二.藤原氏のネガキャンに踊らされるな!

ゴミ屋敷と形容するのが、一番分かりやすいだろう汚部屋である部室にお客を入れる訳にも行かないので、隣の応接室に赤花マイラさんを招き入れた。


「私、最近。好きな方が出来ましたの。だから恋愛部さんの戸を叩いたんですわ──このココア、クッソ不味いですわね。三百ポイントくらいかしら」


部屋の中心──テーブルの対極にさし向かう、パジャマに探偵帽と丈合わずのコートを着崩しに着崩したツクロ先輩が出したミルクココアに口付けて。赤花さんは、失礼な事を口零した。

それを聞いたツクロ先輩は激昂する。


「おい!お前!殺すぞ!この味が分からないなんて!頭おかしいんじゃないか!?値段は三百でも、味は一億万ポイントなんだぞ!」


先輩のココアを俺も飲んだ事があった。

甘ったるくて不味かったのを覚えている。それに粉っぽい。分量がおかしいのだ。熱湯:粉=1:2なのだ。

まあ、ともかく。

値段を言い当てた事も含めて、舌は確かな様だが、人から入れて貰ったものに不味いと言ってしまえる赤花さんが少しおかしいのも確かだった。


「何ですの?そんな殺人鬼みたいな双眸で私を睨んで」

「ああ、気にしないでやってくれ。赤花マイラ。怒っている訳じゃない。ただ、目つきが少々、いやとても悪いだけなんだ。許してやってくれ」


俺の目つきが悪いのは、元より自覚ありなので、何も言わない。

コミュ障の俺の代わりに説明してくれた、ツクロ先輩に感謝である。

俺は無言でツクロ先輩に感謝の念をてれぱした。


「あら、そうですの。それじゃあ本題に入りますわ、私実は─」

「─蘇我入鹿が好きなんだろ!私達がバックアップしてあげよう」

「何で知っているのですの!?」

「私は、恋愛部の部長だぞ。それくらいは知っているさ」

「……なんというか、恐ろしいですわね」


毎度の事ながら、学内の恋愛事情にツクロ先輩は詳しかった。

赤花さんは林檎みたく顔を染めて、顔を覆った。


「そう、実は私。蘇我君が好きなんですの……」

「どこが好きなんだい」

「優しいところかしら」

「何かあったのかい?」

「いや、まあ、大したことではないんですけど……」


滞りなく進んでいく一部始終を眺めていたが、我慢出来なくなって口を挟む。


「何で!どうして!大化の改新の悪役政治家の事が好きなんだよ!おかしいだろ!」


俺の渾身の突っ込みによって、空気が凍った。



凍った茶の間を溶かすように、ツクロ先輩は破顔する。


「ヒャハハッ!真友って本当にヤバいな!急に口を開いたかと思えば、そういうところ」

「あんたらの方がヤバいからな!蘇我氏を好きな奴なんて誰も居ねぇよ!」

「ヒャハハハハッ!罪を重ねるなよ!藤原氏のネガキャンに踊らされるな!蘇我入鹿も良い奴だぜ!勿論稲目も馬子も!

そして!

赤花マイラの好きな方の蘇我君は、お前のクラスメイトだよ!クラスメイトの名前ぐらい覚えておこうねぇ」


ツクロ先輩は呆れたというふうに、嘲笑し、俺の肩を叩く。その笑顔は硝子しょうこさんに少しだけ似ていて、俺は。


「……はい。ごめんなさい」


としか言えなくなる。


そういえば。俺はクラスメイトについて殆ど知らない。入学してから一年間半、ある程度は顔を合わせている筈なのに、名前を覚えているのは数名だけだった。

もしかすれば、名称不明のクラスメイトの中には、蘇我入鹿が存在するのかもしれない。


「……すみません。続けてください」謝って続きを促す。

「貴方、蘇我君とクラスメイトですの?」

「おそらく、多分。ツクロ先輩が言うには」

「そうだよ。コイツのクラスメイトだ」

「クラスメイトを忘れているなんて。覚えていないなんて、人としてダメですわね」

「すみません。人の名前覚えるの苦手で。反省しています。もう覚えました。蘇我入鹿ね、蘇我入鹿」


俺は覚えたい人の名前だけ覚えておけば良いと、開き直っているクズだった。

俺の心を読んだらしいツクロ先輩は、再度ニタニタと笑いながら、俺に向かって両手を広げた。


「蘇我入鹿の名前なんて、覚えなくて良いよ。好きな人間の名前だけを覚えておけば良い」

「そうですよね!ツクロ先輩!」


ツクロ先輩の小さな体に飛び込んで、先輩の長い桃髪に指を絡ませながら、力一杯抱きしめて、先輩の体温を感じる。


「私の目の前で、イチャつかないで貰えますかしら?」

「イ、イチャついてねぇよ!?」


咄嗟にツクロ先輩から離れて、赤花さんに怒鳴る。

有り得ない。ただ、俺はツクロ先輩に感謝を伝えただけなのに。


「そうだ!真友の言う通り、イチャついてなんかない!さあ、話の続きをしようか」


ツクロ先輩は、更に崩れたコートを整えながら、方針を定め始めた。


「蘇我入鹿は、真友と同じ一年B組の男子生徒。パートナーは、私の知る限り現在はいない。恋愛対象は生物学的に──女性。可能性は十分にあるが。……どうだろうか。自分の魅力はなんだい?赤花マイラ」

「私、お金ならありますわ」

「もう、ダメだろ!この人!」俺はまた叫んだ。


先輩は俺の鼻を突っぱねて、不気味に笑った。


「ひひひ、真面目な話、金は最大の魅力の一つに成り得るぞ。師匠にぞっこんな真友には分からないと思うが。それよりも。そうだな。どうして、学校なのに真っ赤なドレスを着ているんだい?」


学校なのにパジャマ姿の、ツクロ先輩が自らを棚に上げて訊く。


「私の美しさを表現する為ですわ!」


どん、と誇らしげに胸を叩く彼女の言う通り。身に纏う深紅のドレスは、彼女の長い金髪を映えさせる──美しさを底上げしているように思える。


「ほら、真友も見習った方が良い。お前は、服装から、雰囲気から全部清潔感が無さすぎる」

「……」

「でも、それで良い!誰にも迷惑かけてない!知らんが!」

「──先輩!」

「──真友!」

「──イチャつかないでくださいまし!」



赤花さんと今後の計画について軽く話した後。今日はもう遅いので、明日もう一度来てもらう事になった。

時刻は午後八時。この時間には、殆どの生徒は寮に帰って行く。

俺達にとっては部室内が家である。一応、寮に部屋は存在するが、俺達は面倒くさがりなので、自室に帰っていないのだった。


私立山田立タマズサ都市学園。十Km2の敷地面積を誇る我が学校。校舎や体育館以外にもショッピングモールやコンビニ、アミューズメントパーク等々、青春を謳歌するために必要な建物総てが敷地内に揃っている(海は無い、要らん!by山田理事長)。

この学園では、学園内のみで使用出来る「ポイント」を通貨としている。

毎月、生活費としてのポイントが全生徒に配られる。

それはまあ、ともかく。恋愛部においては。

昨年部長を務め、そしてタマズサを中退した──硝子さんが、現部長のツクロ先輩に莫大なポイントを残していったので。

正直なところ、ポイントには困っていないのだが。

恋愛部員から狂信されている硝子さんと孔子さんの格言──「人助けをしようぜ!」。

その言葉は大切に守っている部員達──つまり俺達は、日夜、勉学よりも人助けに励んでいる。人助けをすれば善行ポイントが手に入ったりもする。赤花さんのキューピッドを担うのも、その延長線なのだ。


「硝子さん万歳!」

「急に、どうしたの?」


硝子さんへの愛を叫び出した、俺に対して。ベッドの上でスマホ弄り中の、ツクロ先輩は驚いた様子。既に帽子とコートは脱いで、いつもの薄桃色のパジャマ姿。ふわふわの布団に巻かれて巻寿司のようになっている。


「いや……これが辛すぎて。硝子さんとの思い出を思い出して、現実逃避してました」

「──キモ」


読書感想文を書いている。

少女漫画の名作らしい「青い星物語」の読書感想文を、ツクロ先輩に書かさている。

400字詰原稿用紙十枚。つまり、単純計算で4000字。多い。


「宇宙人と地球人の超異文化恋愛!素ン晴らしいでしょ!そんなのちょちょいと書けるでしょ!」

「先輩ならそうでしょうね!」


先輩は、恋愛を題材にした漫画が大好き。

加えて、ツクロ先輩はS組。俺とは程遠い学力をお持ちなのだ。

学力が直接文章力に繋がるとは限らないが、ツクロ先輩なら余裕で書き切るだろう。

彼女ならば、純愛少女漫画の読書感想文なんてぱっぱらぱーだろう。


「でも俺は先輩とは違うの!それに、宇宙人の眼球が真っ黒で、白目の部分が無くて。怖くて怖くて、話が入って来ねぇの!ヒロインの顔が怖いって問題じゃんか!」

「オマエ!人を見た目で判断するのか?」

「これに関しては……する!」

「主人公は、そのブラックホールアイも含めて彼女の事を好きになったんだよう。彼の選択を尊重しようぜ。ゴリゴリの純愛なんだよう。それに漫画作者のらぎちゃんさんの趣味なんだよ!ビッグ黒目は!可愛いの!──仕方が無い!説明しよう。語らせてくれ!」

「語らせていらん」

「──ぐわぁ!」


ヒートアップしてきたツクロ先輩の頭を、立派な触角ごと、枕に押し付けたところで。

タン、タン。

扉が開く。


「──ヒキコモリの社不達。ラブラブ中、お邪魔かもしれないですが、夜ご飯でございますよ。あと、部屋クセえです。換気してください」


優しく開いたドアから侵入してくる、透き通った美声の持ち主。指定の制服を正しく着用しており(どうしてこんな注意書きが必要なんだ)。胸元には一眼レフがぶら下がっている。

新聞部の間々形ままがた。俺が名前を覚えている数少ないクラスメイト。例によってポイント稼ぎの為、出前のアルバイトをしている。

俺達は、晩御飯を運んで来てくれた間々形に感謝を伝えた。


「ありがとうーばー」

「ありがとうーばー」


俺とツクロ先輩が変な事を口走ったというのに。

間々形は動じた様子無しに、床にズドンと置いたリュックから食べ物を取り出し、部屋の中心のテーブルに淡々と並べていく。


「──豚骨ラーメンに味噌ラーメン。唐揚げ、トンカツ。大福もちアイスに、ハーゲンダッツ、ガトーショコラにあたりめ、羊羹」

「よう噛んで食べてねって言ったら、千ポイントあげるよ」


ツクロ先輩が、間々形に囁く。間々形は引き攣りながら、先輩の言う通りにした。


「…ッ!よう噛んで食べてくださいね!社不達ッ!」

「ハイ!よく出来ました。ちなみに、あったりめーだ、世の中全部あたりめに決まっているだろう!って言ったら二千ポイント追加するよ」

「あったりめーだ!あたりめこそ、この世でいちばん美味いに決まっているんですよ!」

「まあよし。後で振り込んどく」


金持ちと金の亡者が織り成す風刺的な漫才を見物しながら、味噌ラーメンの丼ぶりに口を付ける。

すると。

ツクロ先輩は、麺ズルズル中の俺をニヤニヤ笑って指を指してきた。


「なに?」

「いただきますって言ってないだろ」

「そんな硝子さんみたいなこと、言わないでくれよ」

「……そこはせめて、母親であってくれ。真友は本当──師匠にぞっこんラヴ。もしかすれば、たらし師匠の方が悪いんじゃないかと、今思い始めた!」

「誰ですか、そのタラシショウって?新聞部の間々形としては、気になります!」


どうでも良いが、間々形の一人称は間々形だった。


「絶対言うなよ。先輩!」

「あいよ!ほら真友。ちこうよれ!私を膝に乗せろ!カム、カム、ケイム!」

「先輩が来て」

「やむなししかたなし」


俺の胸にツクロ先輩が滑り込んでくる。

ツクロ先輩のおでこが、俺の胸にズドン。食堂通過中の麺とスープが逆流しそうになるのを堪えながら、先輩と一緒に床に倒れる。

自分よりも一回りも小さい先輩に押し倒された形になる。

先輩の鼻が俺の鼻とキスをした。


「──イチャ付き始めましたね!間々形は帰りますので!さようなら!ご贔屓に!メクサレコンブと愛家先輩!」 


一人称間々形の間々形は、赤面して。常に携帯しているカメラで、サンドイッチな俺達を写真に収めた後。

入ってきたドアをキツめに閉じて、帰って行くのだった。


「間々形ってムッツリだよな?先輩」

「知らん」

「万年発情期なのかな?」

「それはお前だよ!真友!ずっと師匠——元カノの事ばっかり考えてる!」

「元カノじゃない!振られてないもん!連絡取れなくなっただけで、振られてないもん!今カノだぁ!硝子さんは俺の彼女だぁ!」

「キツい!キツい!キモい!まじで気持ち悪い。死んだら!?──恥ずかしくなる前に黙っときな!私、吐いてくる」


ツクロ先輩は俺から飛び起きるように離れて、食事に手を付け始めた。














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きりたんぽ鍋の前でだべるな! 狐木花ナイリ @turbo-foxing

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