第62話 日深月惚(2)

 夜とはいえ、外は暑いし、夜も街灯の灯りで眠れないらしい蝉の鳴き声がうるさい。

 暑いだろうに、ベランダで後藤は誰かとスマホで話をしていて、すずは部屋の中でスマホに入っているまさの写真データを眺めて過ごしていた。テレビのある広間には、人が集まっているようだが、そこに加わる気にはなれない。


『練習1日目終了。イヤミなやつ、いたからごつーといっしょにつぶした。えへん。』


 涼は雅にメッセージを送った。


『油断して明日はすり潰されないでね』


 というメッセージとおやすみという文字の入った謎のキャラクターが寝ているスタンプが送られて来た。正直、余り可愛くない。

「このキャラ、何だろう?」

 前に、サッカーの試合を見に行った時に、芝生の上に敷いたシートにもこのキャラがプリントされていたことを涼は思い出した。

 雅の趣味ってどっか変、と思い、それから、だから自分のことを好きになってくれたのかなと考え、涼は漠然と複雑な気分になる。


「あづいー、涼しー」

 後藤が暑いベランダから、エアコンが効いた部屋に戻って来た。

「中で話せばいいのに」

「やだ、彼氏と話してるのに。ハセガーに聞かれたくない」

「え!!?ゴトゥー、彼氏いんの!?」

「これだけ可愛いんだから、いて当然♪ 」

「…ああ、うん、そーだね」


 ……


「ねー! そこは、ツッコんでくれるところでしょ」

 後藤が困った声を上げる。

「いや、確かにゴトゥーはすっごくおかしいけど、めちゃくちゃおかしーけど、かなり相当おかしーけど、見た目は可愛いし、いいヤツだから、彼氏がいてもおかしくないなあ、と思った」

 それあんまり褒めてないと文句を言う後藤の頭に涼は手を伸ばし、その髪を撫でた。

「ふつーは、誰と付き合ってんのー? とか聞くもんじゃないの? あと、そんなにおかしくないもん!!」

 赤い頬に手を当てて、後藤が涼に文句を言うが、頭を撫でられていることについては不満がないようだ。

「別に、ゴトゥーの彼氏なんて、わたし、誰でもいいもん」

「だって、ハセガーの好きな人かもしれないじゃん」

「絶対違うから大丈夫」


 そして、涼は後藤から秘密を聞かされた。サッカー部のトップシークレットと言っても過言ではない。

 後藤の彼氏は、キャプテンの原先輩が溺愛してやまない弟さんだった。

「……そりゃあ、ゴトゥーあんた原先輩にいじめられるわけだ」

 だよねっ、と後藤が照れながら呟くが、その表情がなんだか可愛いと涼は思った。


「でもさ、ハセガーも、好きな人いるんだね」

「え?」

「さっき、好きな人、いないんじゃなくて、絶対違う人、って言ったー」

「あああああ!」

体温急上昇した涼を見て、後藤はそれ以上の追求はしないでくれた。



 合宿2日目。


 涼と後藤を見る周りの目が1日目と違っていた。

 特に、涼。

 身長が高いだけの素人のくせに選抜された、という評価は完全になくなった。むしろ、サッカーを始めて僅か3か月で、ここまでプレイできるものなのか、という方に評価が傾いていた。


「昨日はごめんなさい」

 涼は、陽湘の1年生たちに謝られた。

「謝罪は受け入れるけど、わたしが下手じゃなかったから謝るっておかしいと思うよ」

 相手が決まり悪そうな顔になると、その顔を見て、涼はちょっとした罪悪感を持ってしまう。

「ごめん、言いすぎた。色々あって、バスケやめて陽湘やめて外部受験して、今はサッカーしてる」

「色々あって」のところはどれくらい知られてるのか分からないけれど、と頭の中を不安がよぎる。去年のバスケ部中等部に何かの事件があったことくらい知っているだろう。涼は、親指でチョンっと自分の鼻を弾いて、話題を変えることにした。

「ね、もし、良かったら、わたしにボールの蹴り方とか、そういうの教えてくれない?」

「…長谷川があんまり巧くなっても困るんだけど」

 涼の提案に彼女たちは苦笑いする。

「いくら何でもそんなにすぐには巧くなんないよ。自分の学校じゃまだスタメンにもなってないくらいだからさ」

 涼がそう言いながら握手を求めると、彼女たちもそれに応えてくれた。


 ポジション別の練習のキーパーのグループでは、昨日と同じく、涼が最も下手なのは変わらなかったが、雰囲気が変わった。下手な涼を嘲笑うようなことはなく、むしろ、他の3人が涼にあれこれとアドバイスをくれるようになり、それにしたがって、学校や学年に関係なく、互いに練習内容について話し合うようになった。

 キーパーのコーチが、その変化に若干戸惑いながらも、昨日よりは良い雰囲気で練習ができていることを評価してくれた。


「長谷川、運動神経に頼るなっつてんだろう!あと、バスケじゃないぞ。腰が高いんだよ!」

「蹴る時にボールのどこに足を当てるか意識しろ!どこ見てんだ」

「長谷川!同じこと言わせるな!!」

 涼がコーチにべた褒めされることなど勿論なく、同じようなことで叱られ続けていた。

 そして、涼の言った、「いくらなんでもそんなにすぐには巧くなんない」が嘘に思えるくらい、涼がコーチや監督の指導を吸収していく姿を周りは驚きの目で見ていた。


「なんで、練習では1番下手くそなのに、試合の失点は少ないの?」

「ゴトゥー、1番下手くそって言わないでよ、ホントだけどさ」

 今日は2チームに別れての試合だったが、メンバーは10分おきにどんどん変わる方式だった。監督たちは、手を変え品を変え、選手の実力を測り、最も適切なポジションや動かし方を考えているらしい。

「でも、ゴトゥーだって、1番巧いわけじゃないけど、試合での得点多いよね」

「そこは、1番巧いってことじゃないの?」

「得点が多い選手は目立つけれど、1番巧い訳じゃないって、大久保先生言ってったもん」

「ぎゃー!ムカつく!!」




『なんかごつーと仲良くなってきた』


『ずるい』


『悔しかったらこっちおいで』


『ムカつく。すずのくせに』



 涼は雅と短かいメッセージのやり取りをする。後藤は、またベランダで彼氏と話している。

 涼と雅は、短かい言葉のやりとりを少しだけ。

 素気ないといえば素気ない。でも、後藤みたいに電話で話すのは、涼にとって何だか恥ずかしかった。




 3日目


 選抜メンバーは、徐々に、AチームとBチームに振り分けされていく。Aの方が実力がある。涼も後藤もAに入りそうだ。17歳以下の選抜選手の中でも、二人とも県代表として認められるだけでなく、その存在が周囲に知られるようになってきたが、当の二人はマイペース過ぎて、周囲の評価に全く気付いていない。

 今日も、涼は、午前中の作戦理解も午後のポジション別練習もヘトヘトになって取り組んでいた。

 そして、ただ高くジャンプするだけだったハイボールの処理も、膝や腕の使い方を教わって負傷や反則を避けることを覚え、逆に苦手だった足元へのボールの処理に慣れてきて、セービングの力が確実に伸びたという実感を持てるようになってきた。今の涼にとっては、下手くそではなくなることに価値があり、この県代表のチームでの自分の立ち位置を全く気にしていなかった。




 5日目練習後


「明日の練習試合のユニフォーム配るぞー。長谷川!」

 最初に涼が呼ばれ、周りがざわめいた。

 涼自身は、なぜ自分から渡されるのかが分かっていない。

 受け取ったユニフォームには、県名と「1」という数字が入っていた。

「うおあ!?」

 涼が変な声を出す。

「何だ、長谷川?」

「監督、これ、背番号間違ってます!」

 涼がビシッと姿勢を正して監督に申告した。

「違わない。長谷川が背番号1だ」


「うぉぁ?」

 涼が声を出しているうちにどんどんユニフォームは配られ、後藤は背番号9のユニフォームを受け取っていた。


「明日は、2チームと練習試合をする。全員1回は出すから、そのつもりでいろよ」

「「はいっ!!」」



『やばい、せばんご1きた!』


 涼のそんなメッセージに、びっくり顔の変なキャラクターのスタンプが10個くらい連打されて届く。そして、もう1通。


『背番号1のすず見たいから、明日の練習試合行くね』


「やった!雅が来る…!」

 思わず声が出てしまう涼だった。

「誰が来るの? 」

「ニシザーだよ、練習試合、見に来るって」

 後藤に聞かれて涼は答える。答えながら、顔がにやつく。



 顔を見ることができなかったのは、たったの1週間。

 


 雅に会いたくて仕方がなかった。


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