第五章 好きだからこそ負けたくないんだ
第61話 日深月惚(1)
県の
県内の高校生が約30人集められていた。
どの顔も、今年の夏の大会で見た顔で、優勝した陽湘の選手は10人超えている。全国大会では確か2回戦で負けてしまったとはいえ、インターハイの後にすぐ選抜があるとは、陽湘の選手たちは忙しいな、と涼は他人事のように思う。
涼を含めてキーパーも4人いた。
合宿の同室者は
そして、毎日、午前中には基礎トレの後に必ず2時間の座学があるのに、涼は驚いた。
「監督の戦術を咄嗟に理解できるようになりなさい」
それは、監督やコーチ陣が示す作戦を理解し、どのように動くのか、頭で理解する訓練だった。
涼は、ホワイトボードにペンやマグネットで指示される動きのほとんどが理解できない。大久保先生の指示は簡素だし、そもそも代理でベンチ入りして試合に2回だけ出たという程度の涼に、それほど作戦の指示はされていない。
4–2–2、5–4–1、3−4–3……
陣形によって、それぞれのポジションの動きが変わる。
ゾーンディフェンス、マンツーマン……
専門用語が飛び交って涼の頭は混乱する。
メモしたり、考えたり。
こういうのキーパーでも役に立つのか分からないなあ。
……
涼は雅の顔を思い浮かべる。
勉強に損はないん
とか言いそうだな。
ホワイトボードを見ながら、涼の頭の中は一瞬、雅に傾く。
涼、バスケだったら?
ああ、そうだね。ルールが全然違うけど、フォーメーションがあるという点ではバスケもサッカーも一緒だ。
涼は、頭の中の雅の問い掛けに答える。結局はただの自問自答に過ぎないことも承知しているが、涼にとって、サッカーの先生は雅だから、雅の声や口調を思い出しながら考える。
ちゃんと作戦を理解しないと、ゴールキックの時に自分がどこにボールを出すのか分からないしょ?逆に、敵の陣形を見れば、どこからボールが来るのか推測しやすくなるん
「そういうことか」
_____
「長谷川!」
午後の練習時間、練習着を着て集まっていたところに、涼は突然声を掛けられた。
誰だろうと思って振り返ると、知っている顔だった。
中学校時代に同じクラスだったことがある子だ。サッカー部だったんだっけ。その隣にいる子はあの頃の隣のクラスだったような、と涼は記憶をほじくり返す。
そう言えば、先月の準決勝のときも試合に出ていたような、出ていなかったようなと涼はうっすらと思い出した。
「長谷川は、なんで、
「なんで、って呼ばれたから」
「そういう意味じゃなくて、あんたバスケやってたじゃん」
「今は、サッカーだよ」
「なんで?!」
涼はイラっとする。
人が何のスポーツをしようとやめようと勝手じゃないかと思った。バスケをやめて文句を言われ、サッカーを始めて文句を言われ、たまったもんじゃないと腹を立てる。
「あのさ」
「ハセガーが何やろうとあんた関係ないじゃん。サッカーの競技人口が増えたんだから、それはイイことでしょ。ハセガー、行こ♪ 」
涼が言い返そうとしたところに後藤が口を挟み、ムッとしている涼の腕を引っ張って、会話を無理やり終わらせた。
「ちょっと!」
後ろから不満そうな声が聞こえてくるが、後藤は無視して涼の腕を引いてスタスタと歩いていく。
「ゴトゥー?」
「あたし、あーゆーの嫌い♪ 相手にすんの時間の無駄 」
残念帰国子女も色々言われるのだろうか、と涼は思う。
「……ありがとねゴトゥー」
「どーいたしまして♪ 」
陽湘の運動部の生徒たちは、多かれ少なかれ、みんなあんな感じだ。いつだって、レギュラーという決まった数の少ないパイを取り合って争っているから、一人でも競争相手が増えるとすぐに腹を立てる。
今ならその気持ちも分かるかな、と涼は思わないでもない。
もし、自分の高校に今、上手いキーパーが入ってきたら、確実にへこたれるし、その子に文句の一つも言いたくなる。しかし、正キーパーとなった林先輩は、一度でも涼のことを邪険にしたことはない。どちらが
「ゴトゥー、わたしらここで頑張るしかないんだよね」
「ぜーんせん気は乗んないだけどぉ」
「踊んないの?ここじゃ」
「気が乗んない、何もかも。あたしは、自分のやりたいところで、自分のやりたいことをしたい」
「原先輩に殴られても?」
「…それは悩むな♪ 」
「殴られたいくせに」
「ちーがーうー!」
二人で笑っていると、集合の合図が掛かった。
奇人だと思っていた後藤は二人きりだと存外
周りのことを何も見ず、自分の好きな人ばかりを追っていた中学校時代と違う。ただ誰かを追うんじゃなくて、今は、雅やみんなと一緒に走りたいんだと、涼は思う。
「長谷川!!体に甘えるな!」
「はいっ!」
午後の前半は、ポジションごとに別れて練習。
甘えるな、って言われても。
コーチが言うには、もともと持っている運動能力が良すぎるから、それに頼りすぎる癖が付いていて、力技で強引に何とかしてしまおうとしまいがちで、基本の動作を疎かにしているということらしく、褒められているような気もするが、とにかく基礎がないということらしい。
ゴールキーパー専門の大人から教わること自体が初めてだ。膝の曲げ方からパンチングの手首の角度。予想外に細かい。ただシュートを防いでいればいいというものではないとは分かっていたが、知らないことが余りに多すぎた。それに、ゴールキックに至っては、ほぼ素人で、他の3人のキーパーに比べたら明らかに劣っていた。今の涼にとってボールを蹴るのは本当に難しい。
中でも陽湘のキーパーの選抜選手からは明らかに見下されていた。
「長谷川が選抜されたのって、背が高いからだけでしょ。木偶の坊でも背が高いっていいよね」
と嫌味を言われた時は殴ってやると思うくらいだった。
あんた大会で試合に出してもらえてないけど、わたしは1試合と15分は試合に出てるからね、あんたこそ陽湘の監督の贔屓でしょ!などと涼は心の中でこっそり一人で言い返す。ただ、それをわざわざ口に出して同じレベルに落ちるなんて、そんな格好悪いことはしない。涼には涼のプライドがある。
夏の青空は憎らしいくらい青い。
空の下の方には大きな雲が広がっている。
空に比べたら競技場は小さい。
サッカーのピッチはもっと小さい緑の長方形だ。
その小さくて、広いピッチで後藤が縦横無尽に走っている。
「ゴトゥー!!行けえ」
涼が叫ぶと、ゴトゥーのミドルシュートがネットに吸い込まれるように決まった。
その5分後には、シュートを涼がキャッチする。シュートした選手は確実に決まったと思ったシュートを防がれて悔しがっている。後藤が万歳をするように両手を上げ、涼に向かって親指を立てる。
「な〜いす、ハセガー♪ 」
涼も親指を立てて、それに応えた。
午後の後半戦は試合形式だ。
今日は7人か8人の4チームに分けられての総当たり戦。11人未満で行う変則試合で、とりあえず集められたメンバーの実力を確かめるためのものだった。なるべく同じ高校の者たちが固められているので、2チームは、夏の県代表だった陽湘で占められている。
そのほぼ陽湘と対するのは、逆に雑多な高校の選手がよせ集められたチームで、涼と後藤はそこに入れられていた。
周りの選抜選手たちも、後藤と涼のプレイに驚きを隠せなかった。
ポジション別に別れての練習では、基礎ができていない涼は4人のゴールキーパーの選抜選手の中では最も下手だったし、後藤は後藤で、フォワードのグループの中でつまらなそうにしているだけで、明らかに手抜きをして、本気でやれと怒られていた。
ところが、試合形式の練習になると、二人の存在感が俄然増す。
誰よりも貪欲にゴールを目指す後藤。
守備範囲がとにかく広く、反射神経の良い涼。
U17選抜チームの監督やコーチたちも、中学校時代の記録が全くない無名の1年生二人から目を離せない。
その後も二人は目立ち続けた。
練習前に涼に文句を付けに来ていた陽湘の1年生のシュートを涼は横っ飛びでキャッチする。パンチングで弾くのではなく、しっかりとキャッチして、涼は、彼女のシュートを防ぐのに余裕があるということを相手に見せ付けた。
一方で、涼を見下していた陽湘の1年生キーパーは、後藤にシュートを2本、3本と立て続けに決められてしまい、すっかり萎縮してしまっていた。
ほぼ名門陽湘チームが、雑多チームの無名の二人の選手に圧倒される事態となった。
「背が高いだけで選抜された女だからって、舐めんなよ」
涼は一人で呟く。
「あーあ、ニシザーがいたら3人で勝てるのに♪ 」
練習試合が終わってから後藤がぼやく。
まさか、そこまでのことはないだろうと、思いつつも、もし雅がいたら、と涼も思った。
「あたしたち3人は、まだまだ、上がれる気がする♪ 」
後藤がニヤッと不敵に笑う。
「じゃあ、今年の選手権は全国行っちゃおうか」
涼も調子に乗って後に続く。
「そうだよ、それで、あの監督とかに、ニシザーを選抜しなかったことを反省させる♪ 」
「いいね、それ!」
涼と後藤は二人で顔を合わせて笑うと、そのまま腕を組んで更衣室へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます