第40話

 湖につきました。

 湖面に白い雲の様な霧が立ち込め、朝日を受けてオレンジ色に輝きながら揺れています。


「湖が、光ってもやもやしてる。なあに?」


「“けあらし”だよ、急に空気が寒くなったからさ。冬になっても湖の水はまだ暖かい。それで立ち上る湯気が冷えて霧になるんだ。

 周りの木を見てごらん、霧の水分がくっ付いて霜になってる。霧氷っていうのさ。綺麗だろう?そのうちに北風に雪が吹きつけて、でっかい雪のスノーモンスターになるんだよ。


 まだ気温が高いから降るのは雪水比の多いぼたん雪だ。昨日積もった雪はたぶん昼には融ける。根雪はまだ先だ。

 でも、あと一月ほどで雪が変わりサラサラの粉雪が降る。ぼたん雪の二倍の速さで降り積もり、ひどい時には、一番上の五番目の窓を超える時もある。


 そうなったら、もう外には出られない。あの温泉池の洞窟で、満月六回分の時間を、みんなで夏の思い出話をしながら春を待つしかない。

 だから今日のこの景色もしっかり心に焼き付けて、何度も思い出すんだよ。それが冬を凌ぐ唯一の楽しい方法なんだ。特に雪ちゃんは思い出の数が少ないからね、外に出られるうちに沢山のものを見ておきなさい」


「「はい」」

 五つ窪みと雪ちゃんは揃って良いお返事をしました。


 やっぱり鋼さんはすごい。改めて思う五つ窪みでした。




 3. 湖の全面結氷


 鋼のつけた印が四十を超えた寒い朝のこと。


「おい五つ窪み、今日は外に出るぞ」

 鋼が、寝ていた五つ窪みと雪ちゃんを起こします。


「ええ〜今朝はすごく寒いですよ。どうして?」

「良いから、凄いものを見せてやるよ」


 ベールに包んだ雪ちゃんを入れて、五つ窪みは鋼についてまた湖につきました。


「さぁ見てごらん。昨日の寒さで湖が全部凍ったんだよ」


「す、凄い!」

 五つ窪みは息を飲みました。いつもは揺れている湖面がぴたりと止まり、世界の真ん中に、世界一大きな鏡ができて、そこに青空がもう一つ逆さまに写っていたのです。

 空の白い雲が、上と下、同じ姿で、北から南へと風に乗って動いていきました。


「さあ、滑るぞ。冬の初めだけのお楽しみだ」


 そう言うと鋼は、薪を割る時の小型のナタの刃の方を、凍った湖に置き、ヒョイと乗ると湖を滑り出したのです。踊り子ならではの凄いバランスです。


「キャーッ。 凄い、凄い、私もやるー!」

 雪ちゃんが外に出ようと暴れます。


「雪ちゃんはダメ!寒くて死んじゃうよ」

 五つ窪みは必死でベールを抑えます。今日は五つ窪みだって震えるくらい、本当に寒いのです。鋼だって、温泉のお湯を満杯に体に入れて居るから、動けるのです。


「そうだよ。外に出たら雪ちゃんは割れてしまうし、五つ窪みは重すぎて氷の方が割れる。

 氷の上で舞えるのは、氷が割れて落ちても死なない、僕みたいなタフなカップの特権さ。そこで見ていたまえ」


「ああん、悔しいー」

 雪ちゃんが暴れるので、五つ窪みは湖に落ちそうになって、湖の周りに咲いていた氷の結晶達フロスト・フラワーを踏んで、転びそうになりました。危ない、危ない。

 鋼は朝日の中で、氷の上を滑り出しました。湯気のベールを引きながら、クルクルと氷の上を滑り続ける鋼は、ほんとうに綺麗でした。


「鋼さん素敵……」

 暴れていた雪ちゃんが、今はただ見惚れています。


 湖の上に、南北に一直線に並ぶ氷の下の丸い泡の柱をS字で回りながら、南の城の池まで行くと、踊り子たちの歓声がわき、オオジロと萩さんが取っ手を振っているのが小さく見えます。お城の池でくるくるとひと踊りして、鋼は戻ってきました。


「氷が張った日にやる年中行事だよ、みんな冬に閉じ込められて退屈してるからね。これができるのは一冬で一日か二日だけ。多分明日には雪が積もって滑れなくなる」

 南北にまっすぐ続く、氷の下の泡の柱の上に立って鋼がそう言いました。


「鋼さん、素敵」

「そうだろ。尊敬しろ」

 雪ちゃんの言葉に、鋼が満足そうに息を吐きます。


 五つ窪みはちょっと悔しくなりました。

 でも鋼さんと雪ちゃんが、仲良くなってくれそうなのが嬉しくもあったのです。


「ところで、鋼さんの下にある、動かない泡の柱みたいなのは何? 初めて見たんだけど」

「ああこれかい、氷の泡柱アイス・バブルと言うのさ。夏に湖に潜った時、湖底から泡が出ていたのを見ただろう」


 五つ窪みは思い出しました。まだ水汲みになれなかった頃、バランスを崩して湖に転がり落ちて、一番深いところまで転がったことがあるのです。

 その時、北から南へと湖底から登る、小さな泡の列がまっすぐ伸びていたのを見たのです。

 この線はなんなんだろう? 鋼さんに聞いてもその時は教えてもらえませんでした。


「湖の底から湧いて来る泡が、氷に閉じ込められて、順番に泡の柱の様になる現象さ。

 オオジロが昔硯さんに聞いた話だと、あの人はこのテーブルの世界を終わらせる時『二つに畳んで終わらせる』と言ってたそうだ。その時の折り目から、泡が漏れて来るらしい」


「世界を二つに畳む?」

 それは、とてつもなく恐ろしいイメージでした。その時、テーブルの上にいるカップ達はどうなってしまうのでしょう? みんな滑り落ちて、あの黒い淵に落ちてしまうでしょうか。


「怖い話だろ? だからあの時は教えなかったんだ。そろそろ陽が高くなる、氷が溶けるといけないから北山に帰ろう」


 その日、冬なのに大きな入道雲が湧き上がり、ドーンと大きな雷が落ちました。雪ちゃんが悲鳴をあげ、慌てて五つ窪みの中に逃げこみます。


「雪起こしの一発雷だ、大雪が来るぞ。根雪の入りになる。いよいよ冬の本番だ」

 鋼が雲を見てそう言いました。


 やがて雪が降り出しましだ。一晩中ずっと降っていました。





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