第35話 第四の審判

「わたし、サッカーやりたい」


 翌朝、朝ご飯の最中、ハセガーは突然、ご両親と私の前で『サッカーやりたい宣言』をした。

 正直、びっくりした。口に入ってたご飯、飲み込んだくらい。

 そうして欲しいと願ってはいたけれど、決断が速い。

 なんで、そんなに速く決められるん?


 とはいうものの、驚いた次の瞬間、とんでもなく嬉しくなってしまう。その決断の理由やその速さは、正直なところ、よく分からないんだけれど、ハセガーが一から新しいこと、つまりサッカーをしたいと言ってくれたんだというのは伝わった。

 私以上にご両親が驚いて戸惑っていたから、当然、私はハセガーを援護射撃して、同じユニフォームを着て一緒にピッチに立ちたいのだと弁護する。


 ……ちょろい、と言ってはいけないのだけれど、ハセガーのご両親はあっという間に陥落し、ハセガーがサッカーをすることを認めてくれた。

 そして、あれよあれよと郊外の大型スポーツショップへと買い物に連れ出されてしまった。

 フットワーク軽いなあ、長谷川家。




_____




 広いスポーツショップだけど、サッカー関係のフロア自体はそんなに広くないので、必要なものの買い物は、割とすぐに終わった。それでも、一つ一つ手に取って、あーだこーだと話し合ったり、同じ所を何度も往復したりして、ちょっと疲れてしまう。

 ハセガーはお父さんと二人でお父さんの夏物を見に行くと言い出したので、私はハセガーのお母さんと一緒に休憩することにした。


まさちゃん、ありがとうね、すずと仲良くしてくれて」

 休憩用のスペースのベンチで私はペットボトルでジンジャーエール、ハセガーのお母さんは缶コーヒーを飲んでいる。たまに大人に「雅ちゃん」て呼ばれるのは、なんだか照れ臭い。学校での私の呼び名は大抵、西澤か西で、高校に入ってからはニシザーが定着してる。

「や、お礼を言うんは、泊めてもらって、美味しいご飯を食べさせてもらった私の方です。お世話になりました」

「どういたしまして。お米ならたくさんあるから、また食べに来てね」

「はい!!」

 図々しいだろうか、だって、本当に美味しいんだもん。


 ハセガーのお母さんからお米の話を色々と聞かされて、知らないことばっかりで面白かった。そしたら、不意に尋ねられた。

「……雅ちゃん、涼の中学校の時のこと知ってる?」

「バスケのことですか?」


 横目でハセガーのお母さんは私を見て、小さくため息をついた。

「涼は、バスケを辞めた理由とか、わたしたちに教えてくれなかったの。うちの子たちはちょっとしたいじめなんか平気だし、ちょっと負けたくらいじゃやめられないくらいバスケにハマってたのよね。だから、相当な何かがあった筈で。……学校からの説明もあって、川本さんとの間に何かがあったくらいは分かってるんだけど」

「川本さん?」

「ああ、川本翠さん。聞いてないかな。うちの次男の幼なじみでもあるんだけど、涼の憧れの先輩……」

 お母さんの眉間に立て皺ができる。そして、視線が私から宙に浮かんだ。そうか、ミドリさんのこと学校でも問題になった、って言ってたっけ。

「……えっと」

 ハセガーは誰にも言ってないって言ってたっけ。

 どうしよう。

「あ、いいの。知らないなら知らないで」

 お母さんが苦笑いをする。目尻に少し皺が入る。その皺が語るものは、愛情と心配と、本音を伝えてもらえなかった悲しさと悔しさと、いろいろな娘への思いだ。

 うちの母親もこんなんなんかな。


「……私、昨日の夜にバスケを辞めた理由を聞きました」

 お母さんが目を見開いて私を見る。

「でも、おばさんには教えられないです。ごめんなさい」

 相手がハセガーのお母さんでも、どんなに心配していたとしても、それを勝手に私が話すことはできない。私は頭を下げる。

「いい、いいの、涼が誰かに話した、話すことができたなら、それでいいの。ありがとうね、雅ちゃん」

 お母さんは、いいのと言いながら、顔の前で手を揺らし、それからフーッと息を吐いた。

「それなら良かった。……それでまた、動き出したのね、あの子。

 去年の夏から泣いてばっかりになって、それから大人しくなっちゃって」

 もう走らないかと思った、とお母さんは胸の前で拳を握って、小さくつぶやいた。


「で、涼は、いつ、試合に出れるようになるかな?」

 ころっと表情を変えて尋ねられた。

 ハセガーもそのお兄さんたちも、バスケでは、すぐにレギュラーを奪って、そのままエースになってきたらしい。けれど、今度は、サッカーのゴールキーパーでは、それは難しい。うちのサッカー部には、二人の先輩キーパーがいるし、ハセガーは素人だ。いくらハセガーがすごくても、すぐには試合に出れない。

 私は口を濁した。


「えと……来年の春、には、試合に出してもらえる、かも」


 そんなに先なの?と、お母さんが愕然とした顔をした。

 普通は、2年になって、3年生が引退してからレギュラーになるということを、入学した途端にエースになるようなバスケの天才を3人も産んで育てたこの人は知らないらしい。




_____




 昨日今日と私は練習を休んだ。

 でも、明日の日曜日からは、ハセガーも一緒に練習に参加する。

 遅れてきた大型新人って言うのかな。実際、背も高いし。

 

「もう一晩、泊まってけばいいのに」

「明日部活なかったら泊まってったけど。でも、ハセガーのうちのご飯が食べたいから、また泊まりに行かせて」

 ハセガーはもう一晩泊まれと言ってくれたけど、さすがにそうはいかないと思うん。着替えもないし、明日の支度もあるし。


 夕暮れの中、ハセガーはバス停まで私を送ってくれて、二人でバスを待っている。

 バスは、まだ来ない。

 そんなに急いで来なくてもいいけど。


 ちょっとだけの沈黙。

 私もハセガーも、バイバイを言うのがちょっと寂しいんだと思う。

 そしたら、ハセガーがぽつん、と言った。


「ニシザー、わたしさあ、バスケだけでなくって」

「うん?」



「誰かを好きになることも、もうないと思ってた」



「うぉあ」


 不意打ち!忘れてた。私、ハセガーに告白されてたんだ。驚いちゃったから、忘れてたのバレたかな。多分、バレた。

 でも、ハセガーは気にしなかったのか、その続きを話してくれた。


「ニシザーが、空っぽのわたしのところに、サッカーと……好きを連れてきてくれたよ」


「私、そんなつもり、なかったけど」


「ありがと」


 そのお礼は、好きだと言われるよりも、すんなり私の中に落ちてきた。そこにバスが来て、私はそれに乗り込む。


「また、明日」


 どちらかともなく、二人ともそう言った。











『第四の審判』 

 交代やアディショナルタイム等の表示をする係の人だとうびぞおは思っていたところ、かなり多岐に渡る重要な役割を果たしている審判さんなのだそうです。

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