十三.飛躍
「ここ、どうだろ?」
「どれ?・・・あぁ、でもここだと一本裏に入ったところだから、ちょっと厳しいよねぇ」
「そうだなぁ、テリーのイメージとはちょっと違う感じするもんね」
哲也の意見は悉く却下される。まぁ仕方ない、これでも一生懸命やってくれてるのだ。残念な感じだが、残念だから仕方ない。
家の部屋割りが決まってから、三人で手分けして物件を探した。
三人それぞれが情報を集めて、その日の夜に検討する。私も悪阻がずいぶん治まってきたので、亜美に運転をしてもらって、葉山元町を中心にあちこち探し回った。
いざ探してみると、なかなか“これだ”というところがない。というか、あっても現在営業中の物件なので、当然入居できない。
テリーはお店のイメージを手描きのイラストで遺してくれていた。
アスファルトの細い通り、森戸海岸線だろう。道幅から見ると、もう少し鐙摺寄りだと思うが、あの通り沿いなのは間違いなさそうだ。
店を正面から捉えたイラストもある。木製の青いフレームのガラス戸が八枚並んでいて、店の前には白いデッキチェア。その上にTerry'sと書かれたサインボードが置いてある。
幅の広い、白いひさしの先には、テリーが自分の車にもつけていたコルク栓の飾りがぶら下がっている。もちろん繋いでいる紐は青空色だ。瑠璃唐草をこよなく愛していたテリーらしい。
店内がわかるように、近い位置から描いたイラストもある。
ロングボードがガラス戸の裏に三本、その脇にボディーボード、なぜかキックボードもある。店の左側は路地になっていて、空いているところにうまく停めれば一台分の駐車場になりそうだ。店内の左側の壁にはFendrのTelecasterというギターが飾られている。
亜美が教えてくれたのだが、テレキャスターというこのギターの愛称が“テリー”だそうで、テリーは弾けもしないのにこのギターを買って、後から一生懸命練習して弾けるようになったそうだ。そういえばいつだったか、この家で飲んでいる時に、テリーが一曲弾くと言ってこのギターを出してきて、フレンズのフィーヴィーのような斬新すぎる演奏を始めたので、みんなでクッションや空き缶を投げて止めさせたことがあった。それ以来このギターを見ていなかったが、ちゃんと未来絵図の中には描いていたのか。飾るだけなら斬新な演奏は必要ない。ぜひ実現させてあげよう。
店の右奥に厨房のようなスペースがある。カウンターと続きになっているので、ここがテリーの調理場になる予定だ。あの料理、センス、彩も含めて、私たちが超えられるとは思っていない。店を開くまでに調理師も探さなければならない。
「亜美、知り合いに調理師いる?」
「なんで?」
「なんでって、テリーのメニューをできるだけ再現しないと」
「あたし作れるよ。全部教えてもらったもん」
「え?あんたそんなに料理できたっけ?」
「練習したもん。いっぱい教えてもらったよ。そっちの紙の・・・あ、これこれ。これ全部作れるよ。一生忘れないもん」
さすがだよ、テリー。そこまで進めてくれていたんだね。念のため、あとで実際に作ってもらおうとは思うが、今の亜美なら大丈夫。テリーの意志を引き継ぐことで亜美は生まれ変わったと言っても過言じゃない。
あとは食品衛生責任者と防火管理者だが、これは私がやればいい。どちらも講習を受けるだけなので、身重の私でも大丈夫だ。
とにかくまずは物件だ。
「テリー、なにか言ってなかった?この辺のどこの物件が良かったとか。ここまで具体的に描いてあるんだから、何か見当をつけてたように思えるんだよね」
テリーのイラストをもう一度見る。
ん?ちょっと待てよ。海を背にして、この道路幅に、左側に路地がある角地のお店。だがよく見ると左は路地じゃない。奥に家がある。前も少し開けている。Y字路・・・あっ。
「亜美、これさ、もしかしてあそこじゃない?あそこのY字路があるところだよ、元町のバス停のちょっと先、右に入る路地のところ」
「あ、あそこだ。思い出した、そうだよ、そこだよ。テリーがお店の話をし始めた頃に、二人であの辺りを散歩してたら、ふと立ち止まってぼーっと見てたから、どうしたの?って訊いたの。なんでもないって言ってたけど、テリーのイメージに重なる場所だったのかもしれない」
間違いない。鐙摺側から来ると左手に別れるY字路のところだ。でも、たしかあそこは何かのお店があった。テリーのイメージにはまっていても、使われている場所であれば諦めざるを得ない。だから諦めたのか。いや、自分の目で確認したほうがいい。
すぐに車で向かった。
「亜美」
「うん」
間違いない、ここだ。
何度も通っている場所なのに、森戸海岸線からほんの数メートル入っているだけで、こんなにも簡単に見落とすものなのだろうか。
その場所には古くから続く店舗があった。だが営業していない。シャッターが下りたままで、貸店舗・テナント募集中と書いた板が貼られていた。テリーは物件を見つけていたのだ。
板に書かれている不動産屋に電話を入れてみた。半年ほど前に問い合わせがあり、資金の調達に時間がかかると言って、そのままになっていたらしい。おそらく、テリーだろう。不動産屋に事情を話して、その足で向かった。
「あの人、一生懸命仕事してお金貯めてたんだよ。私、管理するの手伝ってって言われてたから、銀行口座とかも全部預かってるんだけど、残高は200万くらいなんだよ。店舗を押さえられても、内装、外装入れたら全然足りないし、それで今は無理だって諦めたんだろうな。あー私がお金持ってたら良かったのに、なんであたし怠け者だったんだろう。ごめんね、テリー」
資金か。よし!
「亜美、開店資金っていくらくらいかかるの?」
「テリーが書いた計算の紙があったんだけど、大体2,000万円くらいだわ。そんなお金、銀行の融資受けようったって、あたしみたいな人間に貸してくれるわけないもん。お店を開くなんて所詮夢なんだよ」
「あたしが出すよ」
「・・・は?」
「あたしが出すから大丈夫だよ」
「えっ?なに言ってんのよ、2,000円じゃないよ、2,000万円だよ?あんたがそんな大金持ってるわけないじゃん」
「あるよ」
「バカ!それってお父さんとお母さんのお金でしょ!駄目だよ、それは絶対ダメ!」
「違うよ、あたしのお金だから大丈夫」
「えぇ・・・あんたアルバイトでどんだけがんばっ・・・もしかしてあんた、なんか変な仕事してたの?」
これだ。亜美め。仕方ない。話してやろう。
「黙ってたけどさ。去年、宝くじで3,000万円当たったんだよ」
急ブレーキでつんのめる。
「ちょっとびっくりするじゃん!」
「びっくりすんのはこっちだよ!あんたなんでそんな凄いこと隠してたのよ!えぇぇ、3,000万円も当たったの?えっ、馬鹿じゃないのー、やだもうー、馬鹿じゃないの、馬鹿!」
何回馬鹿って言うんだ。まったく。
お金が入ってから一年ちょっと経ったが、結局生活費も大して使っていないので、まだ2,800万円くらい残っていた。そもそもラッキーで入ったお金だ。開店資金を出しても多少は残る。亜美の家に住むことになって、引越し費用も家賃もかかっていないのだから、開店資金を出して残ったお金は貯金して、産まれてくる子供のために使えばいい。それにしたって800万もあったら充分すぎるほどだ。
「えっ、ほんとに良いの?」
「いいよ、家族の夢に使うんだもん、出したいよ」
「ごめん・・・ありがとう・・・」
また亜美が泣いた。めんどくさいやつだが、まぁ可愛いやつだ。
さ、不動産屋に行ってとっとと契約してこよう。
亜美を宥めて先を急いだ。
「ただい・・・あれ?どうしたの?」
哲也が帰ってきた。亜美と二人で出迎えた。驚くのも無理はない。私と亜美が季節外れのクリスマスのようなパーティーキャップを被り、右手にシャンパン、左手に契約書を持っている。そりゃ驚くだろう。
「お店の物件、契約してきたの!」
亜美がハイテンションで叫びまくる。もうこうなると手が付けられない。ま、私も一緒にはしゃいでいるが。
「えっ?ほんと?いいところ見つかったの?」
「うん、テリーのイラストの場所、見つけたの。まだ空いてたから決めてきちゃった。いいよね?」
「もちろんいいよ、良かったなぁ。でも、費用とかは大丈夫なの?」
「それがさぁ、優雨ったら凄いこと隠しててさぁ・・・」
「お前、宝くじのお金使ったの?」
「えっ・・・なんで知ってるの?」
ん?哲也が宝くじのお金のことを知ってる?なんで?どうして?誰にも言ってないのに。あっ、まさか警察官だからって職権乱用してあたしの身辺調査とかしたのか?
「まぁまぁ、それはいいとして、そっか、じゃあいよいよ本格的に準備できるな。よし、今夜は飲んでテリーに報告だ」
「やったぁーTerry'sばんざい!」
まぁいいや、後で訊こう。とにかく今日はパーティーだ。ここからスタートするんだ。Terry's、絶対に成功させて見せるからね。待っててね、テリー。
あ、でも、あたしはお酒飲まないからね。赤ちゃんがびっくりしゃうもんね。大丈夫、ママはあなたが最優先だからね。安心してね。
リビングに飛び込んだ亜美と哲也が、私を待たずに乾杯している。
やれやれ。
翌朝、二日酔いの馬鹿二人はまだ寝ていたが、私はいつも通り六時に起きて、洗濯機を回しながら、朝ご飯の支度をしていた。主婦業はまだまだ未熟だとは思うが、大人が三人いるので、私の体調がよくない時でも全く問題なく日々の家事が進んでくれるのはありがたかった。子供が産まれてからも、これなら不自由させることはないだろう。
もう一つ。哲也と正式に入籍したので、健康保険や手当て類など、さすが公務員という体制で整えられた。
哲也は同棲していた頃、制服関係の衣類は全て警察署で洗濯をしていた。そこまで頑なに隠す必要があったのか?とも思ったが、話してくれたお父さんの教えから決めた自分ルールを、しっかり守ってきたことが素晴らしいと思った。私なんて宝くじの自分ルールを立てたものの、結局守っていなかったし。旦那さんが誠実でしっかりしているのはありがたいなとつくづく思う。私もしっかり家族を守っていかなきゃ。
「どっちだった?」
「聞きたい?」
「うん。いや、駄目だ。いや、うん。どうしよう・・・」
今日、病院へ行ったところ、赤ちゃんの性別がわかったので教えてもらった。で、今は哲也に性別を知りたいかどうか訊いている。
性別を教えてもらった後、先生が言っていた。
「男の人ってね、赤ちゃんの性別を聞くと急にいろんなことをやり出すのよ。男の子だったら車とか戦隊モノのおもちゃとか買ってきたり、女の子だとお人形さんとかミニチュアのお家みたいなのとか。そんなの、生まれたばかりの赤ちゃんじゃわかんないのにね。でもそうやって自分が父親になったことを少しずつ自覚していくの。だから見当違いのことをしても多めに見てあげてね」
今、哲也はその寸前のところにいるわけだ。面白い。遊んでやる。
「おー・・・」
「いや、待って、待ってよ、どうしよう、知りたいけど、知りたくないみたいな変な、あーどうしよう・・・」
「おー・・・」
「いや、ほんとどうしよう・・・あーダメだ、どうしよう」
ふふ。仕方がない。助け舟だな。
「問題。小野妹子は・・・男性ですが、紫式部の性別は?」
「えっ、誰だっけそれ?」
駄目か。こいつ文学弱かったもんなー。問題がよくなかった。
「第二問。アメリカのシンボルとされる“自由の”と言えば?」
これなら大丈夫だろう。
「国!」
ほんとに駄目だ。仕方がない。
「女の子だよ、パパ」
「女の子?女の子?女の子なの?うわぁ・・・」
あらら、ダメージ受けてら。
「どうしよう・・・」
「なにが?」
「お嫁に出したくない・・・」
えっ、それ今言う?気が早いってば、もう。可愛いパパちゃん。
哲也のおでこに“ちゅっ”とキスをした。
放心状態のパパちゃんは放っておいて、夕飯の準備をしよう。
台所へ入ると、哲也が亜美に叫んでいるのが聞こえてきた。
「彼氏とかできたらどうしよう!」
あー面白い。娘が年頃になったら話してやろう。
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