしまったんだ?

 追いつけるわけないじゃん。


 私はそう思いながらも、涙を堪え、薫の方に向かって最後の力を振り絞って加速した。


 *


 薫は、神様のお気に入りである。

 学校の成績は一位。運動神経抜群。容姿端麗。温厚篤実。

 そして私の小学校からの幼馴染だ。


 私と薫は中学で同じ駅伝部に入った。


「一緒に頑張ろうね!」


 そう言って、二人とも中学から始めた。

 はずだった。

 なのにもかかわらず薫はすぐ、レギュラー、いや、エースといっても過言ではないほど活躍した。選手なのにマネージャーのような仕事ばかりしていた私を尻目に。


 文字通り、私は薫に置いて行かれたのだ。


 いわゆる一緒に走ろうね詐欺である。小学校のマラソン大会では私も違う友達にしていたのだが。


 「待ってよ」


 と、薫に言いたかった。もちろん言えるはずもなかった。

 

 それはさておき。


 中学最後の県の大会を6位入賞という結果で終えた私たちは、高校受験を迎えた。

 薫は地元の私立高校で全国常連の強豪駅伝部のスカウトにより、推薦で合格していた。


 まだ薫と走りたい。


 そう思った私は必死に勉強し、偏差値の高いその高校の特進コースにかろうじて合格することができた。

 そのことを薫に伝えると、薫は目を輝かせてこう言った。


「また、一緒に頑張ろうね!」


 詐欺だ!!と伝える警告音が私の頭の中で鳴り響いた。



 ---



 高校入学後、もちろん私は駅伝部に入った。

 が、レベルが高すぎた。

 新入部員だけで18名。全部員で50名近くになる。

 これが高校駅伝のレギュラーのたった5名の枠を争うのだ。

 中学3年の時、部内では薫に続いて私は2番目に速かった。

 しかし、ここではどうだろうか。

 最初の新入部員一斉タイム計測では私は最下位。対する薫は1位。

 タイムの差は10分、という結果に終わった。


 あの詐欺は途方もないほどの差を生み出していたのである。


 これではいけない。変わりたい。

 そう思い、薫に聞いた。


「薫ってなんでそんなに速いの?」

 薫は私が渡したボトルの蓋を閉めながら答える。

「まだまだだよ。先輩達にはまだ追いつけてないし」

 薫の目はトラックのスタートラインで準備運動をしているレギュラー組の先輩達を見ていた。

 こういうところか、と内心納得しそうになるがそれではいけない。

「自主練とかってどんなことしてるの?」

 薫は肩まで伸びた髪を結びながら答える。

「日課はあるよ。一緒にする?」

 薫は目を輝かせて私を見る。

「う、うん!!」

「約束ね!」

 そう言って彼女はスパイクを履き、トラックのスタートラインに立つ4人のところへ軽い足取りで走っていった。きっと疲れているだろうに。


 レギュラーでも、補欠ですらもない私は、自分の仕事に戻る。


 次はボトル洗いだ。


---


 翌朝。AM4:30.

 薫との早朝ランニングが始まった。

 彼女の日課、それは、「4時30分から河川敷で約10km走る」というスパルタ的なものであった。これを中学1年の頃から続けているというのだから驚きだ。 


 「よーいスタート」


 薫のその声と、腕時計のピッという電子音を合図に私たちは走り始める。

 これでも駅伝部だ。最初の方は話す余裕があった。けれども、だ。


 ガクン


 8キロは走っただろうか。足が急に重くなる。

 薫は変わらず走り続ける。

 自分の白い息のもやが大きくなっているのを感じる。

 対して、薫の背中は小さくなっていく一方である。


 「待ってよーーーー」

 

 もう追いつけない。そう思ったところでそう叫んだ。


 薫は立ち止まり後ろを振り向く。


 「はーやーくー」


 薫は腕を振るジェスチャーをしながら大声でそう言った。





高校3年。秋。

 私たちは無事に全国高校駅伝への出場を決めていた。

といっても私は予選に選手としては出ていない。

 現在、部内で6位の私は惜しくもレギュラーの枠から外れていた。

 おそらく全国も予選と同じメンバーだろう。 

薫は主将であり、部内ではもちろん1位。

 高校2年時から雑誌に取り上げられることも多々あった。見出しでは決まって、

《期待の美人ランナー》という文字列が並んでいた。

 それを見るたび、

 「期待されているから頑張らないとね」

と言いながら練習に励んでいた。

 疲れているだろうに。怪我とかしないといいけど。


 奇しくも、それは杞憂ではなかった。


---


 いつもと同じように河川敷を走っていた。

 なんとか薫についていけるようになったものの、薫はこれで7割程度であるから恐ろしい。と、敬っていたところだった。


 バタン


 目の前を走っていた薫が転倒した。


 「だ、大丈夫?!」

 「う、うん。あと1キロ頑張ろう」

 そう言って薫は立った。


 はずだった。


「痛っ!」


 薫はすぐに地面に座り込む。


 足首を押さえている。とてつもなく腫れていた。


 それを見た瞬間、とてつもない不安と焦燥に駆られた。

 と、同時に「これでレギュラーになれるかも」という期待を感じてしまった自分に腹が立ち、自分の太ももをつねる。

 私はすぐに救急車を呼び、薫は親に連絡をした。


 その日の夜、薫から私の携帯に届いたメールには「靭帯断裂」の4文字だけが浮かんでいた。

 原因は過度な疲労だったらしい。1年の頃から走りっぱなしだったから、逆にこれまで怪我をしなかったのが不思議なまである。

 しかし、よりによって、このタイミングで。


 全国駅伝の5日前、冷たい風が肌を引き裂くようなそんな日の出来事だった。



---


「最終区はお前に任せる」


 最終区。いわゆる、アンカーだ。

 ミーティングの最後、部員全員の前でコーチからそう告げられた。

 松葉杖をつく薫の方をみると、下を向いている、と思ったのだが意外にもまっすぐ私の方を見ていたので怖気付いた。

 しかし、その目は嫌悪や嫉妬は含んでおらず、真っ直ぐで清らかで「頑張れ」という思いが詰まっているように感じた。

 

 ミーティング後、薫は私の方に向かってきた。松葉杖だから速度は遅いものの、できるだけ、はやく進もうとしてくれていたのが分かった。

 私も薫の方へ近寄る。


 面と向かう。


 薫の目には涙が溜まっていた。 

 その涙からは、喜びと悔しさが滲み出ていた。間違いなく後者の方が大きいだろう。けれど、薫は笑って私に言った。


 「一緒に頑張ろうね!」


 私は精一杯大きく、首を縦に振った。


 

高校3年。冬。


 現在2位。


 私は控室のモニターで仲間の走りを見ていた。薫と。


 「もう来るよ、準備しないと」

 薫はそう言って私に掛かっていたダウンコートを取る。

 松葉杖をつきながら。


 私たちは控室を出た。

 時計の気温計を見ると、5℃。目の前は観客の人たちで溢れている。


 そんな道沿いは冷気と熱気が混ざり合っていた。

 徐々に緊張のベールが私を覆っていく。

 足を上下させ、アキレス腱を伸ばし、足首を回す。

 

 「こちらでーす」


 スタッフの方だろうか、私達の方へ向けて手を振っている。 

 薫の方を見る。

 「行ってくる」

 「頑張ってね」

 私は踵を返し、そのスタッフの方へ向かう。


 ドン


 背中に強い衝撃があった。この衝撃は、私を覆っていたベールを取り、ある言葉を思い出させた。


   一緒に頑張ろうね 


 私は決して振り返らなかった。


 そうだ、“一緒に”だ。


 スタートラインの横に立つ。

 目の前で1位の高校の襷が最終区のランナーに渡る。

 私の仲間の姿も肉眼で捉えられる距離まで来ていた。


 《私はゴールで待ってるね》

 

 薫の声が聞こえた気がした。



---


 現在2位。残り2キロ地点。


 無心で走っていた。

 時計を見る。いいペースだ。


 周りが無音だった。

 歩道に溢れた口を動かす観客も声を発していないような、そんな感じ。


 この状態の自分は速いと知っていた。


 前を見る。

 目の前のランナーの背中が徐々に大きくなってるな、と私は感じていた。


 それも、もう追いつきそうである。

 相手も焦っているだろう。

 30メートルといったところだろうか。

 よし、追いつける。そろそろラストスパートだ。


 そう思った時だった。


 ガクン


 足が重くなる。少し飛ばしすぎてしまったのだろう。

 ここにきて、私の方こそ焦ってしまっていたのに気づく。

 

 悪いことは続く。

 ここで相手がスパートをかけたのだ。

 相手の背中が離れていく。

 

 もう無理だ

 こんなん追いつけるわけないじゃん

 そう心が折れそうになった時だった。



  はーやーくー



 頭の中でその声が大きく響いた。腕を大きく振る薫の姿が浮かぶ。


 これまでの薫との日々がフラッシュバックする。

 私は薫の背中をこれまでずっと追い続けてい

た。絶対追いつけない、心の中ではそう思いながらも、ずっとずっと足を動かし続けてきた。ここまで私が速くなれたのも薫のおかげだ。私は薫の背中を追っている間に、いろいろなものを乗り越え、追い越してきたのだ。

 知らない間に。


 ゴールで待っている薫の姿が浮かぶ。ここで負けちゃいけない。

 


 「待っててよ!!」



 心の中でそう叫ぶ。

 重い足を必死に動かしながら。


 目の前の白バイが横に逸れる。


 今の自分は、あの時、ベソをかいていた自分とは違う。


 歓声が徐々に大きくなっていく。

 

 これまでのことが思い出され、色々なものが込み上げてくる。

 絶対に追いついてやる。


 私は涙を堪え、薫が待つゴールに向かって、最後の力を振り絞って加速した。



 

 

 



 


 


 




 

 


 


 

 




 


 

 

 








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