第三章 雨は好きかい?

第36話 初回得点(1)

「ボール、投げたーい」


「駄ー目ー」


 思ったようにボールを蹴ることができない。


 足の内側

 足の先

 親指の根本

 薬指の根本


 ボールの下、中央、右、左


 止まっているボールのどこに、足のどこを当てて、狙った距離、狙った方向に、狙った強さでボールを飛ばす。必要に応じて、時にはカーブさせたり、急降下させたり。回転させないというのもある。

 サッカー選手って、エスパーじゃないとできないに違いない、とすずは思う。


「無理!!」


「無理じゃなーい」


 練習中のまさは、口調は優しいものの、練習には手厳しい。


 足の内側でボールを蹴って数メートル前に立っている雅の足元に転がす。それだけだ。

 しかし、ひたすら、遠慮なく、それを繰り返す。涼が無理だと何度叫ぼうと。


 そして、さっきから雅ばかりが動き回っている。

 涼の蹴るボールがあちこちに転がるからだ。遠かったり近かったり、明後日の方向だったりするのだが、雅はそれを軽々と足で止め、地面にぽとんと落としては、ひょいっと涼の足元に蹴り返す。逆に雅から帰ってくるボールはほぼ一定なので、涼はほとんど動かずに済んでいる。涼は、それが悔しいと思う。


「同じボールだよねえ」

 転がってきたボールを足の裏で止めることすら失敗する涼にしてみれば、ひょいひょいとボールを自由に扱う雅が信じられない。足だけでない。頭も腰も肩も、腕以外の部位を器用に使う。


「だいたい、右足も左足も同じように使えるってどういうこと?」

 涼がぼやく。

「努力の賜物デス」

 どうということもない、という顔で雅がいう。


「あーもー、憎たらしい!!」


 なんだかんだで負けず嫌いの涼は、諦めるということはしない。

 初日のうちから、雅とボールを蹴ってパスし合えるようになりたいのだ。

 土踏まずの横、右足の内側をボールに当てる。無理に勢いをつける必要はない。


 たぃん 


「ナイスキック!」

 きれいに雅にボールが届く。


「はい、もー1回」


 反復するしかないことを涼も雅も知っている。

 運動能力とか体格とか、それが人より恵まれていることを涼は自分でも認めている。しかし、それは、学校の体育の授業で褒められるレベルでしかない。授業以外で人から巧いと言われるには努力が必要だ。バスケで人に認められるには5年くらいかかった。

 サッカーは、どれくらい時間がかかる?

 認められなくとも、せめて西澤雅と同じピッチに立てるようになりたいと、涼は思う。それには5年も掛けてはいられない。


「まだ、1日目だ!」

 涼は大声を出す。


「そーだねー♪ 」

 後藤がくるくる回りながら、しかもリフティングをしながら、器用にボールを弄びながら涼に近寄ってきた。

「ろーまはいちんちにしてならず♪ 」

「そんなん分かってるわ、ゴトゥーのくせにうるさいわ!」

 涼が後藤に噛みつく。

「ゴトゥー、ハセガーの邪魔しないのー」

 雅が割り込んできた。

「だってー、あたしのパス練の相手、ハセガーが盗ったんだもーん」

 後藤が口を尖らせる。

 後藤の練習相手は雅だった。それを涼が取り上げたことになる。どうやら後藤は拗ねているらしい。


「ゴトゥー、こっちおいでー」

「ぎゃ」


 原先輩、キャプテンの3年生が、後藤の耳を引っ張った。


「邪魔しないー。あと、お前、ちょっと巧いからって調子乗んな。こっちで3年生うちらと楽しく練習しようか」

「にゃあああ」

後藤はレギュラー陣の練習しているところへと連行されて行った。


「ニシザー、実は、キャプテン怖い人?」

「わたしは怖くないよ」

「わたし、?」

「ゴトゥー、は、怖がっているかも、あはは」

 雅の笑い顔を見て、可愛い、と思う。けれど、サッカーをしているときの笑い顔はどこか底知れないと涼は少しだけ怯える。




 その後の練習は、ポジションごとに別れたので、涼は、3年の正キーパーの宮本先輩と、2年の林先輩と一緒に練習した。監督の大久保先生も初日の涼を気にして見に来てくれていた。宮本先輩はにこにこしていて、林先輩は穏やかに微笑んでいる。


「ハセガーは、キャッチングだけは、そんなに上級生と見劣りしないんだよね」

「ありがとうございますっ!!」

 涼は先生に、気を付けの姿勢からの直角のお辞儀をして礼をする。宮本先輩と林先輩がそんな涼を見て目を丸くする。

「いや、そんなに褒めてないし。長谷川、いい加減にそのお辞儀はやめようか」

 先生が苦笑いする。


 去年の3年生が夏に部活を引退してから、ずっと宮本先輩と林先輩は二人で練習してきたという。

「いやあ、3人になると練習でやれることが増えるんだよね」

「よく入ってくれたね、ハセガー」

 二人の先輩の笑顔に涼はぞっとした。




 それは5月のある日曜日

 涼は、サッカー部入部初日から、同級生と先輩たちにしごかれた。


 挨拶が終わり、2年生と3年生は部室に着替えに戻っていく。

 1年生は残って片付けだ。

 挨拶が終わった瞬間、涼はかくんと膝が抜けるように、正座するように座り込んだ。


「……きつい」


 そんな涼を見て、雅も後藤も、他の1年生たちも苦笑いする。

「ハセガー、休んでなよ。片付けはうちらでやるから」

 誰かが涼に声を掛けると、周りがそれに頷くように、休んでな、いいよいいよ、などと声を掛けてくれる。

 同級生の中で労られる側になるのは、涼は初めてだった。申し訳ないような場違いなような気持ちになって、慌てて立ち上がった。


「やる、片付けもやるから」


「負けず嫌い」

 雅が涼をからかうように言う。

「無理しないほうがよくね♪ 」

 後藤が畳み掛ける。

「あんたたち、うるさい!」

 涼は、ふらふらしながら、ボールを集め始めた。


 しかし、さすがに居残り練習には付き合えなかった。練習はできなくても、写真だけは、と思ったが、カメラを構えようとしたが、手が震えてできなかったのだった。




_____




 翌日の月曜日。

 基礎練習だけの朝練の後、教室に戻った涼を訪ねてきたのは、バスケ部の1年生たちだった。涼からすれば、よく知らない子たちでもある。

 その中には、しばらく前に、涼にバスケ部に入らないかと声を掛けてきた子が混ざっていた。


「長谷川さん、サッカー部に入ったって本当?」


「おはよう。昨日からね」


「故障でバスケ部に入らなかったんじゃないの?」


「故障してるともバスケ部に入るとも言ってない」


「どういうこと?」



「サッカーがやりたい、それだけ」



 涼は、自分でもびっくりするくらい穏やかな気持ちで言い切った。

 まさか、朝っぱらから、文句を付けられるとは思っていなかったけれど、何らかの形で誰かに言われるだろうと予測はしていた。


「なんで、バスケじゃないの!?」


 涼は、涼がバスケを続けるのを当然だと思い込んでいる人と関わることにうんざりしてきたが、サッカーをやると決めたからには腹が決まっている。


「バスケはもうやらない。わたしのやりたいことはわたしが決める」


 あ、これ、ニシザーの受け売りだ、と涼は思って、にやっと笑う。

 その涼の表情が、バスケ部員を苛立たせた。


「長谷川さんは、サッカーやったことないでしょ、なんでバスケじゃなくてサッカーなの?」


「あなたが、サッカーじゃなくてバスケをやってるのと同じような理由だと思うけど」


「わたしたちは、長谷川さんと、あの長谷川涼と一緒にバスケができると思って期待していたのに」


「期待してくれてありがとう。でも、もうサッカー部に入ったから、それはできない」

 

「ありがとうって、バカにしてんの?」


「してない。一緒にやりたいと言ってくれたことはありがたいと思うからお礼を言っただけ。でも、朝からこんな風に囲むのはやめた方がいいとは思ってる」


「長谷川さんがバスケ部に入ってくれたら、こんなことしない」


「何をされても、してくれても、わたしは絶対に入らない。誘ってくれてありがとう。その気持ちは本当にありがたいと思うよ。でも、…無駄だから、教室に戻った方がいい」

 涼は落ち着いて、相手の申し出をはっきりと断る。少しだけ顎を上げて


 なにかを言いたげな者を諦めた者がいさめて、バスケ部員たちが教室から出ていった。


 バスケはいつまでわたしを追い掛けてくるのかなあ、と涼は呟いてから椅子に座った。

 緊張しながら涼たちを遠巻きに見ていた同級生たちが安堵して、それぞれの席に戻っていく。


「ごめんね、騒がしくして」

 教室にいたみんなに涼が声を掛けると、大丈夫だよとかカッコ良かったとか声が戻ってきた。


 逆に一人の男子が涼に話し掛けてきた。

「長谷川、サッカー部入ったのかよ?」


「うん!!」

 涼は笑顔で頷いた。


 バスケをやめてから、ようやく本当に笑えた気がした。









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