第40話 初回得点(5)

 決勝トーナメント1回戦。予選リーグと違ってノックアウト方式なので、1回負ければそれで終わりだ。

 去年の秋の選手権県予選でベスト4に入った4チームと、2つの予選リーグでそれぞれ1位と2位だった4チーム。合計8チームで勝ち抜き戦をする。

 1回勝てば準決勝進出でベスト4に入れる。そうしたら、秋の選手権の県予選では必ず決勝トーナメントに出場できる。

 涼たちの高校には、その1回の勝利がずっと大きな壁となっていて、決勝トーナメントには出れても、そこまでで、毎年ベスト8止まりだった。

 でも、今年は、ポイントゲッターの後藤がいる。そして、後藤ほどは目立たないけれど、テクニシャンのまさもいる。また、キャプテンの原先輩は、1年生の頃から県内でも有名なFWの選手だ。今年はベスト4を、更には、その上を狙えるかもしれないという雰囲気があった。


 そんな緊張感の中で、すずだけが違う緊張感をまとっている。

 敵も味方もたくさんいるが、この中で、自分だけが素人なのだと思う。

「でも、もうユニフォーム着ちゃったからなあ」

 涼は、ユニフォームを着た自分の胸を見下ろした。漠然とした違和感がそこにあった。


 そんな涼を挟むように、雅と後藤が両側に立った。

「大丈夫、もし、ハセガーが出るなんて事態になったら、私がセンターバックに入ってハセガーを守るから」

「そして、あたしがゴールを決めちゃう♪」

「そんな事態にならないことを祈るしかないかー」


 後藤がいつも通り、くるくると回り、更には側転した。けがするぞ、バカっとキャプテンの原先輩に怒られ、ひゃああと叫び声が上がる。いつもの風景で、それを見てチームの緊張感が緩む。原先輩も後藤もわざとやってるんじゃないだろうかと涼は思う。



 涼の指先が暖かい何かに包まれた。

 雅の手だった。


「キーパーのユニフォーム、やっぱり似合う、ハセガーはカッコいい」

 雅が涼の耳に唇を寄せて、そう言って笑った。

 大きな目が半円の形に細められる


 雅に、カッコいいと何度も褒めてもらったけれど、全然慣れないと涼は思う。

 特に、今は、涼の緊張をほぐすために言ってくれたものに過ぎないだろうとも思える。


 しかし、それでも褒められれば嬉しい。


「うん、ありがと」

 涼は雅の手を握り返して、ぶんぶんっと前後に大きく振る。


 そして、離す。


 雅が涼の背中をぽんぽんと叩いて、ベンチからピッチに駆け出していった。



 ああ、好きだなあ



 少しだけ遠ざかった背番号21を見て、涼は思う。

 肩幅はそんなに広くないけれど、背筋が伸びていて、しなやかだ。跳ねるように走る癖がある。

 今日の涼は、先週までの雑用係ではなく、リザーブメンバーであるため、カメラを構えられないのが残念だ。

 あの背中を写真に撮って、自分だけのものにしておきたい。

 そう思いながらも涼は、宮本先輩に向かって駆け出す。アップを手伝わなくてはならない。


 同じフィールドに近付いた。

 今は、それだけで十分だった。





 敵チームは去年もベスト4だった。

 予選リーグのように簡単には勝てないだろう。


 ただし、後藤には、去年がどうとか、万年ベスト8とか、そういった気負いがない。

 いつもどおり飄々と、同時に、果敢にゴールに向かってボールをゴールネットの中に蹴り込もうとする。

 そして、雅も、そんな後藤にボールを集めていく。


 雅がボールを奪うところが攻撃の起点になる。

 いつもうまくいくとは限らないものの、雅がパスをするかドリブルをして動き出すと、ボールは前に向かい始める。

 うまく回れば、後藤や原先輩にボールが届き、そこからは敵のゴールネットにボールが向かう。


 予選リーグでそのパターンが出来上がっていたため、敵もそれを見越して、雅をマークしていた。


「ニシザー!」

 もちろん、先輩たちも雅に頼りきりになるわけがない。

 雅が敵を引き付けてくれれば、周りの先輩たちが自由になる。


 敵もボールを奪う。


 一進一退で、取ったり取られたり、攻めたり攻められたり、防いだり防がれたり。

 サッカーの試合は、明らかな実力さがない限りは、得点は余り動かない。



「荒っぽいな」

 ベンチで先輩の一人がぽつりと言った。


 大久保監督がDFの先輩たちにマンツーしっかり付けと声を上げていて、敵のFW陣の攻撃をいつもより気に掛けている。



「荒っぽいって何ですか?」

 涼が先輩に尋ねる。

「向こうの10番、ラフプレイぎりぎりでさっきから体を当てに来てる。審判がどこまでやったらファールを取るか試してる感じかな?ほら、ニシザーを見て」


 雅のシャツが片側だけびよんと延びている。かなり敵10番にユニフォームを引っ張られたためだ。しかし、審判の死角だったり流されたりで、これまでファールを取られていない。雅が相手を振り切ることが得意なので、それが災いして、審判が気付きにくくもなっていると先輩は言った。


 言っているそばから雅が転がされた。


「えー、イエローじゃないの?」

 ベンチがざわめく。

 イエローカードと呼ばれるやや厳しい反則ではなく、普通のファールとして取られた。

 雅は、10番が差し出した手を取って立ち上がると、ぱんぱんとお尻の芝を払い落とす。


 10番を睨むように雅の目がぎらぎらしていて、怒ってはいるようだった。

 しかし、腰に手を当ててふーっと息を吐く。

「ニシザー?」

 原先輩に声を掛けられると、何でもないという風に手を振って答えていた。

 ファールでいちいち腹を立ててはいられない。どんな手を使っても点を入れさせたくないのはお互い様だ。


 中央よりのところで雅がボールを蹴って、原先輩に回した。


 原先輩がドリブルで上がっていく。

 ゴール前の白い枠、ボックスと呼ばれるペナルティーエリアに入る瞬間に、後ろから走り込んでいた後藤に原先輩がボールをパスする。


 後藤はそれをゴールするかと思うと、ヒールキック、すなわち踵で斜め後ろに蹴った。



 そのちょっと前、後藤が走り込んでくるところから、涼の目に、プレイがスローモーションのように展開し始める。



 あ、これ絶対に決まる。


 それは涼のプレイヤーとしての勘だった。

 ギリギリに見えていても、涼にだけは確実にシュートが決まると分かる瞬間。

 ごく、まれに涼に起こる現象だった。

 ただサッカーの試合でそれが始まったのは初めてだった。



 シュートを打つと見せかけて、後ろにぽんっと踵で軽く蹴り上げられたボール。


 ニシザー!!


 タイミングを狙って雅が飛び込んできて、ボールにワンタッチでボックスの外ぎりぎりのところからシュートを打った。

 敵DFとキーパーがふいを付かれた形になる。

 敵DFの腿に当たって、ボールの軌道が少しそれる。しかし、それではシュートは防げない。


 ボールはゴールネットのサイドに飛び込んでいく。




 雅が両腕を天に突き上げた。


 雅に後藤が飛び付いて、雅がバランスを崩して尻餅を付く。

 そして、その雅をみんなが取り囲んだ。


 立ち上がった雅が、ベンチの涼に手を振った。

 涼も親指を立てて雅を称賛して返した。



 すっごいな、ニシザーもゴトゥーも!

 格が違う!と涼はため息を付いた。追い付くのは簡単ではないと改めて思う




 前半31分で1ー0。

 先制点は涼たちの高校だった。

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