第15話 球転動地(5)

 まさの居残り練習に付き合っていたら、辺りはすっかり真っ暗になっていた。写真部のすずがこんな遅い時間に帰るのは、高校に入って初めてだった。駅とは反対方向に向かう下りのバスは空いていて、涼と雅は後ろの方の二人掛けの座席に並んで座った。ゆらっとバスが揺れて走り出す。

 先に降りる雅が通路側で、涼が窓側だ。

 帰りの路線バスで並んで座るのは、二人でJ3のサッカーの試合を観に行った帰り以来だ。あのときの雅は、推しの選手のコーナーキックからの得点に舞い上がってテンションが異様に上がっていたのを涼は思い出した。涼は、そのことで雅に話し掛けようとしたが、もう雅は涼の肩に寄り掛かったまま眠ってしまっていたのでやめた。どうやら雅の体力は、必ずしも無尽蔵ではないらしい。


 涼は座高はそれほど高くはないので、座ると雅との身長差が縮んで、立っているときより顔が近くなる。涼の肩は雅の枕にはちょうどいい高さになっているようだ。 


 雅の髪からは、うっすら汗の匂いがした。

 かぎ慣れた匂いのようで、でも、雅だけの匂いのようで、涼は落ち着かなくなる。

 横目で見ると、雅はネクタイを締めず、シャツの第1ボタンを外していて、そこから鎖骨が見えた。

 サッカー部の練習着がVネックで、首もとには、うっすらと日焼けの境目が見えて、ネクタイを外したシャツの下に続いていく肌は白い。その白さから目が離せなくなる。


 やば


 胸の中に湧き上がってしまった熱さを振り払いたくて涼はかぶりを振った。雅は、日焼けしているけれど、もともと色黒ではなさそうだ、以上。そう強く思って、ギュッと一回目をつむる。


 雅の閉じたまぶたの下で、眼球が動く。

 まだ走ってる夢を見ているのかもしれない。

 ドリブルして走っていく雅が目に浮かんだ。


 雅が降りるバス停までは15分もなく、短い時間だが、ぎりぎりまで寝かしておこうと涼は思った。窓の外は暗い。涼の家は街外れにあるから、街灯が減ってバスの外の風景はどんどん暗くなっていく。


 涼は、なんとか頑張って雅から視線を外してスマホを見た。

 母親から帰る時間を教えろというメッセージが入っている。「あと20分くらい」と送信を返す。帰りが遅くなることを母親に連絡してなかったことを思い出して、雅の練習に付き合うなら、ちゃんと連絡しておかないとな、と思う。


『次は……』


 雅の降りるバス停の名前のアナウンスが入った。

 涼は、ニシザーを起こさないとな、と思いながら、窓の横にある下車を知らせるスイッチを押す。

 ピンポーンと高い音がした。



「ありがと、ハセガー」



 至近距離から雅の声がして、涼はぎょっとする。

 肩に頭を乗せたまま、雅は目を覚ましていた。大きな目がきょろんと涼を見ている。

 涼は、雅の顔が近すぎて、どきっとするが、それを顔に出さないようにする。


「起きたんだ」

「うん、そんなに深く寝てたわけでもないよ」

「ぐっすりかと思った」

「そうでもない」


 バスがゆっくりと停車する。



「じゃ、またね」


 すくっと雅が立ち上がる。




「ハセガー」


 呼び掛けられた涼は、顔を上げて、雅を見る。

 雅はにこっと笑って、早口で言った。



「私、初めて会ったときから、ハセガーはカッコいいと思ってる。それを一目惚れっていうなら、私も一目惚れだね」




 涼は、雅の目と同じくらい目を見開いた。

 雅はもうバスのステップを降りて、こちらを振り返らず、軽やかにまっすぐ走っていく。

 その後ろ姿には、もう疲れた様子はない。


 ゆらっとバスが揺れて走り出して、涼の視界から完全に雅がいなくなった。



 えええ




「あだっ」


 信号で止まったバスの振動で、涼は前の椅子の背もたれに額をぶつけた。

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