第60話 キーパーチャージ

「私より、まさが選ばれるべきだと思う」


 すずは、そんなことを簡単に言う。


 県の女子サッカーアンダー17に、うちの高校ガッコーから、涼とゴトゥーが選抜された。天才肌の二人なら抜擢されて当然だ。

 君ら二人に比べたら私なんて凡人だから、選ばれなくて当然だと思うん。

 ゴトゥーは仕方ないとしても、まだサッカーを始めたばかりの涼にまで抜かされたみたいな気がして悔しいし、正直羨ましい。だから私ももっと頑張んないといけない。涼とゴトゥーに置いていかれないように。



_____




 すずには言えないけど、監督の大久保先生から呼ばれて、部のみんなが知るより、一足早く、二人が選ばれたことを聞かされていた。

 先生は、ゴトゥーと涼が選ばれたことを私が知ったら、ショックを受けると思ったらしいん。

「私が選手を選べるんだったら、西澤も絶対選んでいたよ」

「ありがとうございます」

 私は、苦笑いしながらペコッと頭を下げる。

「悔しいかな?」

「……悔しくないって言ったら嘘です」

 でも、同時に、そんなもんだなって気もする。

「平気を装ってない?」

 ははっと軽く笑う。

「先生、私、中学校時代に1度も公式戦に出れなかったんです。ジュニアユースで私よりずっと下手な男子が普通に試合に出ているところ、どれくらい見たと思いますか」

 今でも彼らに負けてるのはフィジカルだけで、テクニックでは負けてないと思ってる。

「その頃の悔しさに比べたら、全然大したことないです。しかも、後藤さんも長谷川さんも、自分より才能があって、選ばれて当然だと思います」

「西澤もすごい才能があると私は思ってるよ。……そうか、ジュニアユースに一時期入ってたんだったっけ。なら、西澤は自分が男だったら良かったって思ってる?」

「あはは、中学校の時はそんなことも思いましたけど、今は、男だったら出会えなかった人たちがいて、できなかった色んな経験もしましたから、女でいいです」


 涼に会えて、好きになれたのは、私が男じゃなかったからだ。

 多分、男だったら、涼は私のこと好きになってくれなかったし、私も好きにはなっていない。

 今の自分たちじゃなきゃ駄目だ。


「西澤、頭を撫でていい? 最近は、勝手にいきなり生徒に触れると体罰になるんだよ」

 先生がにっこり笑う。目尻に皺ができる。サッカー部の監督としてだけでなく、言葉のチョイスの仕方が気に入っていて、私は大久保先生をリスペクトしている。

「先生が褒めてくれるんなら、いくらでも撫でて下さい」

 先生の手が私の額にすぃっと伸びてくる。


 うわっ!撫でるというより、ぐちゃぐちゃにされたんだけど。


「西澤、あの二人が選抜に行ってる間は、後藤の代わりに左のFWフォワードに入って練習しなさい。私も、たまには西澤のFWが見てみたい」

 やった!

 前髪を直しながら、先生を見て笑顔になってしまう。キャプテンの原先輩とゴトゥーがいると、私はどうしてもMFミッドフィルダー、しかもボランチに回されがちだ。守備を期待されるのは分かるけど、私だって敵陣地に入ってゴールを狙いたい。

「はい!!」


「そうだ、西澤、ナイショ話を守れるか?長谷川には絶対言っちゃダメだぞ」

 黙ってろと言われれば黙ってる方だ。私は。

「何ですか?」


「U17選抜に関わることだ」



_____



 涼はもうすぐ1週間合宿に行ってしまう。

 その前から、私たちは、夏休みの宿題をどんどんこなして、夏休み後半は遊べるだけ目一杯遊ぼうと約束していた。今日は、練習上がりの土曜日の午後で、涼の家に泊まり掛けで宿題のワークブックに取り組んでいる。数学が苦手な私にはこの宿題の量は、雨の準決勝で負けるより辛いかもしれない。


 その日の夕方。

 まだ明るいうちに、涼んちの庭に設置されているバスケゴールで1対1でバスケをした。

「どゆこと!?」

 私は喚く。だって、全然相手にならない。私、運動はたいてい得意で、バスケだって下手ではない筈なのに、涼と比べたら下手とかいうレベルじゃなかった。もう格が違う。右手しか使わないっていうハンデを付けてもらったのに、全然ボールを持たせてもらえない。たまにボールを持てても、シュートしようと思った次の瞬間にはいつの間にか涼の手にボールが移ってる。どゆこと??


「今日は調子いいから、やれる気がする」

 最後に、涼はそう言ってニヤッと笑い、後ろに下がるとボールを持って助走し、ゴールの前で高くジャンプした。


 …初めて見た。生のダンクシュート。


 もう、カッコ良すぎん?

 なんなの、この天才アスリートは。ほんと、色々敵わない。




 二人だけでいると、時間が過ぎるのが早い。

 もう寝る時間だ。夏休みは日曜日が練習休みなので、明日はゆっくりできるけど、ちゃんと寝ないと週明けの練習に響く。ましてや、涼は合宿があるんだから休まないとダメだ。

 でも、すぐに寝てしまうのが勿体なくて眠れない。今、一つの布団の上で向かい合ってる。

 色素が薄い涼は、私と違って、余り日に焼けてない。カッコいいだけでなく、キレイな人だと改めて思う。ちょっと見惚れてしまいながら話し掛けた。


「涼、私だって本当は悔しいん」


 涼が眉を下げる。

「でも、涼とゴトゥーが選ばれたのはホントに誇らしくもあるん。だから、びっくりするくらい巧くなって帰ってきて」

 そう言って励ますと、今度は、涼は少し目を細めた。



「……大好き」


 なんで、ここでそんな返事が返って来るの?体がカーッと熱くなる。

「そーいうの、いきなり言わないん……」

「いやあ、つい口から出ちゃった、へへ」



 ……涼とくっつきたい



 好きだと気付いてから、私の中にそんなヨクボウが発生している。

 普段はバスの中で手を繋ぐくらい。

 練習中はハイタッチをしたり、ふざけて体をぶつけ合ったりする事はよくある。でも、私の求める「くっつきたい」は違う。

 試合でのハグとも違う。


 涼との隙間をなくしたい。そんな感じ。

 どうしたら、そんなことできるのかは分からない。


「うぉわっ」

 涼が奇声を上げた。

 私がいきなり抱き着いたからだ。でも、抱き着き方がよく分からないので、無理やりしがみついたってだけかも。

 顔を涼の顎の下、胸の上にくっつけて、両手を涼の腰の後ろに回して自分に引きつけた。右手は布団と涼の腰の間の狭いところに無理やり突っ込んだ。


 涼の体には、固いとこと柔らかいとこがあって、全部が熱い。

 私の顎には、涼の胸の膨らみが当たっている。そこは、やばいくらい柔らかい。なんか、すごい。


「あの、えっと。雅…」

 涼が戸惑っているのを感じる。

 それでも、涼の手が背中と髪に回ったことを感じ取った。涼の手を背中で感じる。

「暑いよ、雅。それに、右腕が潰れちゃうよ」


 多分、涼は恥ずかしがっている。

 私の前にも付き合っていた恋人がいて、もっと先を進んでいた筈だから、こんなの平気だと思ってたけど違うんだ。


「……離れてほしいん?」


 私は、涼のこういう温もりから離れたくない。涼が動揺してるのが分かるけど、やだ、離れたくない。

 こんなの初めてだ。ふわふわする。熱に浮かされてるみたいって、こういうことを言うんだと思った。

「じゃ、もうちょっと、このままでいる」

 そう言いながらも涼が困っているのが伝わってくる。

 鼓動の速さが胸の近くにある頬と顎で感じ取れる。

 柔らかな感触の下に、涼の鼓動がある。


 でも、右腕が痺れてきた。感覚がなくなってる。

 残念だけど、そろそろ諦めるか。


 涼の体の下に潜っていた右腕を抜いて、くっついていた上半身を引き離す。くっついていたところが熱かった分、エアコンの冷気がひんやりとした。それと、さああっと右腕に血が回る。


「あはは、涼ってばドキドキしすぎ。心臓がやばいことになってるの丸分かりだったよ」


 そう言ってる自分の胸も跳ね続けている。


 少しだけだけど、離れたら涼の顔がちゃんと見えた。


 やっぱり顔が赤い。

 肩が呼吸で少し揺れている。

 目蓋が少しだけ落ちていて、唇も少しだけ開いている。


 反則じゃん、その顔。


 自分の目が涼の唇に釘付けになる。


 涼を私のものにしたいん



 今度は、顔だけを涼の顔に近付ける。

 顔を傾けて、鼻を避けて、


 1時間くらいに感じる一瞬



 胸の中に何かが溢れて、跳ねるように私は涼から跳び離れて、隣の布団に仰向けになって転がった。


 顔がとんでもなく熱くて、両手で顔を隠して、呟いた。

「……あああ、恥ずかし」


 信じられなかった。


 自分が、自分から誰かにキスをするなんて。

 自分がそんなことをする人間だったなんて知らなかった。



「え、ちょっと、今の」

 私は顔を手で隠していたけれど、涼が体を起こした気配がしたのは分かる。四つん這いで数歩近寄って、私の体を両手両足で挟むようにして、上から私の顔を見下ろしている。

 神妙な、真面目な表情が指の隙間から見える。


「ゴーーーール!」

 顔を隠したまま、サッカー中継のアナウンサーを真似てふざける。

「…でしょ。あはは」

「あははじゃないよ、もう」


 涼はそう言って、私の顔を隠していた両手を引っぺがした。

 涼の顔がはっきりと見える。

 段々と近付いてきた。


 2度目のキスだ。




 そこから先は、何回したのか、もう覚えてない。











『キーパーチャージ』

 ゴールキーパーに対する不正なチャージ(体をぶつけるような接触)の反則。今は、そう呼ばないそうです。

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