第6話 ほうらいの水


僕は夏休みの間、おじいちゃんの家に行くことになった。

おじいちゃんの家は隣のK県の真ん中にある。海も川も山もどこへでも行けるという凄くいい場所なんだとおじいちゃんは言う。

 

 本当は少し心配だったんだ。だって沢田君達もK県に住んでいて、O電鉄のそばに住んでいるからだ。

 けど、おじいちゃんの家に行く路線とは途中で別れるし、地図の上でも全然別で離れているので、会う事はないから大丈夫とお母さんは説明してくれた。

 

 お父さんが仕事でこれないので、お母さんとO電鉄で行った。そのまま行くと有名な温泉の山と湖があるけど、そこまでいかなくてもおじいちゃんのある家のから車で行ける山のふもとにも温泉があるので温泉にも行ける。


 おじいちゃんの家は古い農家をリノベーションした家なんだそうで、大きな柱とか黒い梁とか見えて面白い。

 周りは田んぼに畑。少し高台なので景色もいい。近くにはいろんな農家があって、いちご狩りもできるの春によく来るんだ。


 おじいちゃんの家に着くと、お母さんは麦茶を飲んで、縁側で庭をみていたらそのまま寝ちゃったんだ。

 おじいちゃんは「しーっ」と口に指をあてて、朝顔模様のタオルケットを持って来てお母さんに掛けると、「近所の農家にスイカを買いに行こう」と、言った。

「お母さん、ほっとして疲れがでたんだよ。寝かせてあげよう」


 僕はおじいちゃんと同じ麦わら帽子をかぶって、柴犬のコロの紐を引っ張りながらじーわじーわ蝉が鳴いている道を一緒に歩いていった。


 農家のおじさんは畑に入り、ここからここのスイカなら食べ頃だから好きなの選びなと言ってくれた。大きなスイカを選ぶと、おじさんは大笑いして、手にしていた紐を広げてあっと言う間に大きなスイカ入れにしてくれた。凄いや!


 おじいちゃんの庭の横には湧水が凄い速さで流れていて、そこにどぶんとスイカをいれる。この水は農家の人が畑や田んぼに引き入れて使うんだよ。だから汚しちゃいけないんだよと、おじいちゃんが前に教えてくれた。


「1時間もすれば冷えるだろう。隆司、いい物を見せてやろう」


 おじいちゃんは大きな畳の部屋でいくつもの古いアルバムを開いてくれた。


「前に七五三の古い写真を見て喜んでいただろう?他にも色々あるぞ」


 おじいちゃんは古い写真を沢山出してくれた。着物を着た沢山の人達が並ぶ昔の写真。映画にでてくるような大きなコートを着た男の人。髭が面白い男の人。みんなが着物を着た結婚式の写真。綺麗な柄の着物を着た女の人の写真。


「おじいちゃん、バナナが前にあったの?」

「ん~??」

 

 一枚の写真を差し出すと、おじいちゃんは「ああ!」と、懐かしそうに笑う。


「ああ、これは外国の島に住むおじいちゃんの友達の写真だ。彼の家に行った時に、バナナが植えてあってな」

「へえ」

「パパイヤ、マンゴー、レンブー、ココナッツやいろんな果物の木があったよ」

「凄いなあ。いいなあ」


 他にもいろんな写真をおじいちゃんはみせてくれた。昔の写真に想像を掻き立てられ、いろんな空想をしながら寝転がっていると、段々と眠くなってきた。おじいちゃんが朝顔柄の夏掛けを持って来てくれて上に掛けてくれる。


「少し昼寝しな」


 おじいちゃんの声が聞こえたと同時に、すとんと意識が落ちた。


 次に気づいたときは、大きな白い猫がざりざりと僕の頬を舐めていた。


「あ~学校の猫だ。ここまで着いてきちゃったの?」


 猫は目を細めると、しっぽをゆらゆらさせながら、縁側の方に歩いて行った。うーん!と伸びをして起き上がると、何か音がする。


 ざわざわと木々の葉っぱのこすれる音だ。山のホテルに行った時によく聞いた音だ。僕は起き上がり、つっかけを履くと庭に出た。


「おじいちゃーん!猫がいるよー!学校の猫がついて…」


 庭にいたおじちゃんに声を掛けたけど、僕は違和感を感じて立ち止まった。凄くまぶしい。周囲が見えないくらい太陽がまぶしくてよく見えない。

 

 その中に立つおじいちゃんはゆっくりと振り返る。


「たかし」

 その声はおじいちゃんとは違うような気がした。でもおじいちゃんの声って…どんな感じだったっけ?僕は急に不安になった。


「おじいちゃん?」


 するりと猫が足元をすり抜けて、おじいちゃんのそばに行く。


「トキ」

「トキ?」

 おじいちゃんはニコリと笑い、猫を抱き上げる。


「なんだたかし。もう忘れたのか?お前がつけた名前じゃないか。お前の島にいる縁起のいい鳥の名前だろう?」


 鳥?トキ?佐渡ヶ島にだけいると言う、あの数の少ない鳥の事かなあ?


「トキの何が縁起がいいの?」

「しらんよ。お前が言ったんじゃないか」

「なんでその猫の名前がトキなの?」

「しらんよ。白い猫だからじゃないか?トキも白いんだろう?」

「おじいちゃん見た事ないの?」

「無いな。この島にはいないからな。昔はいたらしいが」

「へえ~。日本本土にもいたんだね」

「おー、たかし、難しい言葉を知ってるなあ」


「うん。沢田君に教わったんだ。あと御影さんとか落合さんとか。小学校受験で受験勉強して習ったんだって。いいなあと思った」

「何が?」


「しょうがっこうじゅけん。それをした子達はみんな先生のうけがいいんだ。可愛がられるんだ。難しい言葉とかいっぱい知っていて、先生が喜ぶことをいっぱい知っているから。

 僕はできない…。

 僕は幼稚園で段ボールで電車を作って遊んで…時間をムダにしたから…だからダメなんだって」


「誰がそんな事を言った?」


「沢田君。それと体育の先生。サッカークラブのコーチ」


「つまらんこと言う奴らだなあ。楽しいことは言えんのか?」


「お気に入りの子達にはいうんだよ」


「器がちっつせえちっせえ」


 あははははとおじいちゃんは笑う。トキがぴょいと腕から降りて、明るい庭の先に進んでいく。


「焦らんでも、お前もそいつらにあっという間に追いつくさ。たかしは、お母さんとお父さんから沢山教わればいい」


「でもそういうのはみんなできるよ」


「できないよ」

「僕にできることは、みんなできるよ」


「だったらみんなに教えてあげな。川遊びの仕方。トンボを素手で捕まえる方法。海のカニ、川のカニの取り方、木の実の見分け方。山の歩き方。みんなできないよ」


「教える?僕が?」

 僕は黙り込み、そして首を振った。

「そんな事…できないよ」

「できる。できないなんて言わない!お前はできる!お前にはオレもトキもついている。だから絶対できる!」

「おじいちゃん…」


「たかし、大丈夫だ。だから顔をあげろ。大丈夫だ。お前は、


 大丈夫だ」





「隆司!!!」


 お母さんの泣くような声に気付いて目を開けた。


 あ、おじいちゃんの家の古い天井だ。

 

 リビングは天井が無くて、黒くて大きな梁が見えるけど、寝室には竿縁天井っていう日本の天井にしてあるんだって言っていた。その天井が見える。


「隆司!!お母さんがわかる!?」

 ぼんやりとお母さんをみると、お母さんの横にはお父さん、おじいちゃん、おじちゃんにおばちゃんもいる。

 それと知らない白い服を着たおじさん。


 それに猫。


「トキ」

「え?」


 みんなが怪訝な声を挙げたけど、おじいちゃんだけが息を呑んだ。

 

 白い猫は僕の枕元にいて、ざりざりと額を舐める。くすぐったいなあとくすりと笑った。


「隆司君?みんながわかるかい?聞こえるかい?」


 僕の目の前で、掌をひらひらさせながら、心配そうに覗き込む白い服のおじさんを僕は見上げると頷いた。


「はい。わかります。おかあさん、おとうさん、おじいちゃんにおじさんとおばさん。おじさんは誰?」


 おじさんはニコリと優しく笑った。優しい優しい瞳をしたごま塩頭のおじさんだ。おじいちゃんより若くて、お父さんより年を取っている感じ。


「お医者さんだよ。近くに住んでいるんだ。隆君、お昼寝から起きた後、何をしていたか覚えているかい?」


 僕はぼんやり考える。


「起きたらトキがいて、庭に出たから僕も出た。庭にはおじいちゃんがいて…何か話したけど覚えてない」


「それから?」


 それから?


「…おじいちゃんが、今できることをしろって。でいないとか言うなって」


 みんながおじいちゃんを見る。おじいちゃんは困った顔をした。


「どうしてみんないるの?」

 お母さんとお父さんが優しく額を撫でた。トキが舐めたところだ。


「庭に倒れていたのよ。リビングで寝ていたのに気づいたらいないから、みんなで必死になって探したの。そうしたら、庭の西側にある大きな柿の木の下で倒れていたの。覚えていない?」


「覚えていない。僕、そんなところ行ったかなあ?柿の木なんてあった?」

「西側の少し崖っぽくなっているところ。そう言えば近づいちゃダメと言っているから、隆司は行ったことないかもね」

「僕は病気なの?」

 お医者の先生がうーん?と首を傾げる。


「熱中症のかなり手前かな?カンカン照りの芝生の上だったら危なかったけど、木陰で倒れていてよかったよ。それにすぐにおじいちゃんが君を涼しい場所に運んで、熱を下げて、水分とらせてくれたからね。大丈夫だよ」


 おじいちゃんを褒められて僕は嬉しくなった。


「そうなんだ!おじいちゃんはね、なんでも知っててできるんだ。凄いんだよ。お母さんも色んな事教えてくれるけど、おじいちゃんには敵わないんだ」


 お母さんがおかしそうに笑う。

「お母さんはおじいちゃんに色々教えてもらったのよ。いわば、お母さんの先生。だからおじいちゃんには敵わないの」


「じゃあ、僕の先生はお母さんにだから、おじいちゃんは僕の先生にもなるんだね」


 みんながおかしそうに目を細めて笑う。よかった…と、僕は何故か思う。


「そうだね。君のおじいちゃんは凄いね」

「あーあ、おじいちゃんが僕の学校の先生だったらよかったなぁ」

 思わず言って、しまったと思った。ちらりとお父さん達が顔を見合わせた。先生がにこにこして聞く。


「学校の先生はいい先生じゃない?」


 僕は天井を見上げる。


「教頭先生と校長先生と学年主任の先生はいい先生だよ」

「担任の先生は?」


 つきこ先生が僕を睨む顔が浮かぶ。

 教室を出る僕を怖い目で睨んだあの顔。

 体中がきゅっ!って固く冷たくなる目。怖かった。

 世界中の音が止まるくらい‥‥怖かった。


 僕はきゅっと目を閉じた。


「つきこ先生は僕が嫌いだよ」


 そうだ。 

 つきこ先生は筆箱事件から、僕の事が嫌いになった。

 

 なんとなくそうじゃないかなあ?とは思ったけど、確認するのが怖くてずっと気づかないふりをしていたんだ。


 だって、先生が僕の事を嫌いだなんて…

 とてもとてもとても…

 悲しい…


 でも僕を嫌いなのはつきこ先生だけじゃない。他の先生達も僕を嫌っている。佐伯先生は僕が大嫌いだと言っていた。

 学校に通うのが再開した最初の体育の時間の後。僕は佐伯先生に言われて、二人でボールを片付けに行った。用具室で、誰もいないのを確認した体育の先生が、屈みこんで僕の目をまっすぐ見て言ったんだ。


 低い怖い声で。

 誰にも聞こえない声で。


「長谷、お前のせいでつき子先生と沢田が苦しんでいる。お前、わかってるのか?

 つき子先生はなあ、来年は学年主任をになる事になっていた。だのにお前のせいでクラス担任すら下ろされることになったんだ。

 わかってんのか!?つき子先生に対して、どんなにひどい事をしたのか!」


 先生の声は低く大きく僕の心を抉る。


「沢田の事もだ!

 お前が筆箱を無くしたくらいで大騒ぎするから!あいつはみんなに謝らなくてはいけなくなったじゃないか!

 沢田はんだ!

 勉強も運動もできるし、クラスを纏め上げることもできる優秀な子供なんだぞ!

 

 お前が!沢田の将来性を握りつぶしたんだ!下らない事で!

 大体な!

 沢田には、お前のバカな親達みたいな甘やかしてくれる両親はいないんだ!

 可哀そうなんだ!同じ小1なのに物凄く苦労しているんだ!

 なのにそんな可哀そうな友達を!お前は!思いやれないのか?

 ホントにお前は卑怯な男だな!

 先生はそう言う男は嫌いだ!

 つき子先生もお前が嫌いだと怒っている。

 恨んでいる!怒っている!

 お前が筆箱なんか無くすからだ!バカ野郎!これからは他人に迷惑を掛けないように!きちんと生きろ!

 バカ野郎!!」


 先生の大きな声と共に、ガチャン!と、体の中で何かが壊れる音がした。

 大事な大事な何かが壊れる音。

 悲しい音。


 真っ暗な部屋の中に頭から無理やりねじ込まれて押し込まれたように、息が苦しくて苦しくて、汗がいっぱい出て…。気づいたら…用具室で僕は汗まみれのボールを抱きしめて立っていた。

 体育館にはもう誰もいなかった。


 静かな体育館がまるで異世界の様で、怖くて…音もしなくて…僕は足を踏み出すのが怖かった。


「にゃーん」


 体育館の開いているドアの向こうの光の中に、猫がいた。白い猫。


 あれはトキだったんだね。

 

 トキが鳴いてくれたから、僕はダッシュで走って魔境のような体育館を出ることができた。脱出できた。

 あの時の氷のような床を走る感覚を思い出し、僕はぎゅっと唇をかみしめた。


 先生が怖い。沢田君が怖い。つきこ先生が怖い。体育の先生が…みんな怖い。他の先生達もすれ違いざまに舌打ちしたり、ため息ついたり、「最低な子供」と囁いたりする。


 僕が何をしたの?

 僕は筆箱を取られただけなんだよ?

 なのにどうして全部僕が悪いの?

 悪い事をしたのは沢田君達じゃないの?

 なにに先生達はみんな沢田君達ばかりを助けるの?


 可哀そうな子だから?

 僕が沢田君よりバカだから?

 体育ができないから?

 いつも先生が気分がよくなる言葉を言えないから?


 だからなの?


 ざりっ!と、額をトキが痛いくらいに舐める。僕は顔を顰めて目を開けた。トキの青い目が笑う。


「誰がそんなことを言ったんだい?」


 先生の声に僕ははっ!とした。


「つきこ先生は君が嫌いだと。つきこ先生が言ったのかい?」


 僕は首をふる。力なく振る。


「ううん。つきこ先生は何も言わないよ。だだ僕を睨むだけ。言ったのは、体育の先生。あとサッカーのコーチ。沢田君とか外の先生達。僕が筆箱無くして先生を困らせたから、僕が悪いんだって」


 何かを言おうとしたお母さんを制して、先生がニコニコして言う。


「違うよ。隆君のせいなんかじゃないよ。

 筆箱は盗られたんだろう?ランドセルの中からこっそり。それは君のせいではない。先生達が間違えているよ」


「先生は間違えないんだよ?先生だから」

「いいや。先生も間違えるよ。先生より年上の私も間違える。お父さんもお母さんもおじいさんも。みんな間違える。

 でもね、間違えるのは悪いことじゃない。失敗は成功の元って言うだろう?」


 先生はにこりと笑うと真面目な顔をした。


「いけないのは、間違いを間違いと認めない事。

 そして自分の間違いを他人のせいにすること。

 そして間違いを責めること」


 壊れた何かが…スローモーションのように…ひゅーーんと動いた。黒い床に粉々になった綺麗なガラスの器が、ひゅーん!と戻り、かちりかちりと繋がる。

 

「隆君。君は間違えていない。だよ?君は悪いことをしていない。君は被害者なんだ。怖い事をされたほうなんだ。

 だから君は堂々としていればいい。今までの君で自信を持っていればいい。

 ただ…悲しいけど、嫌な事を平気で言ったりする人もいる。子供の中にも大人の中にも。それはどうにもできない。

 そして、起こった事は元に戻すことはできない。悲しい事も悔しい事もなかったことにはできない。

 でも、それをね、隆君の中で消化…少しづつ忘れることはできる。難しいけど、少しづつ少しづつ。

 あの筆箱の事は少しづつ忘れていこう。新しい筆箱を大事にしてあげよう。その可哀そうな筆箱は、君の心の中にそっと寝かせてあげようね。

 がんばったね。ありがとうねってお礼を言ってね」


 ヒビが入った僕の心の中のガラスの器。

 ぼろぼろの筆箱。


 お父さんは警視庁から持ってきた筆箱は見せてくれなかった。

「見なくていい」

 そう言ったけど…僕は僕の筆箱を見たかったんだ。


 ごめんねを言いたかったんだ。

 守ってあげれなくてごめんね。

 ぼろぼろにしちゃってごめんねって…。


 筆箱なんだけど…言いたかったんだ。そういうことを言うのはおかしいって、バカだと沢田君とかつきこ先生は言うけど…言いたかったんだ。


 言ってもよかったんだね。


「うん」

 僕は急に滲んでぐちゃぐちゃになってきた天井の木目を見ながら頷いた。

 

「少し寝なさい。そしてこれからは外に出るときは大人と一緒にね?あと帽子を忘れないように。水筒も。夏の太陽は素敵だけど、怖い時もあるからね。上手に付き合わないとダメだよ?」

 うん、と僕は頷く。先生はトキの舐めた額を優しくなでて、「お休み」と言った。

 すとんと僕の意識は落ちた。



「たかし」

 気づくとおじいちゃんと綺麗な海岸を歩いていた。


 どこの海だろう?白っぽい砂浜は、九十九里の砂浜やおじいちゃんの家から行ける海のじゃないね。あそこは灰色の砂だもん。この砂浜は写真やネットで見る南の海の砂浜に似ている。

 

 足元にはトキもいる。


 ざぶーん、ざぶーんと綺麗な海の水が、いろんな泡を立てて形になって僕達の足元を洗っていく。


 くすぐったい。


 トキは波が来ると、ぱっ!と、跳ねるように逃げる。上手に逃げる。

 空を見上げると太陽がぎらぎらしている。今度はちゃんと上手に付き合うんだ。そう僕は思う。ぽすっ!と、おじいちゃんが大きな麦わら帽子をかぶせてくれた。


「たかし」


 おじいちゃんが砂浜から離れた土の部分を、木の板みたいなので掘りだした。そしておいでおいでをする。傍に行くと、赤茶けた土の中に、大きな穴が開いていた。


「それ、ここに埋めな」


 気づくと僕は両手でボロボロに壊れた筆箱を持っていた。大事そうに抱きしめるように持っていた。蓋は引きちぎられたように外れ、本体も何かに踏みつけられたようにバキバキに壊れている。

 僕は悲しい思いでいっぱいになる。


「ここに埋めな。寝かせてあげな」


 そうか、これは筆箱のお墓なんだな。僕はそっと屈んで筆箱を穴の中にいれた。少し暖かい居心地のいい湿気が手に伝わってきた。

 おじいちゃんとトキが、ざっ!ざっ!と土を掛けていく。トキは前足で器用に土を手繰り寄せ、おじいちゃんは木の板で。僕も両手で、そっと土を掛け続けた。


 そして、おじいちゃんはにやりと笑うと、丸く黒い小さな何かを数個見せて、完全に埋まる前の穴に入れて、また土を掛けて、ぱんぱん!と板で叩いて綺麗にならした。


「今のは何?」

 ふふふんとおじいちゃんは楽しそうに目を細める。


「悲しい事、辛い事、嫌な事は全部、土と太陽と雨と風が綺麗にどこかに流してくれる。あとはな、この丸い種が大きく育って、やがて美味しい実になるんだ。凄いだろう?」


「ええええ?筆箱が?美味しい実になるの?それ、食べられるの?」


 なんだか鉛筆や消しゴムのゴムの味がしそうだというと、おじいちゃんはカラカラと笑う。


「食べれるさ!太陽の光と風の綺麗な空気と、優しい雨のキラキラを沢山吸って大きくなった実だ!嫌な事は全部なくなって、たかしとのキラキラした思い出だけが残るんだ。甘くて美味しいぞお。次に来た時には食べれるぞ。楽しみにしてな、たかし!」


「うん!」


「それとな、を忘れずに飲めよ。暑い日には特にな。疲れた時や悲しい時でもいい」

「ほうらいの水?」


「そうだ。甘くて酸っぱくて美味しい水だ。栄養満点だ。あとな、さんめいたんもいいぞ」


「さ・・・さんめい???」


「ははははは!まあいいさ。ほうらいの水を忘れずにのめ。そして見つけられたらさんめいたんだ」


「うん…わかった。でもほうらいの水はどこにあるの?」


 おじいちゃんはゲラゲラ笑って言う。


「冷たい水は冷蔵庫にあるもんだ。冷蔵庫をみてみな。太陽が溶け込んだ水が必ずある。見つけろ!たかし!」

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蓬萊のトキ 高台苺苺 @kakyoukeika

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