第4話

 


 エンネは目を覚ました。

 見覚えの無い天井は真っ白でシミ一つなく・・・。

 そういえば、ブラックギルドハウスの一室をお借りして就寝したのだったと、大あくびをしながら両手を上にあげて背筋を伸ばした。

 村から出てしばらくは転々とした生活で、慣れない旅というのもあってか熟睡出来たことはなかった。

 しかし今回の就寝環境があまりに良かったからか、芯に溜まった疲れのようなものが抜けたような感覚を感じていた。

 このまま布団の中で二度寝するべきじゃないかという悪魔のささやきを振り切るために、身体の三倍以上はあるキングサイズのベッドから起き上がろうとする。

 ふかふかすぎていまいち動きづらい。

 自然と口から出たうめき声を垂れ流して、泳ぐように移動して足を下ろす。

 そうして改めて、周りを観察する。

 先ほどのベッドがあともう一つおけるくらい広い室内には、クローゼット、書類を処理するための机、これまたふかふかで背もたれがしっかりした椅子、その後ろの大きなガラスがはめられた窓。

 全ての装飾は豪奢ではなく、非常にシンプルなものだ。自分の未熟な観察眼ではこれらが非常に高価なものなのかどうかはわからない。

 が、農民が片手間で作った家具より、明らかにしっかりした作りであることは見ればなんとなくわかる。

 パーツの一つ一つが均等に揃っていて、反りや割れ、ささくれもない。

 表面はとてもなめらかであるため、職人が丁寧に作ったのだろう。

 短い旅だったが、その道中で泊まった宿ではここまできちんとした作りの家具やベッドを見ることは一度もなかった。

 ある宿では床に藁をひいてシーツを乗せただけというのもあったし、別の宿では分厚いマットを裏返すと虫だらけで悲鳴を上げたこともあり、最も酷かったのはとにかく悪臭が強烈すぎて即時引き払ったほどだった。

 部屋に入るまでそのような悪臭が無かったので油断していた私も悪い。

 といったように、そういう環境に比べればここは天国といっても過言ではなかった。

 そもそも実家そのものが安心して身を置ける場所などではなかったエンネにとっては、一人でゆっくり出来て静かに居られればどこでも天国かもしれない。

 こういう環境だからこそ、脳裏によぎるのは村に残してきた末っ子である弟だ。

 あの両親から生まれたとはとても思えないほど心が優しい子で、私が狩りで怪我したり、獲物がとれなくて落ち込んでいるとき、いつも励ましてくれたり野草の塗り薬を持ってきてくれた。

 早くお金を稼いであの子を引き取るのだ。

 そこそこ年上の兄と姉たちもいるが、あの人たちは全く当てにならない。 結局年下は年上のストレスのはけ口にされるだけだ。



 「頑張らないと・・・」



 エンネはいつの間にか綺麗になっていた服に驚きながら感謝しつつ着用すると、ドアの外を出て広間に向かった。

 これまた触りごこちの良い手すりを伝いながら、赤い絨毯が敷かれた階段を降りた。

 広間の吹き抜けの天井の一部ははめ込み式の天窓になっている。

 それゆえ、その天井を支えるために、入口へ向かって等間隔で大きな支柱がそびえ立っている。

 その隙間を縫うように、天窓から斜めに差し込んだ朝日が柔らかに広がり、虹色の光の粒子が空気中で舞い、まるで金色の粉が宙を漂っているかのように、静かにきらめいていた。

 そしてエンネは気づいて首を傾げた。

 階段から最も近い柱の影に、何やら大きなボロ雑巾のようなものが丸まっている。

 影に重なっていたので認識できなかったが、やはりどこからどう見てもボロ雑巾みたいな何かだ。

 近寄ってかがみこんで軽く触れてみると、シルクスパイダーの蜘蛛の巣みたいに柔らかい毛だった。その上、さらさらですべすべで病みつきになる触りごこちである。

 ここ数日、人生で経験したことのないようなプレッシャーにさらされ続けた緊張感から解放されたことで、妙な興奮を覚える一方で、切実に癒しを求めていたエンネは、それはもう手当たり次第に触れていた。

 そんな中、にゅっと顔が毛皮の中から出てきた。

 それは美少女の顔であった。

 その時、天窓から差し込む柔らかな光が、ちょうど彼女の顔半分に降り注ぐ。まるで彼女だけを選んでいるかのように。

 太陽の光が彼女の狼耳にかかり、それは絵画の一部のように美しく映し出している。

 床に猫のように丸まって眠っていた少女が、ゆっくりと上半身を起こす。 半分閉じた瞳は、太陽の光に照らされて優しく輝き、こちらをじっと見つめる。

 あどけない表情の中に秘められた凛とした美しさがあった。まさに、この世に二人とはいない絶世の美少女。

 その姿は、美しさと可愛らしさが絶妙に混ざり合い、儚くも目を離せない。

 照らされた柔らかな髪と、あどけなさが残る顔立ちは、まるで世界そのものが彼女のために整えられているかのようだ。

 彼女のために何かせねばとエンネは腰に付けたバッグから何かを取り出そうとした。

 こんな美貌を持つ神のような美少女になにをあげるというのだ? 自分ごときが何を言っているのか。でもしかしでもしかしでもしかしでもしかしでもしかしでもしかし・・・。

 


 「師匠、駄目ですよ」 



 凛とした声が響いた。

 ハッと顔を上げる。

 革のブーツが床を打つ音、金属鎧が擦れる音が徐々に近づいてくる。

 その音が止まり、美少女の後ろにもう一人、美少女が立った。

 顔の小ささで気づかなかったが、身長がかなり高い。昨日会ったバードさんと同じくらいだろうか。

 彼女は旅装用のコートと軽鎧に身を包み、腰には標準的な大きさのロングソードを下げ、首に巻いた長く青いマフラーをたなびかせ、おもむろに師匠と呼んだ柔らかな毛の塊を脇に抱えた。

 凛とした佇まいに、どこか柔和で、人の良さが滲む穏やかな笑みを浮かべている。

 


 「ルキナ・アルバです! あなたがエンネさんですね?」

 「え、あ、はい」

 「何やら私と年齢が近いっぽいので是非仲良くしてくださいね!!!」 



 そう言い終わると同時に、抱きしめられた。圧迫感がすさまじい。

 コートが大きくて気づかなかったが、胸部がかなり豊満だった。



 「わ、わ、わかりました・・・」

 「では師匠は持っていきますね! 耐性の無い方が長時間師匠を見てると狂っちゃうので!!!」

 「く、狂う?」

 「それでは!」


 

 有無を言わさず踵を返すと、こちらへ向かって元気よく片手を上げて彼女は出ていった。

 残ったのは僅かなぬくもりと爽やかな花のにおいだけだった。



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異世界日報 神田進 @kanda_3

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