四.親愛
「開かない、哲也、鍵!」
玄関に鍵がかけられている。家にいる時は鍵をかけないはずだ。
(まずい・・・)
哲也が腰につけたキーチェーンを伸ばして鍵を差し込んだ。ドアを開けて靴のまま二階へ駆け上がる。苦しげな呻き声が聞こえる。
「亜美!」
叫びながら部屋のドアを開けた。
「えっ・・・」
そこにはあられもない姿をした男女が、愛の行為に勤しむシーンが繰り広げられていた。
「いや、もう、ほんとあんたって・・・」
「あーびっくりした。でもまぁ、無事で良かったよ」
リビングのソファに哲也と並んで座り、たらたら文句を言う。
「ごめん、だってあの時は本当にもう駄目かと思って、どうしようもなかったんだもん」
まぁ話は簡単だ。
亜美の隣で気まずそうに縮こまっているのは、夕べのサーファー男だ。亜美は私にメッセージを送った後、すぐに来てくれると思っていたのに一時間待ってもこないので、手当たり次第にあちこち電話をしたらしい。サーファー男もその“何番目”かに入っていて、亜美が泣きながら電話をしてきたので、昨夜のこともあってこれ幸いと家に来て、そのままベッドに潜り込んだ。そんな希薄な、ラブストーリーにもならない戯言だった。
「あたしたち朝霧高原からすっ飛んできたんだよ。チーズフォンデュも食べてないし、牛乳とモツァレラチーズも買ってこられなかったし、もうほんと腹立つ」
不満だらけではあったが、顔は笑っている。心底、ほっとしたのだ。哲也も隣で頷きながら笑っている。
「ごめんよぉ、本当にごめん・・・あれ?」
亜美が真顔になる。
「あんた達、二人でまかいの牧場行ってたの?」
えっ、そこ拾う?やばい。バレる。
「えっ、いや、だって、哲也が今日休みだって言うから、あんた来ないって言うから、暇だったし、それで、あの、ねぇ、ちょっとあんたもなんか言いなさいよ」
しどろもどろになってきたので哲也に丸投げする。
「要するに、だ」
えっ?ストレートに言っちゃうの?
「デートしてたんだよ、優雨と」
言っちゃった。疑似恋愛なのに。
亜美の顔が一瞬で弾けた。
「もうー、なんだー、やっぱりそうだったんだぁ、絶対進んでるって、ずーっと思ってたもん、優雨の嘘つき!」
「いや、そういうつもりじゃないってば、あんた馬鹿じゃないの、もうなんなのよ」
小競り合いなんだか押し付けあいなんだかよくわからない。笑って誤魔化そうとした時、隣にいるだけのサーファー男が微笑んだのを見逃さなかった。
「ちょっとあんた、亜美に何してんのよ。わかってんの?」
延焼成功。ここはこいつに泣いてもらうしかない。
「いや、俺はその、亜美ちゃんが心配で、なんか出来ないかなって思って飛んできて・・・」
「で、事に及んだと?」
哲也が低い声で追求する。面白くなってきた。サーファー男がまるで容疑者のように背中を丸めて弁解し始めた。その姿がおかしくて、三人同時に吹き出した。亜美に屈託のない笑顔が戻っていた。
サーファー男を三人で吊し上げた。私の大切な家族の危機に飛んできたこいつを、悪い奴だとは思っていない。亜美も哲也も同じ気持ちだろう。昨夜のことからいろいろ話を聞き出し、四人でたくさん笑った。心から安堵した笑い。楽しかった。
亜美を案じて飛んできてくれたことのお礼に、夕飯は私と亜美の手料理を振る舞うことにした。その間、哲也はサーファー男と釣りの話で盛り上がっていた。
サーファー男の名前は、偶然にも哲哉だった。漢字こそ違うが、これでは私の哲也と紛らわしい。ニックネームは無いのかと訊くと、友達からは“テリー”と呼ばれていると言う。なに格好つけてるんだと揶揄ったが、私たちもテリーと呼ぶことにした。私の哲也はそのままだ。良かった。
(私の哲也?・・・良かった?・・・)
まずい、疑似恋愛なのにすっかり普通の恋愛モードになってしまっている。ここは冷静に、作家としての頭に戻らなければ。
カレーに使うジャガイモをピーラーで剥きながら、次のストーリーを頭の中で巡らせていった。三個目に手をかけた時、一つの答えが出た。意外に早かった。
まぁ、あれだ。疑似恋愛なんて出来っこ無いのだ。所詮私は普通の女。格好つけて意地張って、疑似恋愛で小説を書こうだなど、無理なのだ。あれだけ意気込んで疑似恋愛をしてとか言っていたが、元々哲也に気があったのに、自分の気持ちを認めなかっただけのこと。最後に悲しい別れが来ても大丈夫な相手なんて言ってたけど、哲也との最後があるなんて思っていない。認める。私は普通の女なのだ。
浅知恵の疑似恋愛はもうやめる。普通に哲也と恋愛をして、それを小説として書き上げよう。ドラマティックにならないかもしれない。ロマンティックにならないかもしれない。でも、わかってる。純粋な恋愛物語になるのだ。それが等身大の私。自分の闇を売り物にするのではなく、哲也と恋愛をする、ありのままの自分を題材に書き上げれば、最高のストーリーになる・・・はずだ。
ジャガイモの皮剥きが終わった頃には心が決まり、モヤモヤはすっかり晴れていた。
楽しい夕食が終わり、洗い物も終わって、今日はお開きにというところになった。
「亜美、もう大丈夫だね?」
「うん、大丈夫。ごめん、ありがとう」
「ほんと世話焼けるよな、お前も」
哲也が呆れた顔をして見せる。
ん?“お前も”ってなんだ。
「ちょっと、何よそれ。お前もって?」
とりあえず絡む。
「えっ、そこ拾うか?」
笑って誤魔化そうとする哲也。逃さない。
「そのお前って、もしかしてあたしのことじゃないよねぇ?」
「お前しかいないだろ」
「なにそれ!」
二人のやりとりを見てテリーが笑う。
「ほんと、仲良いよな。羨ましいよ、いかにも恋人って感じで」
亜美も便乗してくる。
「十年かかってるんだよ、この二人。あーめんどくさい」
亜美とテリーが顔を見合わせて笑っている。
「ちょっと、別にそんなんじゃないよ、やめてよ、もう」
必死に誤魔化していると、哲也が急にキスしてきた。
「そんなんだよ、俺たち。な?」
またその顔。大人びた顔。なにも言えなくなるだろ。ずるい。
「もぉ、あんた達、続きは自分の家でやって!」
亜美が冷やかす。
「ま、そんなこんなで」
「なにその締め方」
哲也の戯けた言い方に、また四人で笑った。
亜美もこの後、さっきの続きがあるだろう。
車へ乗り、二人に手を振ってまた明日と声をかけた。亜美は嬉しそうにテリーの首に腕を絡め、ほっぺにキスをして見せている。
やれやれ。窓を閉めて、ボロアパートへ向かった。
初夏。夏本番の前に梅雨が来る。
雨上がりのアスファルトから立ち上る雨の香りも、傘の縁から滴る雨粒の光も、風が運んだ物語と思うと、笑顔になれた。
駐車場の雑草も、風が運んだ物語。
哲也と私の物語は、誰が運んでくれたのだろう。
答えを見つけるために、部屋へ入って抱きしめた。
今じゃなくていい。
いつか答えを手にするまで、このままでいたい。
答えを手にした二人が、終わりのない旅を続けるために、今を大切に生きていきたい。
初夏の夜。温もりを灯りに。吐息を言葉に変えて。
静かな夜に、二人は身を任せた。
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