第11話 球転動地(1)

 初めてのサッカー観戦の週明けの月曜日。



 その日の放課後、すずは文化部棟の写真部の部室に向かっていた。試合で撮った写真を、パソコンの画面で見るつもりだった。

 写真加工ソフトを使って、もっといい写真になったら、プリントアウトしてまさにあげようと思い付いたからだ。


 そして、廊下で顔見知りと目が合った。

 中学校時代に何度か大会で試合したことのある選手だ。うっすら見覚えがある。でも、きっと彼女は自分のことを覚えているだろう。

 前にもどこかで見掛けて、知ってる顔が同じ高校に入学していることは気付いてはいた。特に避けてるつもりもなかったけれど、クラスが離れていたこともあって、話す機会はこれまでなかった。

 昔の自分を知っている人に会いたくない、と涼は思う。背筋が冷えるような気分になる。


長谷川はせがわすず!」


 前から歩いてきた顔見知りは、いきなりフルネームで涼に声を掛けてきた。失礼だな、と嫌な気持ちになる。

「なんでこの高校にいるの?」

 彼女は、やっぱりバスケ部の練習着を着ている。そして挨拶も自己紹介もなしに質問攻撃だ。

「……何でって、家から近いし」

 涼は、彼女の前で作り笑いをした。波風を立てることはしたくない。

「推薦入学?」


 バスケをやるために、わざわざ無名の県立高校に推薦入学するくらいなら、もといた強豪の私立の中等部から高等部に普通に進学するよ。という言葉を涼は飲み込む。


「……バスケやめたから。もう陽湘ようしょうにいる意味がなくなったの」

 涼は、つくり笑いを見せたまま答えた。

 陽湘大学附属陽湘学園中等部。涼が通っていた中学校の名前だ。スポーツに力を入れている私立の学校だ。

 エスカレーターの学校から抜けるなんて、割とセンシティブなことだと思うのに、全く気に掛けてもらえず、さらに、質問が重ねられる。そんな人の相手はしていられない、と少し腹が立ってくる。

「どっか故障したの?」

「そんなとこ」

「どこが悪いの?治るの?治ったら、うちのバスケ部入らない?」


「ありがと。考えとく」

 矢継ぎ早の彼女の問いに対して、涼は嘘をついて、会話を終わらせた。

 考える余地なんかない。もう、バスケはやらない。やめたのだ。


 会話を終えて、すれ違ってから、背中の方向から彼女とその隣にいたバスケ部の子と話す声が聞こえてしまった。


「あの大きい子、陽湘中等部の長谷川? なんで、うちの高校なんかにいるの、勿体ない。いいな、身長何cmあるんだろ」

「故障だって言ってたじゃん。やめなよ、聞こえるよ」



「いちいちうるさいんだよ」

 もう声が聞こえないところまで来て、毒を吐いてから、涼はため息をついた。

「わたしだって、軽い気持ちでやめたわけじゃないよ」

 

 あえて言いたくない人は何も言わないから聞かないん


 そう言ってくれたまさの言葉がいかに貴重だったのか、涼の身に染みた。


「なんだかニシザーに会いたいな」




______




 数日後、河川敷のグラウンドのベンチに涼は座っていた。


 写真部とサッカー部の顧問の許可を取って、涼は雅の写真を堂々と撮れることになった。

 涼は、撮った写真をSNSなどにアップロードする気はさらさらなく、撮った写真は、文化祭での展示とコンテストへの応募くらいにしか使わないつもりだったので、サッカー部での撮影は簡単に認めてもらえた。

 涼の身長の高さを見たサッカー部の先輩達は、涼を勧誘しようとざわめき立ったが、ボールを全く蹴ったことがなければ、テレビでサッカーの試合を見たこともないと涼が言うと、早々に諦めてくれた。変わり者の写真部の1年生が、たまたま女子サッカー部に目を付けたらしい、という程度に受け止めてくれたようだ。

 心が広い。というかサッカー部に入らないなら興味はない、くらいの雑な扱いだ。却って清々しいくらいだと涼は思った。



 顧問の許可を取ったとはいえ、練習の邪魔だって思われたら嫌だな、と少し不安に思いつつ、涼は土手の階段からグラウンドに足を踏み出した。



 その途端、ザザザザっとスパイクの音を立てて涼の前に走り込んでくる選手がいた。涼はそれに驚いて、土手の階段に戻ってしまった。


「なんでニシザーなの?あたしを撮ってよ♪ 」


 そう言って、写真を撮れと話し掛けてきたのは、ゴトゥーと呼ばれる涼と同じく1年生の後藤という子だった。

 なんだ、この変なやつ、というのが涼の第一印象だった。


「いいけど、わたし、超初心者だから、下手くそにしか撮れないよ」

「今日という日は1日しかない。今日のあたしは今日しかいない♪ だから撮って」

 後藤は涼の前で腕組みをして、偉そうに訳の分からないことを言ったかと思うと、ウィンクを決めて、腰を少し捻りながらポーズをとった。色っぽいつもりなのか、可愛いつもりなのか、涼には測りかねる。

 後藤の見た目は可愛い、と思う。だが、いろいろと台無しだと涼は思った。それでも、とりあえず、手に持っているカメラを構えてシャッターを切って、後藤の写真を撮ってやる。


「やった♪ 」

 たった1枚。それで満足したらしく、くるくる回りながら、涼の前から後藤はいなくなった。


「なんだ、アレ?」


「ゴトゥーは、ああだけど、……色々残念な子だけど、シュートの決定率が高いん。勘がいいんだよ」

 後ろから雅が涼に話し掛けてきた。

「…そうなんだ」

 グラウンドの端で、後藤はまだくるくる回っていた。そして、気持ち悪くなったらしく地面に手を着いて四つん這いになったかと思ったら、そのまま地面に転がった。シュートが決まるんなら、あんなヤツでもいいのか、と涼は首を傾げた。

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