十四.実現
物件の引き渡しまで一ヶ月近くかかったが、その間に亜美と私はテリーの設計図と計画書に沿って着々と準備を進めた。
テリーは凄い。内装はもちろん、調度品ひとつにしても、値段や入手先、施工業者や仕入れ先まで全てリスト化してあり、本当にもう資金の部分だけというところまで突き詰めて、全ての準備を整えていた。普段はちゃらんぽらんな風に見せていたが、亜美が言っていた“意外としっかりもの”のレベルじゃなく、堅実な経営者としての才覚を持っていたのだ。私たちは設計図と計画書に沿っていくだけで良かったので、これだけで開店への不安はずいぶん吹き飛んだ。もちろん、資金面の不安がなかったこともあるが、テリーがいる時にこの状況を作ってあげられたらどれほど喜んだかと思うと、悔やまれる。だが、今言っても仕方のない事だ。Terry'sを開店させて、三人で守っていくのだ。しっかり意志を引き継いでいこう。
妊娠五ヶ月になった。初産だと六ヶ月くらいでもあまりおなかが目立たないと言われていたが、体重も増えたし、横から見ると結構出てきているのがわかる。この前、お風呂上がりに亜美にも言われたが、おっぱいが少し大きくなってきた。まぁそりゃそうだという話だが、授乳期が過ぎたら戻る、下手すりゃ垂れると思うと、どうにかMax状態を維持できないかと考えた。まぁどうでもいい。
我が家は相変わらずだ。亜美はTerry'sの開店に向けて黙々と作業を進めている。最近は深夜に帰ってきたりするので身体のことが心配だが、スイッチが入った亜美は強い。一切弱音を吐くことなく、愚痴も言わず、ただ真っ直ぐに実現へ向けて突き進んでいる。亜美が頑張る姿に、私も哲也も気合が入った。
なんとかクリスマスまでに開店させようと決めていたので、何もかもが急ピッチで進んでいく。私は身重な体とはいえ、出来る限りの手伝いをした。食品衛生責任者と防火管理者も私が受講して取得済みだ。
哲也は娘の誕生を待ち侘びながら、これまで以上に仕事を頑張ってくれている。今更だが、二十四時間勤務して、翌日休みという勤務体制なんて、民間企業ではそうそうあるもんじゃない。あの萩原さんっていう刑事さんが言っていたのを思い出す。
“警察官の間は二十四時間勤務が基本だけど、刑事になったからってそれが変わるわけじゃない。二十四時間三百六十五日、非番も関係なく、いつでも出動できるようにしているのが警察だからね”
哲也が警察官だとわかってから改めて思うが、ずっと一緒にいるのに、彼の仕事を知らないとか、今考えると変な話だ。でもそれは、それだけ哲也に対する不安感や不信感が無かったのだと思う。やっぱり哲也って凄いな。
あの夏、海の家のアルバイトで、もし彼と出逢っていなかったら、私は幸せを掴むことなどできなかっただろう。この運命に心から感謝している。
哲也を愛している。
出逢ってくれて、愛させてくれて、ありがとう、哲也。
十二月十日。
Terry'sの開店日を決めた。
「よし、十二月二十四日、クリスマスイヴにしよう」
「うん、それでいこう」
亜美がサインボードに日付を入れた。哲也がお店の正面に立って写真を撮る。あと二週間で開店だ。
外装工事が終わり、内装もほぼ整った。テリーのイラストを何度も照らし合わせて、ほぼ完全に再現することができたと思う。
亜美にテリーが書いてくれたフードメニューを実際に作ってもらった。完璧だった。テリーの料理で印象深かったのは、塩加減だ。絶妙としか言いようがない、素材の味を引き立てる味付けの技は、亜美が完全にマスターしていると言えた。しかも、亜美は自分でオリジナルメニューまで考案していたのだ。ここまで出来れば、フードメニューはテリーと亜美の合作であり、亜美は立派なシェフだと思う。愛の力は凄い。つくづく思った。
もう一つ、サーフショップというくらいだから、ボードのメンテナンスや用品の販売などもあるのでどうしようかと思っていたが、亜美の友達、真莉がサーフィン仲間を紹介してくれて、経験者の女の子を二人雇うことにした。ここも亜美とテリーの合作だ。亜美は店長、シェフとしてお店に入るが、サーフィン関係の実際の作業とフロアなどはこの二人がやってくれる。
さらに嬉しかったのは、二人ともテリーを知っていたことだ。麻莉経由でこんな偶然があるとは思っても見なかったが、テリーの人脈の広さと人望だろう、声をかけると“テリーのために働きたい”と言ってくれた。
テリーの人柄が店を成功へ導いていると感じた。本当に凄い人だ。心から誇りに思う。あと二週間。いよいよだ。
翌日。
夕方になり、亜美と二人で夜ご飯の支度をしていた。
そろそろ妊娠七ヶ月。家事をしていてもおなかが重くて動きが鈍る。ここまで来るとさすがにおなかが出っ張っているので、哲也も亜美も一日に何十回と触ってくる。部屋着にしているパーカーのおなかのところがやたら毛玉になった。まぁ幸せな愚痴だ。
電話が鳴った。ドキッとした。哲也からだ。嫌な予感がする。
「もしもし・・・はい・・・えっ・・・はい・・・」
警察署からだった。哲也が勤務中に交通事故に巻き込まれて怪我をしたらしい。恐怖心が襲ってくる。亜美が私の様子を見てすぐに電話を代わってくれた。
「はい・・・はい・・・わかりました、すぐ行きます」
亜美が電話を返しながら言う。
「大丈夫、腕を骨折したけど、命に別状ないって。今、病院にいるから迎えに行ってあげて欲しいって。大丈夫だから安心して」
良かった。身体から力が抜けた。普段の連絡はほとんどメッセージなので、両親の時も、テリーの時も、亜美の時も、電話が鳴ると恐怖で身体が竦んでしまう。怖くて仕方がない。
命に別状はないと言われても、骨折しているのだ。大丈夫なんかじゃない。顔を見ないと安心できない。すぐに行こう。
亜美の運転で病院へ向かう。市立市民病院だ。亜美は大丈夫だろうか。思い出して辛くならなければいいが。
病院へ着いた。そのまま救急医療室に入る。哲也が椅子に座っている。私たちに気付いた。
「ごめんごめん、心配かけちゃったよな。大丈夫だよ、折れただけだからさ」
大丈夫と言われて“あぁそうですか”とはならない。涙が出てきた。
「ごめん、ほら、泣かないで、大丈夫だから」
哲也が慌てて宥めてくれる。看護師さんが微笑みながらボックスティッシュを渡してくれた。ほっとして溢れた涙だ。亜美も同じだ。
処置が終わり、荷物をまとめて車に乗った。
とにかく左腕の骨折だけで済んだのは本当に良かった。まぁ哲也は左利きなので、利き腕が使えないのは不便ではあるが、全治二ヶ月で済んだのだから、大事にして早く治るよう協力していこう。
家に帰ってきた。とりあえずご飯にする。
哲也の左腕はギプスで固められている。右手でお箸は使えないし、スプーンやフォークもぎこちない。
「はい、あーんして」
「あ、うん・・・」
「もうあんたたち、見せつけないでよねー」
「だって仕方ないじゃん、パパちゃん一人で食べられないんだもんねー」
「いや、頑張って右手で食べるからいいよ」
「そんなこと言わないで、甘えていいんでちゅよー、はい、あーん」
まぁ遊んでるわけだ。こうなると亜美ものってくる。
「はい、今度はお姉ちゃんが食べさせてあげるからね、あーん」
いい大人が三人、この調子だ。娘が生まれたらどんなことになるのだろう。哲也も嫌なら断ればいいのに、全部のってくる。やれやれ。怪我の功名ってもう少し違う意味な気がするが、もういいや。
今日も一日がなんとか無事に終わりそうだ。明日もいい日になりますように。
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