第34話 ホールディング

 ハセガーの家は農家で、広い庭のある大きな和風の家だった。

 うちの狭いマンションに連れてかなくて良かったなんて思ってしまう。ハセガーがただいまと言いながら、玄関扉を開けると、土間なんだか広い三和土なんだかがあって、靴をどこで脱いでいいのかすら分からない。

 天井は高くて、上の方で太い木の柱が組まれてて、組み細工みたいだった。集合住宅育ちの私は、テレビとかでしか、こういう家を見たことなくて、とにかくなんだか凄い、としか言いようがなく、気が付いたら口が開いたままになってて、ハセガーに笑われた。


 ハセガーの部屋は、居間や台所とは違う方向にあった。昔は納屋にしていた別棟を渡り廊下で繋いであって、その2階だった。

 家族から少し離れた場所に自分のスペースを確保したのは、末っ子なりの自立心らしい。


 長谷川家の田んぼで取れたお米、摘み立ての新茶、信じられないくらい美味しいご飯を食べすぎた後、私は、ハセガーがなぜバスケを辞めたのかを教えてもらうことになった。




_____




 ハセガーの部屋はシンプルだった。最低限の家具のどれも木製で和室に馴染んでいる。見た目が目立つハセガーにしては、部屋は意外なくらい地味だった。ハセガーはTシャツと短パンというラフな格好だ。足が白くて長くて、あんまり無駄な脂肪はない。あんなに足が長かったら持て余しそうなんだけど、そんなことはないらしい。

 ハセガーは座椅子に腰掛けて、右足を両腕で抱えてその膝に顎を乗せ、左足を伸ばしている。その姿勢で淡々と思い出話をしているハセガーは、ずっと伏し目がちだった。足の下にある畳を見ているようで、多分、何も見ていなくて、頭の中の映像を追っていたのだと思う。

 表情は、そんなに暗くはなかった。時々ふざけたように笑い顔を見せたり冗談にならない冗談を混ぜる。ハセガーとその元恋人のミドリさんとの二人のカンケイの話になると、恥ずかしがって赤くなる私のことを面白がりもした。ただ、それは、ずっと真面目に話してたら、気持ちがもたない、そんな痛々しい感じがして、私には笑えなかった。それどころか、私は、いつハセガーが泣き出すかと思って、ずっとハラハラしていた。


 ハセガーがバスケを辞めた理由。バスケが巧すぎて先輩たちにやっかまれて、ひどくいじめられて辛くなったとか、大事な大会の前に大怪我をしたとか、私は、そんなことを想像していたが、全く違ってた。ハセガーはバスケの実力で嫌がらせを跳ね返し、孤立することも恐れていなかった。聞いた限りでは、故障もなかったし、全国大会に出場するのが当たり前だったみたいだ。


 それなのになぜバスケを辞めたん?


 それは、ハセガーとバスケ、というより、主にハセガーとミドリさんとの関係によるものだった。


「ハセガー、えーと私、ハセガーがバスケを辞めた話、ではなくて、ハセガーの中学校時代の恋バナを聞かされている気がするんだけど」

 私がそう言うと、ハセガーはふん、っと鼻を鳴らした。

「確かに、恋バナだね」

「……もしかして、ハセガー、バスケを辞めたのってミドリさんに失恋しただけだったりする?」

 私の配慮のない質問に、ハセガーは、一瞬答えるのを戸惑ったみたいだった。

「あー。ぶっちゃけ、話をまとめるとそうなる」



 ハセガーは、その人が好きだった。とてもとても好きだったんだろう。バスケの先輩として、……恋人として。

 その思いは届いていて、でも、全然届いていなくもあって、ただひどく踏み躙られた。

 結果、ハセガーは深く傷ついて、その思いもバスケへの情熱も失ってしまっていた。



 二人がどんな関係だったのかを聞いて、色々とびっくりして、私なんかがそれを知ってしまって良かったのかと不安になる。

 でも、それ以上に、ハセガーの負っている傷の深さが推し測れなくて、自分に何ができるのか分からなくて、少し怖かった。

 ひりつくような雰囲気の中、私は、ただ、ハセガーを見詰めるしかできなかった。


 同じ立場に立つ自分が想像できない。

 自分の身を委ねられるほど人を好きになるなんて、想像の向こう側すぎて、全く現実として受け止められない。


 自分より巧い選手を目標に努力する、そこまでは分かる。私にだって憧れのプロのサッカープレイヤーはたくさんいるから、その域に近付きたくて練習を重ねている。けれど、ごく身近なところには、目標となる人はいなくて、サッカー仲間は同年代の男子ばかりで、ライバルでしかなかったし。

 だから、私には、ハセガーとミドリさんの関係を実感することができなかった。ミドリさんとの話をしている時のハセガーは目の前にいて、同時にとても遠かった。



「ニシザー、わたし、こんな感じでバスケやめた。へへ、誰にも言えなかったことまで含めて、ほとんど全部しゃべっちゃった」


 そう言ったハセガーは天井を見上げていた。

 ハセガーは、私に話してくれていたけれど、それは同時に、自分に向けても話していたと思う。

 話してくれて、少しは軽くなったのだろうか。

 それとも、話したことで、辛いことをまた思い出して、もう一度より深く傷ついてはいないだろうか。

 そう思って不安になっていた私にハセガーは目を向けた。

 ようやく目が合って、ずっと私がそばにいて話を聞いていたことを思い出したように見えた。


「ハセガーが泣くんじゃないかと思った……」

「あはは、去年、すごく泣いたから、もう泣かないよ。泣きたくないよ」

 そう言いながら、手首の内側で目尻を拭ったのを、私は見ない振りをした。



 話を聞いているうちに、すっかり夜中になっていて、虫の声が窓の外から聞こえていた。並べた布団に横になったけれど、なかなか眠れないでいたら、ハセガーの方から、答の分かりきった質問が来た。


「わたしのこと嫌いになってないよね」 

「なってないよ、もちろん」


 話していたハセガーも不安だったんだろう。

 私はハセガーの顔に向けて手を伸ばす。

 ハセガーはその手を取ろうとして、止めて、ぎゅっと拳を握った。


「じゃあ、ニシザーも、わたしがバスケをやめたの勿体ないって思う?」


「……思わない」


 私は、ハセガーの拳を伸ばした手で包む。


 「私は、今のハセガーしか知らないから、中学校のときのハセガーは関係ない」


 指を絡める。


 もし、私がハセガーと同じ中学校に通っていたら、挑んでる競技は違っていても、やっぱりきっと、アスリートとしてのハセガーに憧れただろうと思う。きっとハセガーは、どんなスポーツをしていたとしてもカッコいいに違いないん。


 過去のハセガーの上に今のハセガーがあって、私は今のハセガーしか知らない。ハセガーだって、今の私しか知らない。


 だから



「私は、ただ、今のハセガーとサッカーがしたい」










『ホールディング』 

試合中に相手の体やユニフォームを掴んで、動きを妨げる反則行為。


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