平安時代並に不便すぎる!

羽間慧

平安時代並に不便すぎる!

 昔、男子高校生ありけり。名をば、久津野くづの春樹はるきとなむ言ひける。


「やっぱ、こんなん役に立たねぇよ」


 現代語訳を書き写していた手をほぐしながら、俺は不満を吐き出した。


「自分の着ていた服の裾を破って、一目惚れした相手に送るなんてキモすぎんだろ。いっちょまえに和歌を詠んで、ナルシストか。和歌もオリジナルじゃなくて、他人のパクリだし。初対面で手紙を贈っても、ゴミになるだけじゃん」


 鉛筆でノートを取っていた時代は、炭素の粉が付着して手のひらが黒くなっていたらしい。タッチペンで板書する今、そうした悩みは減った。だから、教師の書いたままタブレットに書き写さなければいけないところも改善されるべきだ。めんどくさいものを楽しんでやる奴の気が知れない。ホワイトボードに教師が書くから生徒も右に習え、なんて馬鹿馬鹿しい。


「はっちゃんは文句ばっかりだね。放課後に私のタブレットを写すのは手間じゃないの? 授業で少しは写していたら、全部書かなくていいのに」


 幼馴染の琉夏るかがタブレットを取り返そうとしてきた。俺が抵抗すればするほど、琉夏のポニーテールは振り回される。当たったら痛いんだから、そんな凶器しまっとけ。


「邪魔すんな。書こうとしたら、すぐ消されんの。部活まで暇を潰せるんだし、そう怒んなよ」

「はっちゃんが書こうと思い立つまで、遅すぎるんだよ。ぼーっとする時間、絶対いらないと思うんだけどな」

「絶対にいらないのは、古文の勉強だろ。なーにが『千年前の人と同じ失敗をするかも』だ。しねーよ、そんなだせぇこと。ラノベじゃあるまいし、平安時代にタイムリープするなんて、ご都合主義が起きてたまるか」

「へぇ……」


 居心地の悪い沈黙に、俺は顔を上げた。頬をぷくりとさせた琉夏と目が合う。


「羽間先生がかわいそう。はっちゃんみたいに、素直に勉強してくれない生徒が多くて。古文の面白さが分からないって、本当に文系? もう十一月なんだから、少しは前向きに授業受けなよ。来年の今頃は推薦入試で落ちて、魂抜けてるかもしれないんだから」

「はぁ? 現代語訳を書き写しても、頭の中に全然入って来ないんだぞ。時間の無駄じゃねーか」

「テキトーに音読してるから、頭に入ってくるものも通り抜けちゃうんでしょ。一年生のときに『孟子』でやったよね。人を愛する者はいつも誰からも愛されて、人を尊敬できる人は誰からも尊敬されるって。誰かを雑に扱う人は、だんだん見向きもされなくなっちゃうよ。いつまでも叱ってくれると思ったら大間違いなんだから。私がはっちゃんの面倒を見るのも、当たり前じゃないんだよ?」


 幼馴染からの最後通告は、耳にたこができるまで聞いた。結局、琉夏は子離れできない親と同じなんだ。女子バレー部がオフでも、男子バスケ部が終わるまで待ってくれる。はっちゃんと買い食いして帰りたいからと言って。


 彼女は知らない。俺が琉夏とキスする妄想を何度も繰り返していることを。


 親友以上恋人未満の関係は変わらない。好きだと告白する場面が分からずにいるから、腐れ縁が続いてしまう。


 思えばここがターニングポイントだった。十三年間続いた世話好きおかんの役割は、この瞬間を持って終わりを迎えてしまったのだから。


「今日もタブレット見せてくれてサンキュ。部活行って来る。女バレは体育館だよな。俺は準備運動がてら、スポセンまで走らなきゃ」

「いってらっしゃい」


 はっちゃん、忘れ物ない?


 いつもなら琉夏が確認してくれていた。だが、琉夏に任せきっていた俺に、机の中を見る意識はなかった。




 □■□■




 スポーツセンター略してスポセン。陸上競技部以外の運動部は、体育館とスポセンを交代で使う。琉夏とは、早く練習を終えた方が移動して待つ約束だった。


 付き合ってもいないのに変とか、互いの恋人作りのためにも終わりにするべきとか、外野には口うるさく言われてきた。親友と帰る楽しみを奪う理由にはならないってのに、どうも男女の友人関係を疑う傾向が強いようで。


 部活指定のトレーナーに着替えた俺は、ロビーで琉夏を待とうとした。廊下を歩いているとペットボトルが差し出される。マネージャーの平井深冬みふゆだ。つぶらな瞳は、カラコンをつけていると錯覚してしまうほど輝いていた。部内では「全国大会優勝するまで平井さんとの抜け駆け禁止」が暗黙の了解と化していた。近くで会える皆のアイドル。


「春樹先輩、練習お疲れ様です。今日は朱績しゅせき先輩まだなんですね。女子バレー部は早く練習終わったって友達から聞いたんですけど。寒いんで、ホットココア飲んでください。風邪をひいてさ来週の大会に出られないなんて、なしですよ?」

「おぅ。ありがとう、平井さん」


 ほかの部員がいないことを確認し、俺はペットボトルを受け取った。未開封らしく、ふたはすぐに開かない。


 久津野なんてダブらない苗字であるにもかかわらず、平井さんは初対面のときから下の名前で呼んでくれる。


 ――響きが『くずの先輩』なんて、悲しいじゃないですか。下心ないですからね。勘違いしないでくださいよ。


 後半の言葉は聞きたくなかったが、優しい子だと感じさせられた。いつまでもガキ扱いしてくる琉夏とは違う。はっちゃんじゃない呼び方にしてほしいと頼んだことはあるが、やっぱり恥ずかしいと断られた。高二になって幼馴染をちゃん付けで呼ぶ方が恥ずかしいわ。


「春樹先輩。ずっと言いたかったんですけど。深冬、春樹先輩のことが好きです。深冬にも、チャンスありますか?」


 平井さん、なんて可愛い告白なんだ。


 彼女なし歴イコール年齢の俺は、そう叫びたくなるところを堪えた。初めてされた告白に興奮しすぎたら嫌われかねない。紳士的に行こう。


「琉夏はただの親友だ。平井さんと付き合えるなんて嬉しいよ」

「み、深冬もです!」


 平井さんは感極まって、俺の手を勢いよく振る。


「あとで深冬とNINEナイン電話しましょうね! 寝落ちしちゃっていいんで。母が車で迎えに来てくれたので、お先に失礼します」


 俺に頭を下げて外へ出ていく。自動ドアが開いた後、こちらに手を振るところも愛おしい。


「俺に初カノができちまった! 誰に伝えようかな」


 廊下にしゃがみこんでガッツポーズ。リュックからスマホを取り出そうとした俺は、さっきまでの歓喜が嘘のように感じられた。


「ない。ない。ない!」


 学ランにもコートにも入っていなかった。スポセンの更衣室へ駆け込んでも、スマホは見つからない。


「最後に使ったのは放課後か? 部長からの連絡を確認して、そのまま……」


 机の中に入れてしまった。


「急いで学校に戻らねーと!」


 スポセンから徒歩で三十分。走れば生徒下校時間までに間に合うはずだ。最後の力を振り絞って、夜の通学路を疾走する。


「ちっ。もう昇降口が閉められてる。職員室も電気ついてねーし。今日が金曜日じゃなかったらよかったのに。まずい。どうにかして平井さんに言わなきゃ」


 NINE電話ができないことを伝えなければ、応答できない学校で鳴るだけだ。


 俺はタブレットを開く。学校が設定したメールアドレスなら、名前を入力しただけで検索できる。


「平井深冬っと。は? 同姓同名がいるのか? しかもこの番号、どっちも一年生じゃねーかよ! 使えねーな!」


 学校支給のタブレットは、管理者の認めたアプリしかインストールできない。NINEも、ほかのSNSも。


「平安時代並に不便すぎる! 住所も連絡先も知らない。知っているのは顔と名前だけ。おまけに明日からは、テスト週間で部活動禁止だろ? 月曜まで弁解できないっていうのか? せっかく付き合えたってのに!」


 たった三日の空白期間で、俺は初カノに振られてしまうかもしれない。「やっぱり春樹先輩は名前の通り、くずの先輩ですね」なんて捨て台詞を吐かれて。


「いやいや『スマホを忘れるなんて、おっちょこちょいな先輩ですね。好きです!』的な展開があるかもしれないだろ。あきらめるな!」

「分かってないなぁ。待つ方がつらいんだよ」


 ギャァァァァァア!


 誰もいないはずの学校に響く声。幽霊以外の何者でもないだろう。


「うるさいよ、はっちゃん。近隣住民から学校にクレームが入っちゃう」


 耳を塞ぐ琉夏に、俺は苛立った。


「うるさいのはそっちも同じだろうが。急に声かけんなよ、琉夏」

「はっちゃん人のせいばっかり。注意された先生に反抗するせいで、毎回無駄な時間を過ごしているんだよ。私が『奥さん、春樹の手網を握らなきゃだめだよ』って、かわかわれてるの知らないでしょ」

「悪い。そんなこと言われてたのか」


 デリカシーのない発言に、秒で謝った。


「俺らはただの幼馴染であって、夫婦じゃないのにな。おかんとダメ息子はあてはまるかもしれないけど」

「ほんと、うちの子は反抗期で手が焼けるよ。なーんてね!」


 琉夏は朗らかに笑い、カバンに手を入れた。


「今日も教室にスマホ忘れてたよ。早く彼女さんに返信してあげて。私は先に帰っとくからさ。どーぞ、ごゆっくり~!」


 スマホを渡して足早に去ろうとする琉夏を、俺の手は無意識に掴んでいた。


「離してよ、はっちゃん」

「泣いてる琉夏を放っておけるかよ」

「泣いてない」


 嘘つけ。顔を見せてくれないのが一番の証拠だ。


「仮に泣いてたとしても、はっちゃんには関係ないよ。失恋の悩みを相談されて真面目に答えられる?」

「それは無理……だけど、琉夏の力にはなりたい」


 幼いころから一緒に育ってきた、かけがえのない存在として。


「ずるいよ、はっちゃん。私はもう、幼馴染とか親友の関係性でいるのがつらいのに」


 体臭がキツいと言われたときよりも、メンタルが切り裂かれた。


「そうだったのか? 琉夏に甘えすぎてごめんな」

「ううん。甘やかしすぎた私のせい。そのせいで、はっちゃんにおかんとしか認識してもらえなくなったし。私のこと、恋愛対象として見られないでしょ?」


 琉夏を掴んでいた手が離れた。


 俺のことが好き? 一体いつから?


 予想外の言葉に、思考が働くのをやめた。


「こんなこと、はっちゃんに話すつもりなかったのに。聞かなかったことにして」

「忘れられるかよ。琉夏の泣き虫」

「泣き虫じゃ、ないもん」


 振り向かなくても、唇を噛み締めていることは分かる。そんな琉夏の髪を撫でるのが、俺の役目だった。


「言い忘れてた。俺のスマホ、勝手にロック解除したな? 彼女ができたって誰にも言ってないんだぞ。平井さんからNINE来てたんだろ」

「違う。本人から直接DMが来たの。『朱績先輩の大切な幼馴染は、深冬に任せてください』って」


 証拠を見せられ、空いた口が塞がらない。

 あの虫も殺せなさそうな平井さんが、裏では嫉妬に満ちていただと。女子のマウントこえーよ。


「はっちゃんのことを思ってくれる女の子を、大切にしてあげて。じゃ、邪魔者は退散するね」

「待てよ、琉夏。俺が一番大切にしたい女の子は、お前しかいないんだぞ。勝手にいなくなるな」


 琉夏の肩が震えた。


「口説き文句が他人のパクリなんて、かっこわる」

「命拾いしたな。家庭科で使った針があったら、その生意気な口を縫いつけていたぞ」

「幼馴染に対してひどい!」

「琉夏だから言えるんだ。かっこわるいところも見せてきた幼馴染だけには」


 互いの黒歴史を知っているんだ。琉夏に引かれる過去なんてない。ただし、これからの行動による。


「好きだよ、琉夏。いつから好きになったかなんて覚えてないけど、俺はずっと片思いだと思ってた。平野さんの告白をオッケーしたのは、やっと琉夏を忘れられるって楽な道へ逃げたかっただけかもしれない。そのツケは払うよ。平井さんにちゃんと話す。琉夏をあきらめきれないから、平井さんとは付き合えないって」

「私と付き合うから別れる、じゃだめなの?」

「琉夏に逆恨みされてたまるかよ」


 そういうところだよと袖を掴まれたが、心当たりは何もない。スマホをポケットから出そうとした俺の手は止まった。


「どこやったっけ……?」

「落としたの? どんくさいなぁ」


 小枝を踏んだような音に、俺と琉夏は顔を見合わせる。


「はっちゃんのスマホって、画面ヒビ入ってたよね」

「うわっ。これ、修理で済むのか?」


 再び連絡手段が途絶え、俺は頭を抱えた。


「こうなったら仕方がないね。はっちゃんが三日続けて会いたいと思った人を選んでよ。私も平井さんと同じように、帰宅したら月曜日まで音信不通でいる」

「それ、今日の古典で聞いたな」

三日夜みかよ通い。平安時代の婚姻儀礼だね。私は走って帰るけど、追いかけて来ないでよ。はっちゃんが嫌なんじゃなくて、手を握るのを我慢できそうにないだけだから」


 一人取り残された俺は、割れたスマホを拾い上げた。平安時代じゃなくても、恋のめんどくささは変わらないようだ。




 □■□■




「おばあちゃん、かっこいい!」


 俺が畑から帰ると、昔話に目を輝かせる女の子がいた。


「でも、昔のおじいちゃんやだー! 練習が終わったおばあちゃんを、外で泣かせたんだよね。大事にしてないじゃん!」

「そんなことないよ。泣かせたのは後輩だし、学校近くのコンビニで先生に愚痴を聞いてもらっていたから大丈夫。春樹が私のことを選んでくれたから、あなたが生まれたのよ」

「三日間待たされたのに?」

「たとえ記憶がなくなっても、あの三日間は忘れられないわね。はっちゃんの気持ちが変わりませんようにって信じてたけど、不安な気持ちがない訳じゃないもの。信じられたのは……私だけの秘密」


 何十年と過ごしても、彼女の魅力は増すばかりだ。


 俺はずるいずるいとむくれる小さな頭を撫で、火照る頬を孫の体温のせいにした。

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