31話:退屈しないのは悪くない、か?

 チョコパイを買いに現世へ向かうことはせず、杞憂きゆう一行はようやく1000階旅館まで戻って来た。

 既に太陽は森の向こうへ身を隠し、僅かに残った茜色の空も、間もなくその美しさを夜色に変貌させようかという時間帯。

 空を突き抜ける巨大な建築物は、やんわりとした常夜灯の灯りを遥か上空まで放っている。


「あらまぁ、これまた凄い建物ね。アタシが暮らすには悪くないわ」


 杞憂きゆうの頭に乗った日本人形の付喪神つくもがみ櫻子さくらこの第一印象は〇。

 少なくとも外観は気に入ってくれたらしいが、中に居るだろう巨大な白蛇を見たらどう思うか……。


「随分と遅くなってしまったけど、カピの助は大丈夫かな?」


「悲鳴は聞こえないぞ。もしかして死んだか?」


「いやいや、流石に寝てるだけだと思うよ琥珀こはくっち」

 狐の美少年によるボケ(?)に苦笑いを浮かべつつ、薬屋:貞明ていめいが液体の入った小瓶を杞憂きゆうに差し出す。

「あとはよろしく」


「うっ、やっぱ薬飲ませる役目は俺か」


「勿論。旅館の若旦那でしょ?」


「……だよな」


 決める他ない覚悟を決めて。

 薬の小瓶を受け取るも、1000階旅館の正面玄関は2重の摺りガラスだ。

 中の様子は外からだとわからず、杞憂きゆうが1枚目の扉を開くも、まだ中の様子は正確には伺えない。

 白蛇様の巨大な姿を彷彿とさせるシルエットは見えるものの、起きているのか寝ているのか、カピの助の所在も不明だ。


櫻子さくらこ、この先に大きな白蛇が居ると思うけど吃驚しないでくれよ」


「白蛇? 別にそのくらいじゃ驚かないわよ。子供じゃないんだから」


「そうか。ならいいんだ」


 爬虫類は大丈夫系な女子か、彼女の答えに安堵して。

 それから「そーっと」、かなり慎重に杞憂きゆうが扉を開くと――


「ぎゃッ!? 化物ヘビが居るわよ!!」



「(しぃ~、せっかく寝たんだから起こさないで!!)」



「「「ッ!?」」」


 張らない声で叫んだのは、杞憂きゆうでも琥珀こはくでも貞明ていめいでもなく、ましてや叫んだ張本人である櫻子さくらこでもない。

 中庭を望む回廊で、蜷局とぐろを巻いて沈黙する白蛇様――その巻かれた身体の隙間から顔を出すカピバラの『あやかし』:カピの助だ。

 非常にやつれた顔をしているものの、何とか自我を保ったまま杞憂きゆうの帰りまで耐えていたらしい。


 予想以上の大きさに驚いた櫻子さくらこに説明したい気持ちもあるが、まず優先すべきは一番の被害者だと杞憂きゆうは判断。

 白蛇様を起こさぬ様、足音を立てない様に歩いてカピの助の元へと近づく。


「悪い、遅くなった。材料探しに少し手間取って」


「もう駄目かと思いましたよ~。このまま帰って来なかったら、私、間違いなく若旦那を恨んでいたところでした」


「そ、そんな怖いこと言わないでくれ。今朝の時点じゃあ、俺にはどうしようもなかったんだから」


「わかってますよ。若旦那はちゃんと戻ってきて下さる人物だと信じていました。――それで、肝心の薬は?」


「何とか用意出来た。あとはコレを飲ませるだけだ」


「では、早速お願いします」


 頷きコクリと、頷きはしたものの。

 顔だけで杞憂きゆうの身体程もある白蛇様の顔は、今現在「斜め下」を向いている。

 小瓶の薬を飲ませるには、ある程度「上」を向かせる必要があるのは明白か。


琥珀こはく君。白蛇様を上向かせたいんだけど、何か良い方法ないかな?」


「う~ん、白蛇様の頭は重いからなぁ……うん、無理だな」


「そ、そこを何とかしないと薬飲ませられないんだけど……」


「そんなのボクに言われても困る。杞憂きゆうは若旦那だろ、杞憂きゆうが何とかしろ」


「ぐっ……」


 ここ一番で見放されたが、琥珀こはくが無理だというのであれば本当に無理なのだろう。

 少なくとも、杞憂きゆう琥珀こはく貞明ていめいには。



「その馬鹿デカい白蛇の頭を上に向けさせて、それで薬を飲ませればいいのね?」



「え、そうだけど……櫻子さくらこには無理だろ」


 頼もし気な台詞を吐いた日本人形の付喪神つくもがみ

 先ほど悲鳴を上げた櫻子さくらこが、ふわふわと浮遊しながら白蛇様の頭に近付くも、杞憂きゆうには不可解が過ぎる。


「おい、どうするつもりだ櫻子さくらこ。お前の力じゃ――」



 突き上げる衝撃ドンッ!!!!



(……え?)


 櫻子さくらこの放つ掌底。

 顎下から物凄い衝撃を受け、白蛇様の頭が強制的に上を向いた。


杞憂きゆう、薬を寄越しなさい」


「あ、はい」


 思いがけぬ事態に理解が追いつかない。

 言われるがままに杞憂きゆう櫻子さくらこへ薬を渡すと、彼女は小瓶の蓋をキュポンッと取って、中の液体を白蛇様の口に流し込む。


 途端、振動ブルルッ。

 感電したかの様に白蛇様の身体が大きく振動。

 その動きで隙間が生まれたか、カピの助が「わわっ!?」と驚きながらも蜷局から脱出し、ドテッと回廊に落ちる。


 そして肝心の白蛇様は数秒身体を痙攣させて、最後はバタンと中庭にこうべを垂れたのだった。



 ――――――――

 ――――

 ――

 ―



「ほ、本当に大丈夫かコレ? 死んだように動かないけど……」


 カピの助の救助と、白蛇様への薬の投与。

 無事に目的を達成した杞憂きゆう達の前には、ピクリとも動かない白蛇様の巨大な身体が鎮座している。


「おーい白蛇様、大丈夫か?」


 ツンツンと、琥珀こはくが突いても動かぬ白蛇様の身体。

 その巨大な眠り顔を観察した薬屋:貞明ていめいが、眼鏡をクイッと上げて杞憂きゆうを見返す。


「まぁ大丈夫でしょ。櫻子さくらこちゃんの妖力には吃驚したけど、何せ相手は白蛇様だからね。蜂に刺されたみたいなモノだと思うよ」


「それはそれで結構な痛みだが……薬の力でどれくらい寝るんだ?」


「ん~、白蛇の旦那が酒をどれだけ飲んだかにもよるけど、だいたい半日から1日ってところかな。寝てる間に酒が抜けるから、起きたら元通りになってる筈だよ」


「そうか。色々あったが、とりあえずコレで一件落着だな」


 最後の最後、強引に力で捻じ伏せた櫻子さくらこに活躍の場を奪われた形となる杞憂きゆうが、結果オーライなので問題はない。

 今日一日ずっと生贄となっていたカピの助も、憔悴こそしているものの大きな怪我も無く無事に終えることが出来た。


 やっとこれで一息つけると、杞憂きゆうは大きく・高く両手を伸ばす。


「う~ん、流石に今日は疲れたな。アチコチ移動して汗もかいたし、温泉にでも入って来るか」


「あ、僕も入ろうかな。ここの露天風呂、お湯が気持ちいいんだよね~」と貞明ていめいが手を上げると。


「私もお邪魔してよろしいですか? 白蛇様の接吻で身体がベトベトで……」とカピの助も小さな手を上げる。


「あはは……ごめんなカピの助。それじゃあ一緒に入るか。琥珀こはく君も入るよね?」


「当たり前だろ。一番風呂はボクのモノだ」


 杞憂きゆうが尋ねるまでもなく、早くも上を脱いでいた狐の美少年。

 そんな彼の隣を、貞明ていめいがトトトッと走り去る。


「残念琥珀こはくっち、一番風呂は僕が貰うよ!!」


「むっ、貞明ていめいのくせに生意気だぞッ。ボクの足に勝てると思うな!!」


 俊足ビュンッ!!


「ちょッ、本気で走るのはズルいって!!」


「あ、待って下さいよ二人共~」


 先を走る二人に続き、カピの助も短い足でトコトコ駆けてゆく。

 あっという間に3人が居なくなり、残った杞憂きゆうはもう一人(一体?)の残された日本人形に問う。


櫻子さくらこは……どうする?」


「馬鹿な質問ね、男と一緒に入る訳ないでしょ。私は適当に旅館を探検してるから、杞憂きゆうもさっさと入って来なさい」


「そうか。それじゃあ悪いけど、ちょっと温泉に入って来るよ。戻ってきたらアレコレ今後の話でもしよう。色々と決めないといけないことも多いからな」


「そうね。この旅館、アタシが暮らすには悪くないけど、やっぱりこのアタシが暮らすからには可愛い部屋も欲しいし、色々と要望は尽きないわ。今の内に覚悟しときなさい」


「うっ、先が思いやられるなぁ……」


「そこは頑張りなさいよ。このアタシが認めた男なんだから」


 だったら認められなくてもよかったのに、と今更文句を言っても始まらない。

 この写し世うつしよで暮らす――1000階旅館の若旦那になった以上、ちょっとやそっとの困難で挫けている暇は無い、かどうかは知らないけれど。


(退屈しないのは悪くない、か? 現世じゃ似たような日々の繰り返しで、何の為に生きてるのか自分でもわからなかったからな。……いや、それで言うと何の為に生きるとか、今もわかってないんだけど)


 杞憂きゆうは哲学者じゃないし、哲学者だったとしても納得のいく答えは出そうにもない疑問だ。


 でも、だけど。

 今の生活は“悪くないな”と杞憂きゆうは思う。

 コレが良い生活かどうかはわからないけれど、少なくとも現世で暮していた時と比べて、今の生活は悪くない。


 この悪くない生活が、いつまで続くのかもわからないけれど――。


 そんなことを考えながら櫻子さくらこと別れ、杞憂きゆうは3名(二人と一匹)が待つ露天風呂へと足を向けた。


 ――――――――――――――――

*あとがき

ここまでお付き合い頂きありがとうございます。

次からは【4章:それぞれの日常編】が始まりますので、引き続き宜しくお願い致します。

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