第5話 キックオフ
西澤
私はサッカーが好きすぎた。
サッカーで頭の中が一杯で、他の何かを好きになる余裕なんてないと思ってた。
恋愛なんて、数学の公式と一緒で、ただの頭の中の知識に過ぎなくて、私の実生活には何にも関係ないし、何の役にも立たないと思ってた。
「ニシザー!」
背の高い彼女が私を呼ぶ声は、少し上から降ってくる。
「何?ハセガー」
私は彼女を振り返って、少し見上げる。
「うん、あのね…」
私と目が合うと、彼女は笑う。
笑うと大人っぽいカッコいい顔が、ふわっと子供のような可愛い顔になる。
それだけで私は何だかふわふわとして幸せだと感じる。
同時に喉から胸の奥をキュッとされるような切なさも感じる。
だから、私は、彼女と一緒にいると、いつも少し困っている。
______
朝の通学バスの中で知り合って、割とすぐに、ハセガーこと、
モデル並みの身長とスタイル、とにかく長い足。少し彫りの深い整った顔立ち。実際のところ、見た目はむちゃくちゃカッコいい。だから、ハセガーはとても目立つ。
それでいて、学校では仏頂面ばかりしていて、愛想は余り良くない。何かの折に、ハセガーのいる教室を覗いた時、何か腹が立つことでもあるかと思ったくらい怖い顔をしていたのを見た。朝のバスの中ではいつだってニコニコしているので、そのギャップに驚いた。
翌朝のバスの中で、昨日の教室で何か嫌なことでもあったかと尋ねてみたけれど、
「えー、別に。何にもなかったけどなあ」
本人は全くそのつもりはなく、単に、普通にしている顔が不機嫌に見えるだけだった。
「わたし、クラスにあんまり友達いなくって。中学ん時からそうだったんで。…本当は、ちょい人見知りなんだけど、ニシザーは話しやすそうだったから、ちょこっと勇気出して話し掛けて良かった」
小さく苦笑いしながら、ハセガーはそう言った。
見た目がカッコいい。だけど、無愛想だから、近寄り難いと思われているみたいだと、私は思う。
「わたしが筋肉ゴリラだから、みんなわたしのこと怖がるんだよ」
ハセガーがそう呟く。いや、それは全然違うんだけど、何て言ったらいい?
「そんなことないよ」
ありきたりなことしか言えず、ニシザーは優しいね、と言われて口籠ってしまった。
______
「ニシザー、2組の長谷川さんと仲良いの?」
同じクラスのサッカー部の子に尋ねられた。
「2組の目立つ子。朝、下駄箱でニシザーと話してんの見たけど、あの人、サッカー部入るの?」
「や、写真部ってたよ」
「写真部? モデルでもやるの?」
「や、撮る方だと思うん」
そうなんだー、という部活仲間は、残念なようなそうでもないような顔をして話を打ち切った。ハセガーに興味を持っても、そこから先は進まなかった。親しくなろうって思わないのかな。
でも、私もバスでハセガーに話し掛けてもらえなかったら、ああ、きれいな子だな、で終わりで興味すら持たなかったのかもしれない。
昨日のことだった。
私は入学前の春休みの練習で、早速やらかした捻挫が完治するまで、練習への参加が禁止されていて、今は部活を見学している。すると、女子サッカー部が練習している学校の隣の河川敷のグラウンドにハセガーがふらっとやってきて、私に話し掛けて来てカメラを構えた。ハセガーは明らかなアスリート体型、多分バスケかバレー、なのに、高校からは写真部に入ったと言う。
…なぜか運動部を敢えて避けたようだった。
見せてもらったハセガーの写真はきれいな風景写真で、私だったら普通に見落とすものを風景として切り取っていた。写真の良し悪しはわからないけれど、写真を始めたばかりだと言うのに、こういうのが撮れるのかと思うと、ちょっと感心してしまった。
そこまではいい。
「…ニシザーを撮らせてよ」
突然、ハセガーが訳の分からんことを言い出すので驚いた。
これが分からない。全く分からない。分からない!
そう言うハセガーの方がよっぽど写真のモデルとして映えるだろうに、なぜ、サッカー子猿の私の写真を撮りたがるのか?
それも突然。
「なんで?」
私はそれしか言えなくなった。
ハセガーはそんな私の疑問に答えてはくれず、分かんないんだけど、とにかく撮りたいんだと真面目な顔で言った。
______
カメラのファインダーを挟んで
お互いのキョリの探り合いは、この辺りから始まった。
好き
が、始まってた。
______
『キックオフ』
試合の始まり若しくは再開。ピッチ中央でボールを蹴り出すこと。
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