六.瑠璃唐草

「哲也のほう、もうちょっと上げてくれる?」

「うん、こんなもん?」

「もうちょっと・・・あ、そこでいいよ。うまいね、サンキュー」

 テリーが哲也とタープを張っている。テリー隊長は人の使い方がうまい。哲也を隊員として使いこなしている。


 宮ヶ瀬ダム近くのキャンプ場。今日は四人でキャンプをしに来た。

 三月の愛川町はもちろん寒い。いくら春とはいえ、なんでこんなに寒い時期にキャンプ?と思ったが、テリーがどうしてもと言うので、四人でぞろぞろやってきたわけだ。


 亜美はテリーと実家で同棲を始めたのだが、これがなかなか面白かった。

 亜美の両親はテリーが転がり込んできたことを知らない。まぁ、言い方はアレだが、あの大失態から始まったわけで、私に言わせればまさに転がり込んできたという表現がぴったりだ。

 亜美は両親に隠そうと思っているわけではない。テリーが今はまだと言って、止めているのだ。

「俺さ、やりたいことがあるんだ。どうしても実現したいこと、夢っていうのかな。それを実現したら、亜美のお父さんとお母さんに会えると思ってる。じゃないとさ、俺、こんな人間だから、いい加減な奴だって思われて終わっちゃうじゃん」

と、意外な一面を見せていた。

 あのパーティーで初めて見た時は、女の子がいるところをうろついて、あわよくばと思って生きているだけの薄っぺらい奴だと思ったが、知れば知るほどテリーは魅力的で、誠実で、頼り甲斐のある男だと言うことがわかってきた。


 で、なぜ二人の同棲生活が面白いのかと言うと・・・

「姫、こちらへどうぞ」

「めんどくさい」

「そう言わずに、どうぞどうぞ」

「手、引っ張って」

 このパワーバランス。亜美はテリーを完全に配下に置いている。テリーも従順に従っているが、まんざらでもないらしく、楽しんでいるのがよくわかる。

 まぁこの二人のやりとりがもう、これで実生活を送っているのだから不思議だ。こんな様子を見たら、さすがに亜美の両親も娘を再教育したくなるだろう。

「ねぇ、なんか飲みたい」

「どうぞ」

「何これ?」

「グアバジュース」

「何それ?美味しいの?」

「飲んだことない?」

「ある。けど忘れた」

「美味しいし、美容にもいいんだよ」

「ふーん。ビール持ってきて」

「あ、はい」

 こんな調子だ。まったく。そうじゃなくても亜美はおこちゃまなのに、テリーが甘やかすから手をつけられなくなってきた。とは言え、亜美がこれまでしてきた恋愛は、亜美の方が言いなりになって振り回されっぱなしだったが、こんな恋愛をさせてくれているテリーは、亜美よりも数枚上手で、広い心で全てを受け止めてくれているのだろう。最高のカップルだ。


 今朝、八時過ぎに家を出て、十時少し前に着いた。テリーがなんでキャンプをしたかったのかよくわからなかったが、タープを張って、テーブルと椅子を並べて腰を下ろした時、その理由がわかった。


「これ、見てくれる?」

 テリーがA3の大きな紙をテーブルへ広げた。色鉛筆で描き上げた、お店の絵だ。

「俺さ、夢があるって言ったじゃん。サーフショップをやりたいんだよ」

「えっ?サーフショップって、サーフィンのものとかを売ってるお店?」

「まぁ簡単に言えばそうだけど、俺がやろうと思ってるのはちょっと違うんだ」

 そう言うともう一枚、紙を広げる。メニューや内装の絵が描いてある。単なるサーフショップなんかじゃない。食事のメニューがある。マグロすき身のサンドイッチ?なんだろう。

「もちろんサーフィンの用品とかも置くよ。でもそのためだけの場所じゃなくて、ここをきっかけにいろんな人が繋がって、仲間ができて、恋人ができて、そんな風に人と人とが触れ合える場所にしたいんだ。バーでもないし、レストランでもないけど、ふらっと寄って立ち話をして、時々ボードのメンテナンスしたりしてさ。用もないのに顔馴染みが店に来て、他愛ない話をしながら、客と店員っていう関係じゃなくて、仲間として接していくんだ。友達の家みたいな感じでね」

 テリーの目がキラキラしている。こんな夢を持っていたのか。

「いいなぁ、そういう場所って。でも、それで商売として成り立つのか?」

 哲也は否定こそしないが、現実問題を考えている。

「そこさ、ちゃんと考えてるよ」

 テリーがグアバジュースを一口飲んで、顔を上げた。

「俺、いつも朝が早いだろ?五時から仕事してるんだ。三崎港で猟師さんのお手伝いみたいな仕事なんだけど、網の手入れや漁具の修理、なんでもやるんだよ。大変だけど、漁から戻ってきた漁師さんって、疲れ切ってるからね。そこを俺が手伝うことで、早く休んでもらえる。遣り甲斐があるんだ」

 そうだったのか。知らなかった。

「仕事はそれだけじゃない。朝ご飯を用意したりもするし、奥さん達と一緒に水揚げした魚介類を市場に出す下準備もする。そこで思いついたんだ。この店は表向きはただのサーフショップなんだけど、その日に獲れた新鮮な魚介類を、朝早くから波に乗るサーファーが食べられるように、ファストフードみたいにして提供するんだ。波乗ると、体力使うからお腹空くんだよ。でもコンビニで適当なもの食べるとか、そんな程度のものしかないんだよな。でも、朝六時から開いてる、レストランよりもふらっと入りやすい食堂があったらどう?濡れたウェットスーツのまま、裸足のまま入れて、適当に食べて、喋って、そのまま居座れるの。友達の家みたいに」

 そんな場所、あったら絶対行きたい。

「それ、いいな。よくそこのポイントに気が付いたな、お前」

 哲也がのった。亜美は二本目のビールを開けてへらへらしてる。

「仕入れは今の仕事先の人から安く入れられたとして、結構な量を捌かないと厳しいんじゃないか?」

「うん、その通り。ここがポイントなんだ」

 テリーが自身ありげにもう一枚紙を広げる。

「知ってると思うけど、よくサーフショップってボードとか用品の預かりやってるだろ?あれってさ、確かに倉庫を押さえたりするから費用はかかるんだけど、基本的にほぼ丸々粗利になるんだ。利益率が高いんだよ。仕入れは考えなくても、スペースさえ確保できていれば、ほとんどが収入になるわけ。一次預かりとかもあるけど、基本は月単位の契約で、ロングボードだと大体五千円くらい。結構な金額を取ってるんだ。でもさ、もしもその預かり費用だけで、一日一回の食事と飲み物がついてくるってなったらどうだ?ボードを預けられて、波乗り終わって預けるために店へ行って、そのまま朝ごはん食べて、のんびりしてから帰れる。月の費用を六千円にしたとしても、月に何回使っても、一日一回の食事は無料で食べられる。もちろん追加で他のものも頼んでくれれば、店としてはさらに収益が上がる。食事なしのプランだったらもっと月額を下げてあげられるし。食べる時だって、海から出てきて財布を出すのも面倒だろ?いちいち車に財布を取りに戻らなくてもいいんだよ。ボードを預けて、そのままでいいんだよ。言ってみれば会員制のボード預かりサービス付きのファストフード。いや、その逆かな。会員制のボード預かりサービスにファストフードが付いてくるお店。魚介類っていうのも珍しいと思うし」

 驚いた。これは凄い。テリーはビジネスを構築しているんだ。

「会員制なんだね、これ、絶対いけるよ。やろうよ、実現しようよ」

「お前こんなこと考えてたんだな。凄いよ」

 哲也がテリーと拳を突き合わせる。

「でもさ、テリーは朝から仕込みとかいろいろやるんだろうし、一人で切り盛りするのは大変じゃない?亜美なんて使い物にならないし、私も手伝うよ」

「ちょっとぉ、未来の店長に失礼でしょ!」

「えっ、あんた店長やるの?本気で言ってんの?」

「できるよ、店長くらい。お店の奥で椅子に座って難しそうな顔して、人が来たら愛想笑いとかしてればいいんでしょ?」

 これだ。世間知らずにも程があるわ。

「俺は朝から仕入れ、仕込みをやっていって、亜美は開店時間の六時から出てもらって、ランチタイムまでいてもらう。二時くらいまでかな。ランチタイムが終わったら休憩を入れて、夜は六時くらいからショットバーみたいにしたら、一日二回来てもらえるかもしれない」

 テリーの言葉に自信を感じる。だが、お店となれば一日二日のことじゃない。

「でもそれじゃ二人とも体が保たないよ。いいよ、あたしが夜は出るから、二人はランチタイム終わったら上がってもらって、翌日に備えてもらうよ」

 私はもうその気だ。

「優雨、いいのか?」

 テリーが心配そうに言う。

 私は哲也を見た。瞳が賛成してくれている。

「テリー、家族の仕事だよ。なに遠慮してんのよ」

 テリーが頭を下げる。

「ありがとう。俺みたいなやつを家族って言ってくれて。俺、嬉しいよ。俺、嬉しい・・・」

 テリーもよく泣く。へらへらしていた亜美が泣くところだけは付き合うようで、ビールを持ったまま泣いている。変な二人だ。

「さぁ、これでまた家族の結束が強くなるな。俺もできる限り協力するし、なんでもやるよ。隊長、遠慮なく使ってくれよ」

「あぁ、お前には最初から遠慮してないから、今まで通りこき使うよ」

 全員、思わず吹き出した。最高だな、私たち。


「あ、瑠璃唐草だ。そうか、もうそんな季節なんだな」

 テリーが草地の脇を見て言う。

「瑠璃唐草?何のお花なの?」

「ネモフィラって聞いたことある?」

「あ、ネモフィラならわかる。まだ咲ききってないからわからなかったよ」

「うん、三月から五月に咲く花。ちょうど今くらいから咲いていくんだ。青空みたいな色でさ。可憐で綺麗なんだよ」

 青空色はテリーが好きな色だ。

「和名は瑠璃唐草。俺は和名の方が好きなんだ。花言葉は清々しい心とか、成功とか、可憐。俺、昔からこの花が大好きで、そのせいか青空色が好きなんだよな」

 テリーがお花に詳しいとは意外だったが、言われてみれば着ている服も青空色が多いし、車につけているコルクの飾りも、ワイン好きだからと思っていたが、使っている紐の色が青空色だった。テリーの爽やかさ、清々しさにぴったりだなと思う。

「この人、意外と女の子みたいなところあるんだよねー」

 ほら来た、お姫様だ。

「そういうわけじゃないけど、気になったから調べたんだよ」

「えーそうなの?ほんとは花占いとかして失恋の傷癒してたとかじゃないのぉ?」

「違うってば、もういつもこうやって弄られるんだよ。亜美って昔からこうなの?」

「うん」

 私と哲也が同じタイミングで即答した。笑った。


 夕食はテリーが今朝獲れた魚介類で料理を振る舞ってくれた。

 大失態の時にカレーを作った私たちの数段上をいく腕前に感心した。

 マグロのお刺身、マグロユッケ、鯵とイカのお造り、鯵のチーズフライ、シラスと大葉のメレンゲ揚げ。とてもキャンプ料理とは思えない。全て目の前で手際よく捌いて作ってくれた。これ以外にもサザエやアワビをバーベキューコンロで焼いて、程よい塩加減で食べさせてくれた。これが朝から食べられたら、ファストフードなどと呼ぶことなんてできない。

 キャンプは大いに盛り上がった。テリーが夢を語る姿は、少年のようだった

清々しく、一抹の迷いもない真っ直ぐなところは、哲也と似ている。男の子のこういう純朴なところが素敵なんだよなと改めて思った。

 それにしても哲也とテリーは仲がいい。哲也は割と人と距離を取るタイプだ。別に人付き合いが悪いとか、無愛想とか、そういうわけではない。不器用でかなりシャイな人なので、仲良くなるまで結構時間がかかる。私と亜美とも、バイトで知り合った最初の頃はずっと敬語だった。律儀すぎて堅苦しい人なのかなと思ったが、少ししてから徐々に心を開いてくれるようになり、気がついたら私のしもべに。いや、しもべは冗談だが、テリーと話している時の哲也は本当に普通の男の子で、屈託なく笑い、戯れ合っている。漢字こそ違うが、同じ名前の二人の男の子。いや、男の人だ。信頼関係以上の、家族としての繋がりが、出会った時期の違いを消し去ってくれている。

 亜美はテリーと付き合ってからかなり変わった。もちろん、いいい方向にだ。

 昔の亜美は、いつも相手に振り回され、翻弄され、事ある毎に泣いてきた。その原因は、亜美が相手の存在に自分を依存しすぎてしまうからだ。

 テリーは違う。もちろんお互いに気持ちがあって一緒にいるのだが、テリーはいつでも亜美の意志を尊重している。それは単にわがままを聞くとか、言いなりになるとかではない。亜美にとってそれがいいことなのか、悪いことなのかをきちんと判断してくれているのだ。

 こんなことがあった。

 四人で亜美の家にいる時、亜美が新しい仕事をしようと求人サイトを見ていた。みんなで“これはどう?”とか“亜美は飲食店より、もっと責任のない仕事の方がいいよ”とか、好き放題に言っていた。

 するとテリーが優しい顔で話し始めた。

「お前は優しいし、気遣いもあるし、人を笑顔にするのが得意なんだよ。仕事に自分を当てはめるんじゃなくて、自分に仕事を当てはめるように考えてごらん。お前らしくいられる仕事に就けば、長く勤められるだろうし、お金だけじゃない、充実感とか達成感を得られるようになると思うよ」

 凄いなと思った。十年付き合ってる私たちよりも、亜美のことを深く理解しているし、どう導けばいいのかよくわかっている。テリーは大人の男の人なのだと感じたのを覚えている。

 亜美はテリーに言われたことを真剣に受け止めて、なんでも相談するようになっていた。以前だったら“どうすればいい?”と私に泣きつくだけだったのに、今ではテリーがちゃんとその役割を担って、亜美を導き、支えてくれている。二人がこの先、どう歩んでいくのかはわからないが、末長く幸せでいてほしいと心から願った。


 陽も暮れて、ランタンの灯りの下、四人で語り合った。

「なんか不思議だよね。あたしが哲也と暮らすようになって、亜美はテリーと暮らすようになってさ。大人になったのかなって思うし、四人の未来っていうのかな、運命っていうのかな、最初からこうなるものだと決まってたのかな、とか思っちゃう」

「だね、私もそう思ってたよ」

 四人それぞれが想いを馳せた。今、こうして四人が肩を並べて語り合っている。偶然がそうさせたのか、運命がそう導いたのかはわからない。ただこれだけは言える。最高の四人だ。


 亜美が身を乗り出してきた。嫌な予感がする。

「あのさ、一言いわせてもらうけどさ、あんたたち十年も一緒にいて何もないとか言っててさ、どこ行くのもいつも一緒でさ、哲也なんか三日に一回は優雨の家に泊まっててさ、自分のマグカップも歯ブラシも置いててさ、朝行くと哲也がベッドで寝ててさ、んでさ、んでさ、何それって思って聞いても“何もないよ”とか言っちゃって、何もないわけないじゃんって思うじゃん、あとさ・・・」

 亜美のスイッチが入っちゃった。一言どころじゃない。

「哲也、あんたいつの間に手つけたのよ?言いなさいよ!」

「いや、手つけたって、そんな人聞き悪い・・・いや、ほんと、あの、えっと、お前助けろよ」

「ん?あたし被害者、あんた加害者。取り調べ受けるのは加害者だから。頑張ってね」

 さらっと追い込んでおく。

「哲也、お前十年もこんなに締め上げられてきたの?かわいそう」

 テリーの言い方に、またみんな一斉に吹き出した。


 春が来た。

 瑠璃唐草が彩り、青空色の絨毯を見せてくれる日も近い。

 青春というには少し過ぎているが、四人の記憶に、今日この時を刻んだ。

 宮ヶ瀬の夜空に煌めく星へ、四人の輝きが届きますようにと願った。

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