一.友達

「こっちの方がいいよ、絶対可愛い」

「そう?じゃあこれにしよっかなぁ」

 JR藤沢駅近くの大きな商業ビル。二階にあるショップで、友達に見てもらいながら洋服を選んでいる。

「優雨は肩幅あるから、絞り込んだデザインだと厳つく見えちゃうんだよねぇ」

 一緒にいるのは亜美だ。

 亜美は同じ葉山の堀内に住んでいる。高校一年で出会い、家が近いこともあって、すぐに仲良くなった。それ以来、三日として連絡を取り合わなかったことはないほどべったり。私の残念な恋愛を全て知っているし、付き合ってるんじゃないかと思うほど、四六時中、お互い構い合っている。

 夕べメッセージが来て、買い物へ行こうと約束した。で、それが今だ。


 宝くじが当たったことは、誰にも言わないことにした。悪いことをして稼いだお金ではないが、単なる幸運で得た収入、と思うと気が引けてしまうのが小心者の証。自分を振り切るためにも、ここは割り切ることにした。別に集られるのが嫌とかそんなんじゃなく、単純に仕事として受けた報酬と考えることにした。十年分を前払いで受け取ったという感覚。

 ルールも決めた。二つある銀行口座のうち、一つに全額を入れて、毎月二十五日にもう一つの口座へ25万円だけ移す。自分で言うのもおかしいが、実直だけが取り柄だ。これも冷蔵庫に貼っておこう。

 先月までやっていたアルバイトのお給料日が今日なので、今日の買い物はそのお給料から支払う。大金を持っているのに、来月の二十五日までは今まで通りにアルバイトのお給料の中で生活をしようと言うのだから、真面目にも程があると我ながら感心する。

 来月から毎月二十五日は自分給料日と名付けて、自分で自分に給料を払う形で暮らしていく。変な感じだ。でもこれなら散財する心配もない。養ってくれる素敵な人もおらず、実直以外、何の取り柄もない独身二十五歳廃人女子は、このくらい締め上げておかないと生きていけなくなるのだ。


 亜美の言いなりで、背中側が少し広めに開いた白のブラウスと、サテンっぽいラベンダー色のフレアスカートを買った。思っていたより安かった。

「お腹空いたねぇ、少し早いけどお昼食べ行こうよ」

「だね。なに食べよっかー」

 たぶん、亜美はまた激辛モノを言ってくるだろう。

「あそこ行こうよ、激辛のカレー」

 当たった。

「あんた好きだよね、激辛モノ」

「日常に刺激がないんだから、食べ物で刺激受けるくらい、いいじゃん」

 いつもながら無刺激人生への不満をぶちまける。亜美は激辛で、私は恋愛小説で補ってきたが、側から見れば惨めな独身女二人だ。私はこれから刺激的な人生を歩む予定ではあるが、表面上はこれまで通りに過ごす。亜美、ごめん。何か奢ってあげるから許してくれ。

 激辛カレーのお店は、駅の反対側にあるビルの地下一階にある。四十年くらい前からあるお店だそうで、高校三年の時、亜美に誘われて初めて来たが、私の中で外食のカレーといえばこのお店になる。

 ナンを焼く香ばしい香りが店の外まで漂っている。独自の配合で作るスパイスの香りは確実に胃袋を刺激して抗うことができない。口の中はもうラッシーを待ってる。急にお腹が空いてきた。入り口に置いてある、サイなのかゾウなのかよくわからない置物をひと撫でしてから店へ入った。

 まだ十一時半を少し回ったところなので、店内はがらんとしていた。他にお客さんはいない。ランチタイムは席を選ぶことなど出来ない。ラッキー。奥のテーブル席へ着いた。

 毎回、頼むものは決まっている。亜美は辛さ五十倍という激辛カレー、私は二倍だ。あとはラッシー。1Lくらい余裕で飲める美味しさだ。

 辛さの倍率がどういう定義になっているかは分からないが、以前、亜美のを一口もらった時に、単純に痛いだけでカレーの味が全く分からなかった。慌ててラッシーを口に含んだが全く効果がなく、それ以来、最高でも二倍までしか頼まないようにしている。二倍でも私にとっては相当辛いのだが、辛さの中に、野菜や溶け込むほど煮込んだ肉の旨味、スパイスや果物の爽やかさが活きていて、絶妙なバランスが堪らなく美味しい。それを焼きたてのナンで食べる。絶品だ。


「水曜日の夜、空いてる?」

 亜美が激辛カレーを平然と口に運びながら言う。

「えっとね・・・空いてるよ。どした?」

「恵里が誕生日でね、真莉が幹事で鐙摺のラ・マーレでちょこっとやるんだけど、一緒に来ない?」

 鐙摺港のラ・マーレ。私の好きなお店の一つだ。すぐ近くにある日影茶屋と同経営のお店で、海側がテラスになっているお洒落なお店だ。一階はカフェ、二階はレストランになっていて、三階は結婚式のパーティー会場にもなったりする。料理はもちろんだが、テラスで海を眺めながらのんびりしていると、日常を忘れられる落ち着いた雰囲気が心地いい。右手は逗子海岸、対岸には披露山公園が見える。ここから見る夜景はなかなかのものだ。恋人たちにはもってこいだろう。私の隣はいつも亜美だが。

 水曜の夜は何もないから、暇潰しと気分転換にちょうどいいかもしれない。

「いいよ。何時?」

「十九時」

 私の家からだとラ・マーレまでは距離がある。こんな時に便利なのが、あいつだ。

「どうやって行く?あいつに送ってもらおうか?」

「あたしは最初からそのつもりだけど」

 あいつとは、哲也のことだ。スマホですぐにメッセージを送る。1分以内に返信が来なかったら苛めてやる。

〝指令。水曜十九時にラ・マーレへ着くよう、私と亜美を送るべし〟

 これでよし。

「ねぇ、あんた本当に哲也とは何もないの?」

 またその話か。私と哲也がこっそり付き合ってると、ずっと思い込んでいる。

「ないよ、あるわけないじゃん。しもべにしてもらってるだけでもありがたいと思ってるんじゃない、あいつ。その程度だよ」

と言って笑い飛ばした。亜美は相変わらずだなといった感じで、激辛カレーの最後の一口を頬張った。


 哲也とは、高校一年の夏、海の家でアルバイトをした時に知り合った。亜美と二人で始めたバイトだったが、私たちよりも少し早くバイトを始めていた同い年の哲也が、仕事の手順を教えてくれたのをきっかけに仲良くなった。

 哲也は小さい頃に両親が離婚している。母親に引き取られ、母子家庭で育った。家は森戸海岸にある、森戸神社のすぐ近く。今も母親と二人暮らしだ。私の家からだと少し距離があるが、間に亜美の家があるので、何かあると亜美の家辺りで待ち合わせて合流している。

 夏休みの終わり、海の家のアルバイトが終わる最後の日、哲也に告白された。

 三人で歩きながら、亜美の家に着いて別れた後、私も家まで送っていくと言うのでそのまま歩いていた。

 微かに手が触れた。哲也がそのまま手を握ってきたので驚いて振り払おうとすると、

「俺、お前のこと好きなんだです」

と、あまりの緊張に変な日本語の告白になり、それがおかしくて大笑いした。哲也は気まずそうにしていたが、可愛かったので、今度は私の方から手を繋いであげた。気持ちを受け取ったと勘違いされるかなと思ったが、正直なところ、私もその頃は哲也が好きだったので、それでいいやと思った。家までの道はキラキラしていた。

 家の前まで来て、まだウブだった私は“キスされたらどうしよう・・・”と妄想していたが、

「やっぱさっきの無しな。気のせいだったって。忘れてくれな」

と言われて、この煌びやかな青春の十分間はなんだったんだと腹が立った。それ以来、しもべとして使うようにしている。私の心を十分間も弄んだ罰だ。

 哲也とはそれからもずっと仲の良い友達で、恋人ができたりしても何も変わらず、亜美と三人で遊び、語り、たくさんの時間を一緒に過ごしてきた。想い出を共有している人が、私には二人もいるということだ。素直に嬉しい。


 水曜日。

〝着いてるよ〟

 哲也からメッセージが来た。まだ十八時だ。カーテンを少し開けて覗くと、哲也の車が目の前に停まっている。まだお化粧も着替えも終わっていなかったので、

〝早くない?上がってきて待っててよ〟

と返した。外で車を動かす音がして、階段を上がってくる足音、ドアが開いて哲也が入ってきた。

「なんだよ、まだ支度できてないの?」

「あんたが早すぎるんだよ、十九時にラ・マーレなのになんで一時間前に来るのよ」

「亜美のところも回るのに、遅れたら悪いだろ」

「そういうところだけは気遣いあるんだよね、あんたって」

 哲也のいいところはよくわかっているが、一応素直には受け取らないでおくのが主のスタンスだ。

 シャワーから出たばかりだったので、素肌に部屋着のTシャツとショートパンツ姿だったが、哲也相手であれば気にもしない。淡いピンクの小さなドレッサーの前に、あぐらをかいて座る。化粧水を手に取り、顔と腕と胸に塗りながら話した。

「もちろん帰りも乗せてくれるんでしょ?」

「うん、そのつもりだけど。なんで?」

「帰りにさ、ちょっと家に寄ってよ」

「お、うん、わかった」

「どうせ何も予定ないでしょ」

「うるせぇなぁ」

 お互い口は悪いが、気は悪くない。

 寝室へ入り、着ていく服を選ぶ。友達のお誕生日とはいえ、パーティーともなれば、多少なりともお洒落をしていきたい。少し大人っぽいドレス風のワンピースにした。ワインレッドで一見派手に見えるが、落ち着いた色味と光沢が抑えられた布地のおかげで、仕事のできる女性といった風に見える、はずだ。靴はシャンパンゴールドの3cmヒールのパンプス、バッグは唯一のブランド品であるPRADAにした。

 ワンピースを着ようと姿見の前でTシャツを脱いだ瞬間、哲也が入ってきた。お互い、見慣れているので気にもしない。

「どした?」

「いや、またファスナーやれって言われると思って」

「わかってんじゃん」

「何年付き合ってると思ってんだよ」

 ふふっと笑って、下着をつけてワンピースを着た。姿見を見ながら整える。哲也が後ろで待ち構えている。タイミングを見計らってファスナーをあげてくれた。

「よろしい。褒美に、冷蔵庫にある冷たい飲み物を好きに飲むがよい」

「もうコーラ飲んでるよ」

 そんなものだ。先にリビングへ戻らせ、パンプスとバッグを持ってドレッサーの前へ戻った。

 お化粧をしながら話した。

「あたしさ、昔から小説家になりたいって言ってたじゃん?本格的に書き始めようと思ってさ。しばらくバイトもしないで集中しようと思ってるんだ」

「へぇ、そうなんだ。食べていくお金とか大丈夫なの?」

「うん、まぁ節約していけば何とかね」

 まさか宝くじが当たったお金で十年暮らそうと思っているとは言えない。

「どんな小説書くの?」

「恋愛小説」

「お前が?自分の闇を売り物にするっての?」

「失礼だな」

「お前、悲惨な恋愛しかしてないじゃん」

 反論できない。こういう時は苛めるに限る。

「そんなことないんだです」

「まだ言うか、それ」

「一生言ってやる」

 鏡越しに目が合う。二人で笑った。


 メッセージが入った。亜美からだ。

〝哲也、来た?〟

〝うん、うちにいるよ〟

〝ちょっと遅れそうだから、支度できたら連絡するわー〟

〝わかったー〟

「亜美、遅れるから支度できたら連絡するって」

「ったく、俺には時間厳守って言っておきながら、自分たちは遅れまくりだもんな、いいよな女って。自由で」

 とりあえずヘアブラシを投げつけた。哲也の胸に当たる。鏡越しでもこの命中精度だ。我ながら感心する。

「亜美の友達の誕生日パーティーなんだろ?」

「うん」

「可愛い子、いるかな」

「大丈夫、あんたは呼ばれてないから」

「いいじゃんかよ、俺も少しくらい顔出しても」

「ダメ、呼ばれてないから」

「ケチ」

「部外者は出入り禁止ですので」

 毎度のようにこんなやりとりをしているから、哲也も私にダメと言われるのをわかって言っている。めんどくさいが、まぁ楽しい。


 時計を見ると十八時四十分になったところだ。亜美からの連絡はまだだったが、支度も終わっていたので家を出た。部屋の鍵を閉めて、哲也のポンコツ軽自動車に乗る。アパートの駐車場は誰も使っていない。哲也が来た時に停めるくらいということもあり、雑草だらけだ。車が出た後の駐車場を見ると、タイヤが踏みしめたところの草が折れていた。少しかわいそうになった。


「恋愛小説書くのにさ、経験値が乏しすぎるんだよね」

 なんとなく話し始めた。

「だろうな。あれ書けば、シャブ中の彼氏のこと」

「一番書きたくないわ、あんな奴のこと」

「メロメロだったのに?」

「メロメロじゃないよ、なんていうの、そういう大人な関係みたいなのに溺れたかっただけだよ」

「へぇ。そうなんだ」

 睨みつけてやろうとルームミラー越しに見た。前を見る哲也の目は笑っていなかった。


 長柄の信号を左折して、森戸海岸側へ向かう。トンネルの手前を右折して少し行けば左手に亜美の家へ向かう路地がある。住宅街の奥へ進むと、右側の一番奥が亜美の家だ。家の前へ横付けにしたところで、亜美から準備ができたとメッセージが入った。〝ちょうど今着いたよ〟と返して待った。


「ごめん、遅くなったわー」

 悪びれる様子もなく、リアシートに滑り込んできた。

(こいつ・・・やる気だな)

 亜美は瀬戸内檸檬のような爽やかな黄色のワンピースを着ていた。胸元のV字がセクシーで、間に小さなスワロフスキーがついていて可愛い。靴も同じ色味のパンプス。5cmヒールで足元まで美人だ。バッグはVUITTON。これでやる気じゃないなら、バービー人形にでもなればいい。

「間に合うから大丈夫だよ」

 哲也がフォローする。私が遅れたらブチブチ文句を言うくせに。相変わらず亜美には甘い男だ。


 薄暗い路地を抜けて、R207を渚橋方面へ向かう。

 もうすぐ梅雨の季節だ。六月初旬の葉山は爽やかな夏風が抜ける南国のようだ。対向車との譲り合いも、この時期はお互いに笑顔で見送り、やり過ごしていく。

 凪いだ海を左手に、鐙摺へ入るT字路を左折した。ラ・マーレは目の前だ。左手の駐車場前へ着けると、係が車を預かってくれた。

 車を降りて店の入り口へと向かう。今日の幹事をやっている真莉が出迎えてくれた。

「久しぶり!」

 真莉とは一年ぶりくらいだった。元々亜美の友達ということもあるが、実はちょっと苦手なタイプなので、私の方から真莉と連絡を取ることはない。多分、向こうも同じような感じに思っているだろう。たいして気にならないから、適当な距離感でいればいい。

 お店の人に奥へ案内されて歩き出した時、哲也はどうしているかと振り返ってみると、真莉と楽しそうに話していた。そんな距離感だったかな?と思ったが、どうでもいいので放っておいた。

 パーティーと言われていたので、てっきり二階のレストランでやるものだと思っていたが、案内されたのは一階のテラス席だった。なんでこんな横長の場所を選んだのかわからないが、このお店で一番好きなのがテラス席だったので、特に不満はない。

 招待された人が全員到着したようで、真莉が中央に立ち、乾杯の音頭をとる。

「みんな今日はありがとう。えっと、恵里のお誕生日ということで、ラ・マーレでのパーティーということにしたんだけど、実はそれだけじゃないんです!」

 まぁ何かしらサプライズ的な発表でもするのだろう。想定の範囲内だ。結婚か?

「恵里が結婚することになりました!おめでとう、恵里!」

 当たった。そんなもんだろう。一応驚いておこう。

 全員が歓喜の声を上げ、高音でおめでとうを叫びまくる事態になった。私もとりあえず乾杯だけは高音で付き合い、細いグラスに注がれたシャンパンを一気飲みしておいた。正直どうでもいい。

 恵里は美人だし、品があって可愛らしいし、高学歴だし、家事もできて、趣味は乗馬とかだったかな、そんな感じのザ・嫁さん候補みたいな女だったので、そりゃ早く嫁ぐだろうと思っていた。二十五まで独身だったのが不思議なくらいだ。別に妬む気持ちもない。いや、多少はあるが、ない。

 恵里が中央へ来て、旦那さんになる人を紹介している。既にどうでも良くなっているので、顔こそ向けて笑顔にしているが、内心は早く飯食わせろと思っていた。


 そういえば哲也はどうした。あいつは招待されていないが、真莉に取り入って入れてもらったのだろうか。あいつがいないと帰りの足が無くなる。メッセージを入れてみた。

〝あんた今どこいんの?〟

 すぐ既読になる。

〝駐車場の車の中〟

 そうか。店にはいないのか。

〝おなか空いた?〟

 さすがに餌くらいやらなければ。

〝腹減った。でもいいよ。後でなんか食べるわ〟

 従順な奴だ。ちょっとかわいそうな気がしたので、助け舟を出してやろう。

〝なんか持っていこうか?〟

 適当に手持ちできるオードブルでも持っていってあげればいい。

〝いいよ。楽しんできな〟

 やるな。よくできたしもべだ。だが、さすがに良心が痛む。

 亜美が来た。

「ごめん、あたしさ、この後ちょっとあるから、帰りは別でいい?」

 ちょっとある。なるほど。男だな。さっきチラッとみたが、亜美と話し込んでいる男がいた。背の高い、サーファーっぽい中途半端な長髪で、杢の入ったベージュのカジュアルスーツを着た、同い年くらいの男。亜美の好きそうなタイプだ。多分、何かしらのきっかけで話をして、この後飲みに行こうとか誘われたんだろうな。亜美は亜美だ。好きにさせておけばいい。

「いいよ。そしたらあたし、ちょっと用事できたから、そろそろ行くわ」

「え、まだ始まったばっかりじゃん。もうちょっと居れば?」

「いやいや、もうお腹いっぱい。恵里に声かけてから出るよ」

「そっか。わかった。哲也にありがとうって言っておいて」

 体をサーファーへ向けながら、そそくさと戻って行った。男がいると亜美はとてもわかりやすい女になる。まぁそこが憎めないところなのだが。


 恵里にお祝いの言葉をかけて、店を出た。真莉には声をかけなかった。

 駐車場へ行くと、哲也が運転席で居眠りをしていた。

「お待たせ・・・おい」

 肩を突く。目を覚ました。

「おぉ、おかえり。もういいの?」

「うん、気持ち的におなかいっぱい。どっかご飯食べいこうよ」

「そう?じゃ行こう」

 助手席で少し大きめの溜息をついた。やれやれ。気を使う場にいると頭が痛くなる。付き合いとはいえ、今後の人生では出来る限りああいうパーティーは出席しないようにしたい。

 哲也は何も言わず、家とは反対方向の江ノ島方面へ車を走らせた。勝手知ったる仲なので、何も言わなくてもそれなりのところへ連れて行ってくれるだろう。

「どうだった?」

「何が?」

「何がって、誕生日パーティーだよ」

「誕生日パーティーと思わせておいての結婚します報告パーティー」

「へぇ、そうなんだ。恵里ちゃんが?」

「そう」

「で、出遅れてるお前はふてくされて早々に出てきたと」

「失礼だな、つまんないから出てきただけだよ」

「つまんないよな、出遅れてるから」

「違うって言ってるじゃん。ばーか」

 悔しいけど当たっている。まぁそういうことだ。出遅れたとまでは思っていないが、別に誰が誰と結婚しようが、そんなもん、私には関係ない。哲也に揶揄われるのはわかっていたが、そりゃふてくされるわ。

「お前さ、結婚とか考えることあるの?」

「なんでよ、急に」

 哲也が結婚の話を持ち出してくるのは珍しい。恵里の結婚の話を聞いて目覚めたのだろうか。

「別に結婚願望がないとかじゃないけど、そういう実感はないよ。まだやりたいことあるし、結婚ってそんなに重要視してないからね」

「へぇ、そうなんだ」

 そもそも結婚願望というのがよくわからない。私くらいの年齢だと結婚適齢期だのなんだの言われることも多くなるが、なんで結婚しなければならないのか、結婚というものが必ずしも通らなければならない人生の経過点だというのか、と疑問に思っている。したけりゃすればいいだろうし、したくなければしなきゃいい。

「あんたは?」

「俺?・・・俺はしたい」

「へぇ、あんたに結婚願望なんてあるんだ」

 夜の海にムーンロードが描かれている。視線を海へ置く。

「なんだよ、あったら変かよ」

「変じゃないけど、あんたが旦那さんになるのって想像つかない」

 哲也が無言になった。怒ったかな?と思い、ルームミラーでそれとなく様子を伺った。ちょっと微笑んでいる。

 視線を海に戻した。沈黙が流れる。

 耳を澄まして、目を閉じた。

 FMからHard to say I'm sorryが流れてきた。CHICAGOの名曲だ。


 七里ヶ浜の行合橋で、コンビニの駐車場へ車が入る。

「飲み物買ってくるよ。何がいい?」

「あたしはコーラ。お金は?」

「いいよ。待ってろ」

 哲也がジーンズの後ろポケットに、長財布を押し込みながら歩いていく。

 待っていろ、と言われたが、なんとなく車を降りた。

 海を見る。ムーンロードが煌びやかで綺麗だ。伸びをして自分をリセットする。何も変わらないかもしれないが、リセットされたと思い込めばそれでいい。

「はいよ」

 哲也がペットボトルをプシュっと開けてから渡してくれた。

「ありがと」

 なんとなく目があった。コーラとコーラで乾杯をした。

 哲也の横顔が大人びて見える。微笑んでいた。

 今夜は私もそんな気分だった。落ち着いていて、穏やかで、大人びた気持ち。

 ささくれ立った心が、月明かりの柔らかな光に包まれていく。

「優雨」

「ん?なに?」

「結婚、しようか」

 哲也が振り向く。真剣な目だ。冗談で言っているわけじゃない。

「え、なに言ってんのよ・・・」

「結婚、しよう」

 右手が哲也の左手に包まれた。振り払おうとは思わない。

「また十分だけでしょ」

「違うよ」

 あの頃とは違う、大人の男になった哲也が目の前にいる。

「あたしで・・・いいの?」

 受け入れる気持ちが言葉となって出ていく。

「お前じゃなきゃ駄目なんだ」

「・・・ありがとう」

「結婚しよう」

「はい・・・」

 哲也の右手が私の頬に触れる。手を重ねた。見つめ合った瞳に自然と瞼が降りていく。

 唇が触れ合った瞬間、心と身体が揺さぶられた。


「おい、着いたぞ」

 目が覚めた。

 ここは・・・

「飯、行くぞ」

 哲也が車を降りて外に立つ。看板が目に入ってようやくどこかわかった。所詮、私はこの程度の女なのだ。牛丼。

「あんたさぁ、もう少し女の子連れていくお店とか考えないの?」

「お前、女なの?」

 なんであんな夢見たんだろうと思うと、腹が立ってきた。とりあえず哲也の左肩にパンチをお見舞いして、店へ入って行った。今夜は牛丼と豚汁に温泉卵とお新香もつけて全部払わせてやると決めた。

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