十二.家族

 今日は亜美が退院する日だ。

 Terry'sを実現させようと決めてから、亜美は目覚ましい回復を見せた。目的を持つことは、人をここまで変えるのだと驚くばかりだった。

 もう以前のような不安定さは微塵もない。主治医も驚くほど、亜美は自分のこれまでの状況をしっかり受け止め、テリーのために生きると言い切った。それでも万が一のことを考えて二週間ほど経過観察をしたが、亜美の意志は固く、主治医も太鼓判を押しての退院となった。本当に良かった。

 しかも夕べ、亜美の両親がようやく一時帰国し、今、自宅で亜美が帰ってくるのを待ってくれている。

 病院へ迎えに行く前に、哲也と二人で亜美の家へ行き、結婚すること、子供を授かったことを報告した。お父さんもお母さんも涙を流して喜んでくれた。哲也も亜美の両親をお父さん、お母さんと呼ぶようになり、みんなが家族になったと感じて、嬉しかった。


「いろいろお世話になりました、本当にありがとうございました」

 病室で荷物をまとめ、主治医の先生と看護師さんにお礼を伝えた。皆、亜美がまるで別人のように回復したことを心から喜んでくれた。

「念のため、しばらくは通院してもらいますけど、まぁ大丈夫でしょう。これからは開店準備もあるから大変だと思うけど、オープン日には顔を出させてもらうからね、楽しみにしてますよ」

「先生、本当にありがとうございました。お待ちしてますからね、本当に来てくださいよ」

 亜美が悪戯っぽく笑う。

「先生、昔はサーフィンやってたんですよ」

「えっ、それは初耳!ほんとですか?」

「まぁ若い頃ね、もう三十年以上前のことだから、今やったら救急車待機させておかないと駄目だよ」

 戯けた言い方にみんなで笑った。先生、看護師さんの温かな心遣い、決して忘れない。

 病院の車回しで荷物を積み込み、最後にもう一度お礼を言った。

 亜美はボロボロ涙を溢しながら、それでも笑顔で車に乗り込んだ。


「本当に良い病院だよね、みんな温かくて」

「うん・・・亜美、良かったな」

「ごめんね、二人とも。心配ばっかり、迷惑ばっかりかけちゃって」

「今さらなに言ってんのよ」

 そう言いながら、涙がポロポロ溢れてくる。亜美も泣いている。

「さ、お嬢さん方の嬉し泣きはそろそろにして、これからのことをしっかりやっていこう。な?」

 そうだった。亜美にはまだ赤ちゃんができたことを言ってなかった。亜美の両親には言ってあるのに。もう言わなきゃ駄目だな。

「亜美」

「ん?」

「赤ちゃんできた。哲也と結婚する。以上」

 ルームミラーで亜美を見た。完全に動きが止まっている。

「えっ、えっ・・・えぇぇ、えっ、ほんとに?あんた、ほんとに?」

 よし、成功。散々心配かけたんだ、ここは楽しませてもらう。

「ほんとだよ。もうすぐ十三週になるの。私はママで、哲也はパパになるの。あんたは・・・そうだな、亜美おばさんにしといてやるか」

 さらっと言う。

「なんなのよ、もう、やだ、ほんとに?ほんとなの?うわぁ・・・」

 また泣き出した。哲也と顔を見合わせて笑った。


 家に着いた。お父さんとお母さんが出迎えてくれる。もちろん、ここでも亜美は泣いた。ようやく叶った再会が自分の事のように嬉しい。


「優雨ちゃん、本当にありがとう。君がずっと亜美を支えてくれていたから、ここまで来られたんだ。本当にありがとう」

「優雨ちゃんがいてくれたから、私もお父さんも安心できたの。あなたにいっぱい迷惑かけちゃったし、苦労させちゃって、ごめんね」

 亜美の両親が私の手を取り、泣きながら伝えてくれた気持ち。私はしっかりと受け止めた。絶対に亜美を守ると心に誓ってきたのは、感謝されたかったからじゃない。心から亜美を守ってあげたいと思ったからだ。今、こうして亜美の両親もいる中で、亜美の笑顔を取り戻せたことが本当に嬉しい。でもこれはテリーのおかげだ。彼の存在が亜美を立ち直らせてくれたのだ。テリーも家族、亜美たちも家族、そして哲也と赤ちゃんも家族。みんな家族なんだ。私は幸福な運命を掴んでいる。間違い無く。


 お母さんが台所から飲み物を持ってきてくれた。私と亜美も手伝って、リビングのテーブルに並べた。亜美の傍らにはテリーもいる。これで全員揃った。

 お父さんが話し始めた。

「亜美、優雨ちゃんたちのことは聞いただろ?」

「うん、さっきね。車の中で。普通、家族ならもっと早く言うでしょ?ほんとにもう、なんなのよ、あんたたちって。くっつくのも秘密、できたのも秘密。あー腹立つ」

 亜美が口を尖らせて文句を言う。まぁそう言うなって。

「優雨ちゃんが傍にいてくれるのは本当に心強いんだ。それでね、さっきお母さんと話をしたんだが、相談というか、提案があるんだ」

 なんだろう。

「亜美は情けないことにまだまだ手がかかるだろ?もう大人なのに大きい子供みたいで困ったもんなんだが、もう一人、可愛い子供が産まれると聞いて、私もお母さんも嬉しくてたまらない」

 お父さん。

「私たちはまたタンザニアに戻らなければならない。ここはそれなりに広い家で、亜美が一人で住むにはもったいないなと思ってたんだ。そこで、もし良かったら、この家で優雨ちゃんたちと亜美が一緒に暮らしたらどうだろうと思ったんだ」

 えっ?哲也と顔を見合わせた。亜美もきょとんとしている。

「優雨ちゃんの結婚と赤ちゃんの話を聞いた後、お母さんと話しててね。赤ちゃんを育てるのは本当に大変なことだし、人手もいるものだ。まぁ亜美じゃ頼りないかもしれないけど、いないよりはましだろう。優雨ちゃん、君は私の家族だ。私たち夫婦は優雨ちゃんを本当の娘だと思って接してきた。本心だよ。娘が結婚するんだ、親は手放しで喜ぶ。まして孫も産まれるんだぞ、こんなに幸せなことはない。

 もし哲也君と優雨ちゃんがよかったら、この家に亜美と四人で住めば、いつも誰かが誰かを手助け出来るんじゃないかと思う。まぁ優雨ちゃんは大きい子供と赤ちゃん、二人の世話をするように思うかもしれないけど、亜美のことは放っておいていいから、産まれてくる赤ちゃんを最優先に考えて、家族みんなが健康に、幸せに暮らしていけるように使ってもらえたらと、そう話してたんだ。考えてみてくれないか?」

 なんということだろう。ここまでしてもらう資格が私にあるのだろうか。嬉しい。本当に嬉しい。そんな生活、夢にも思わなかった。本当の家族にしてくれるなんて。

「お父さん・・・ありがとう」

 亜美がまた泣いている。号泣だ。私もだ。

「ごめんね、こんな話を突然しちゃって。でもね、優雨ちゃんのこと、私もお父さんもずっと心配してたの。だからお父さんがたぶんそう言うだろうなって私も思っててね。もちろん、そうならなくても良いのよ。でも、もしこの家に住んでくれたら、お父さんも私も、二人の娘と二人の息子がいて、孫もいて、こんなに幸せなことないの。こんなに幸せなこと・・・」

 お母さんも泣いてくれている。

 哲也が背筋を伸ばして、お父さんとお母さんに向き直った。

「お父さん、お母さん、ありがとうございます。本当にありがとうございます。優雨を、産まれてくる子供を、私までもそんな風に受け止めてくださって、本当に嬉しいです。でもそこまで甘えてしまっては、申し訳なくて・・・」

 哲也は本心で言っている。彼らしい誠実で律儀な心だ。

「哲也君、これは甘えてもらう話じゃないよ。家族なんだ。当たり前のことだよ。それが家族というものじゃないのかなと、私はそう思ってる。どうだろう、ここで四人で暮らしてくれないか?」

 哲也が私を見る。心は決まっている。

「お父さん、お母さん、産まれてくる子供を、優雨を、亜美を、私が守ります。よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる哲也。

「ありがとう。こちらこそ、よろしくお願いします」

 お父さんも深々と頭を下げてくれた。

 テリーもここにいてくれたらと思ったが、口には出さなかった。

 今、テリーは亜美の傍らで、自分の家族が増えたことを喜んでくれているだろう。

 次はテリー、あなたの夢を実現してあげるからね。待っててね。


「お母さん、ビール飲みたい」

 亜美が口元の緩んだ声で言う。

「えっ?」

 お母さんがティッシュで目を押さえながら、聞き返した。

「だって朝から泣きっぱなしで喉渇いちゃったんだもん」

 みんな一斉に吹き出した。家族全員、笑顔に溢れている。

 泣きながら笑い、笑ってはまた泣く。

 幸せな家族団欒のひと時に、夏の陽射しが彩りを与えてくれる。

 色褪せない想い出。

 また一つ、運命が繋がった。


 翌日、みんなで部屋割りを考えた。

 この家は部屋数が多い。広い客間もある6LDKだ。一階はリビング、キッチン、和室、客間があり、二階は亜美の部屋と両親の部屋、残りの二部屋はお父さんとお母さんがそれぞれ書斎に使っている。お父さんは書斎を一部屋にまとめて、お父さんが書斎に使っていた一番広い部屋を私たち夫婦と赤ちゃんの部屋にしようと言ってくれた。するとお母さんが、

「赤ちゃんを二階にすると何かと大変だから、一階の客間を使ったほうがいいと思うよ」

と経験値のある話をしてくれた。

 客間と和室はリビングを間に挟んで繋がっていて、反対側にあるキッチンやお風呂場とも繋がっている。お母さんが言う通り、客間を使わせてもらえれば、家事をしている時に何かあっても、すぐ駆けつける事ができる。経験者は語る、まさにその通りだ。

「実はね、この家は元々平屋だったんだよ」

「え、そうなんですか?」

 お父さんの話に哲也が興味津々で乗り出してきた。

「うん、ここは私の実家なんだ。医者になった頃、私は鎌倉の腰越に住んでいたんだけど、両親が他界した後、お母さんと結婚してここに住むようになったんだ。私は三人兄弟の真ん中なんだけど、兄と弟は北海道と沖縄で開業医をやっていて、私だけ地元で開業しているから、そのままこの家を持つことになってね」

 亜美とお母さんが笑っている。なんだろう。

「おいおい、最後まで話させてくれよ」

「はいはい、ご自由に」

 お父さんとお母さんのやりとりが茶目っ気たっぷりで可愛い。

「この家、一階だけで見たら妙に客間とリビングが広いだろ?」

 言われてみればそうだ。お医者さんの家だから来客が多いとか何かでリビングが広いのだと思い込んでいたが、確かに三十畳はあるので広すぎる。客間も二十畳近いし、家の大きさから考えたらバランスが妙だ。

「お父さん、もしかしてこの家は診療所だったんですか?」

 何かを思い出してキッチンを見てきた哲也が言う。

「お、さすがお巡りさんだな、洞察力があるね」

 お父さんが感心している。哲也がキッチンの壁の端を指差して、

「ほらあそこ。配電盤があるだろ?二つあるのもそうだけど、左側のはブレーカーの数が十二個もある。店舗とか事務所とかはこういう作りなんだよ。お医者さんの家だし、もしかしたらと思ってさ」

 こういうところを見て状況を把握して推察できるんだ。

 お父さんが話を続ける。

「ここは私の父がやっていた診療所だったんだ。客間は診療所の玄関と待合室、リビングと和室は診察室と処置室だったんだよ。家族が生活するスペースは庭の場所にあった二部屋だけだったんだけど、改築するときにお母さんが“小さくていいから家庭菜園と花壇を造る庭が欲しい”って言うから、二部屋分を削って庭を作ったんだ」

 この可愛らしいお庭も元は部屋があったところなのか。

「診療所は何年も前に閉めてたから、私とお父さんは廃業してがらんとした診療所の中に住んでるみたいな状態だったの。いくらなんでもちょっと薄気味悪いでしょ、廃病院の心霊スポットみたいで」

 そりゃそうだ。別に何かあったわけではないだろうが、夏場によくテレビでやっている、心霊スポット巡りに出てくるような状態の家じゃ、いくらなんでも気が休まらない。

「私が住んでいた頃は、庭の東側あたりに子供部屋があってね。兄弟三人が六畳ちょっとの部屋にいるんだよ。狭くてね、場所取り競争しながら暮らしてた。兄が大学に入って出て行って、私も同じ、そのあと弟と、順番にいなくなって部屋が空いていった。もう一部屋は夫婦の部屋だったから、親父とお袋は寝る時以外、一日の大半は診療所で過ごしていた。大変だったと思う。

 想い出深い診療所ではあったけど、亜美がおなかにいる身重な身体で、“幽霊屋敷で子供育てるのなんて嫌よ”って言われたら、そりゃなんとかしなきゃって思うだろ?怖かったよ、お母さん。強いからさ」

 お父さんもお母さんも懐かしいのだろう、楽しそうだ。

「この家のイメージを変えようって話になって、お母さんが庭が欲しい、間取りも変えて新しい家みたいにしたい、子供もたくさん欲しいって言うから、じゃあいっそのこと建て替えるかって言ったら、そういうことじゃないって言うんだ。一階の二部屋を潰して庭を作って、他は客間と和室とリビングに分けて、二階部分を増築して四部屋作ればいいって。結局、大工事の改築になったんだ」

「そこまでやるとなると、完全に建て替えたほうが楽だったんじゃないですか?」

「そう、そこなんだよ。お母さんに言ったんだよ、建て替えようって。その方が使い勝手も良くなるだろうし、中途半端に想い出を残した方が寂しくなりそうだろ?そしたらさ」

 お父さんがニヤニヤしている。お母さんは澄まし顔でツンとして見せている。

「想い出の診療所が建物ごと無くなったら、“枕元に毎晩両親が出てきて、あたしのこと恨むかもしれないから嫌だ”って、お母さんが泣きながら怒ってさ、建て替えるなら子供連れて出ていくって。もうどっちなんだよって、女って難しいなって思ったよ」

 お父さんが笑い出す。

「だって、あたしのせいだって思われたら嫌でしょ?」

 まぁ、確かに。

「哲也君、夫の先輩として教えておくけど、くれぐれも奥さんに反論しないこと。女性の方が一枚も二枚も上手だからね。わがままだと思って言うこと聞いてるフリして、それとなく促していけばたいていはうまくいくよ。たとえ自分の懐かしい想い出を潰されても、家族で新しい想い出を作っていけばいいさ」

「はい、僕はもう優雨の言いなりになって十年以上経ちますから大丈夫です」

「そんなことないです、ないです・・・」

 私の情けない弁解がみんなの笑い声で掻き消された。まぁ、哲也の言う通りだからね。もう少し控えめな妻にならなければ。


 お母さんの意見を“尊重”して、改めて部屋割りを考えた。いろいろ考えてみるが、どうにもしっくりこない。

 すると、二本目のビールを片手に、亜美が面白い案を出してきた。

「一階は赤ちゃんと夫婦のために全部使って、二階は書斎を一つにまとめて、残りの三部屋を私が全部使うよ。私の部屋はそのままにして、お父さんとお母さんの部屋を私とテリーの部屋にするの。そこはさ、青空色と檸檬色にして、Terry'sの事務所にすれば、お店でお金の管理しなくていいでしょ?優雨もいてくれるし、取引先との電話とかも、こっちにかけてもらうようにすれば、お店と事務作業をする場所を完全に分けられるし、何かと使い勝手が良くなると思うんだ。どう?」

 理路整然とした案。亜美はもう経営者としての才覚を発揮している。テリー、あなたの奥さんは予想以上の働きをしてるよ。安心してね。

 部屋割りは亜美の案で満序一致し、決定した。

 あとは一番の問題、物件探しだ。

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