第7話 試合感染(2)
初めて見たサッカーの試合場。
風がふわっと吹いて、涼のセミロングの髪を軽く巻き上げた。
そこは、サッカー専用のスタジアムではなく、地元の陸上競技場だった。サッカーだけではなく、陸上競技や大きい運動会にも使われている。
どこに座るんだろうと、涼が観客席を見回していると、雅がそれに気付いて涼に声を掛けた。
「この辺りは自由席だから、好きなとこ座れるよ。でも、私のいつも座るとこでいい?」
「いいよ、どこでも」
涼が頷くと、
当然だというように。
雅の手は、涼の手より一回り小さい。というか涼は手も大きいから、雅の手は普通の大きさなんだろうけれど、と涼は思う。
小さいけれど熱い。
そんな涼の恥ずかしい気持ちに全く気付かず、雅は自分の座りたいところへとずんずん涼を引っ張っていく。
雅は、ピッチの角、いわゆるコーナー近くの前の方を陣取った。
赤いトラックの向こうに、白いラインの角。その向こうにゴールが設置されている。
「ニシザー、ここだとシュートするところがよく見えないんじゃないの?」
「うん、シュートするところより、コーナーキックとかライン際のせめぎ合いが見たいん」
雅の指先がスタンドと平行の白い線をすいーっと動いた。白い線の内側でボールを外に出さないようにしながらもボールを奪い合うことを、ライン際のせめぎ合いというのだと涼は教わった。
「右ウィングのレギュラー取りたいから」
涼には雅の言うウィングの意味が分からなかったけれど、まだ入学したばかりの1年生の分際でレギュラー入りを狙っていることは分かった。
涼たちの高校の女子サッカー部は人数こそ少ないが、県内では強い方だと聞いている。まだ1年生の雅の目は、まっすぐにレギュラー入りを目指している。まっすぐに。
もう、捻挫はほぼ治っていて、雅は明日の朝から練習に参加すると言う。
涼と一緒に登校できないのは残念だけど、それ以上に走りたいのだと雅は苦笑いした。
「あ、そうだ」
と言って、雅は自分の持っていたトートバッグを漁り出した。
「はい、これ着て」
渡されたのは、白とライトグリーンの太いストライプのTシャツ、ではなく、レプリカのユニフォームだった。
ええええ?
受け取って広げて涼は戸惑う。
「大きいからパーカーの上からでも着れると思う」
そう言いながら、雅は長袖Tシャツの上に、レプリカユニフォームを着込んだ。
「うわ、ニシザーってガチなんだ」
「…ガチのサポーターです!」
雅は親指を立てて、涼に歯を見せて笑った。
「おし、分かった!」
涼は、ばっとパーカーのジッパーを下げて、勢いよく脱ぐと、渡されたユニフォームを着た。
それから裾をデニムにたくしこんだ。
涼がパーカーを脱いだ瞬間、雅の大きな目が丸くなったことに涼は気付かなかった。
「……ハセガー、あと帽子とタオルマフラー」
雅は涼に、ライトグリーンのキャップとタオルマフラーを渡す。
「こういう帽子、小学校以来かも」
涼がキャップを後ろ向きに被る。
「ハセガー、可愛いけど、ちゃんとツバを前にして被っとかないと顔が日焼けでひどいことになるよ」
そう言って雅も同じような色合いのキャップを被り、首にタオルマフラーを掛けた。
涼が初めて見るサッカーの試合だった。
広いグラウンドを縦横無尽に20人の選手が走り回る。
ただボールを追い掛けてるように見えて、作戦やフォーメーションがあるらしい。
基本、足だけでボールをコントロールする。なんでそんな面倒くさいことをするのか?
でも、そのもどかしさが魅力なのは分かる。
そして、涼は、雅の新たな一面を知る。
「上がれええええええ、なんでそこで止まるん!走れええええ!!!」
「ッたあああ、そのまま行けええ」
「下げんなや!」
「ああああ、また、ふかしたああ、入れてよお、もおお」
「よおおおしゃ、ナイスカット!」
最初は、雅の変貌っぷりにびっくりして声が出なかった。
しかし、雅だけでなく、周りの観客にも大声を出している人たちがいて、ああ、サポーターって、そういうものなんだ、と納得する。大声を出して目一杯応援している雅を妨げるのは無粋だ。
雅の応援の大きな声を聞いていると、涼も何か声を出したくなる。
誰かを思い切り応援してみたくなる。
雅の勢いが涼に感染する。
ふと、涼はカメラをディバックから出して、雅の声を聞きながらファインダーを覗いてみた。
「うわ、はっや!」
ボールが小さくて速すぎて追えない。
「そうだと思った。私もスマホで撮ろうとしてみて諦めたことあったから」
雅がそんな涼に気付いて言った。
「でも、コーナーキックなら撮れると思うよ、あそこ」
雅が白い枠線の角、旗の立っているところを指差した。
言っているそばから、敵の白いユニフォームの人のコーナーキックになった。旗のところからボールを蹴るらしい。
雅の応援しているチームはピンチということになる。
涼がコーナーの旗にピントを合わせようとしているうちに、ボールは蹴られてしまい、シャッターを切ることはできなかった。
ただ、蹴られたボールもゴールに決まらず、反対側のコーナーの方へ転がっていき、雅が応援しているチームの選手がボールを奪い返した。
「あああ、撮れなかった」
「あはは、失敗したん?」
「うっさい!次を待つもん」
「そんなに敵にコーナーキック取られたら困る。後半になれば、そこのコーナーからうちのチームがコーナーキック蹴るから、その時を本番にして撮ってよ」
「おし、分かった」
涼は返事をすると、コーナー辺りでどのくらいの距離でどんな構図で撮るか考え始めた。
イメージしろ。
想像を現実にする前に、その手順をしっかり想像する。
イメージをするのとしないのとでは、した方が成功率は高い。
涼は深呼吸して目を瞑る。
イメージする。
すると、コートから305cm上にあるオレンジ色の円が目に一瞬浮かぶ。
違う、それじゃない。
涼は、目を開けて、コーナーをじっと見て、もう1度目を瞑った。
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