第6話 試合感染(1)

 4月下旬の日曜日、少しだけ曇っているけれど、概ね晴れ。太平洋岸のこの街には、すぐに蒸し暑い夏が来る。過ごしやすい春は、そんなに長く続かない。

 すずは、朝起きて、窓から外を覗いて、青空を見て晴れていることを確認した。

 あんまり暑くならなさそうだし、雨も降らなさそうだし、春のお出掛けとしてはベストだ。


 最寄りの中央駅の改札口の前がまさとの待ち合わせ場所で、涼の父親が駅まで自動車で送ってくれた。父親はスタジアムまで送ってくれようとしてくれたけれど、涼は雅と二人で行きたいからと断った。

「俺もチケット買って試合見ようかな…」

「え? チケットって有料なの?」

「当たり前じゃないか、おいおい」

 車を降りるときに父親は涼に小遣いをくれた。

「これでちゃんとチケット代払うんだぞ」

「うっす」


 雅がチケット代のことを何も言わなかったのでお金がかかるなんて思いもしなかった。

 スマホで検索して高校生料金を確認する。

「高くても1500円くらいじゃん。らっきー」

 涼の父親は、1500円のチケット3枚買ってもお釣りが来る額のお小遣いをくれていた。

 雅に何か、美味しいものでも奢らないと!


 ほくほくしてスマホを覗いていると、改札口に雅がほぼ時間ぴったりにやってきた。

「おすー」

 男の子みたいな挨拶をして手を振りながら雅が駆け寄ってきた。スポーツブランドのロゴが入った長袖Tシャツにデニム半ズボン、腰に巻いたチェックのシャツが後ろから見るとタータンチェックのスカートみたいだった。小学生みたいで可愛い、私服の雅を見て、涼は思った。

「ハセガー、もしかして待ってた?」

「いや、そんなことないよ」

「ほんと?」

「ほんとほんと」

 雅の視線が、涼の頭から爪先を撫でる。

「にしても、ハセガーはかっこいーね」

「何が?」

「ハセガーって私服だと大人っぽい。同い年とは思えない」

「でかいから目立つだけだよ」

 ただの薄手のパーカーとデニムだ。スタジアムに行くのにお洒落はいらないけど、上は薄着になれるようにしてくれと雅に言われていたので、パーカーの下にはノースリーブの薄手のニットを着ている。


 大人っぽいとは昔から言われている。小学生で既に160cmを軽く越えていたので小学生に見てもらえなくて、バスでも電車でも乗り物料金で大抵もめることになっていた嫌な記憶を涼は思い出した。


「…別に背が高いだけだからじゃないけど」

 雅がごにょごにょっと言った言葉は、涼にはよく聞こえなかった。



 隣の市に向かう電車は空いていて、二人で並んで座れた。朝のバスでは雅が座っていて涼が立っているため、並んで座るのは初めてで、涼は少し照れ臭い。

 それに加えて、知らないところに、まだ付き合いの浅い友達と出掛ける。少しだけの緊張と、何か楽しいことが起きるような予感があってワクワクしていた。


「…ああ、ハセガーのおとーさん、J1の試合のチケットと勘違いしたんだ」

「そうなの?」

「ん、J1の試合だったらもっとチケットは高いよ。今日見るのは、J3だし、前売りで買っといたから1000円。ハセガーのJの初観戦だから奢らせて」

 涼と一緒に観戦するのが、まるで記念日かのような言い方だったので、ちょっとだけ照れてしまう。


「そういえばニシザーは、女子サッカーは見に行かないの?」

「うちの県には、女子プロチームないから試合もないよ」

 女子の試合も生で見たいんだけどね、と雅は付け加えた。


 雅は、何も知らない涼に分かってもらえるように、雅なりに丁寧に教えてくれようとしている。涼は、雅の説明を全て理解できるわけではないが、ふんふんと頷きながらよく聴いていた。

 端から見れば、真面目に話し合っている仲の良い女子高生二人組だ。ただし、女子高生らしい恋バナではなく、サッカーの話なのだけれど。



 着いた隣街の駅からは、スタジアム直行のシャトルバスに乗り込んだ。

 バスの乗客は、地元チームのチームカラーであるライトグリーンののTシャツを着ている人がほとんどだった。シャツには、それぞれの推しの背番号が付いている。Tシャツではなく、試合で使用するようなレプリカのユニフォームを着ている人もそれなりに多い。

 雅は普通のTシャツなので、そこまでファンなのではないのかなと思ったが、目の色がいつもと少し違う。試合を楽しみにしてワクワクしているのは確かで、そんな雅を見てると、涼もワクワクが感染する。

 スタジアムが近付くにつれて、だんだん試合に向けて気分が盛り上がってきた。


 涼も、中学校時代にプロの試合を何度か見に行った。

 だから、試合前の盛り上がる気分は分かる。

 でも、その頃の涼は、推しのチームや選手を応援しに行くというより、勉強のために見に行かされてたところが大きかったから、いつも面倒臭かった。だから、今みたいな気負いのない、わくわくした気分で試合を見るのは初めてだった。


 会場入り口でチケットの半券を千切られ、宣伝チラシなどが挟まれたクリアフォルダの入ったビニル袋を代わりに受け取り、ゲートをくぐって指定された階段を上る。


 階段を最上段まで上ると風景がばっと開く。

 観客席に立った涼の眼下には濃い緑と明るい緑の縞模様のフィールドが広がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る