18話:「草の雫」の大事なお仕事

 巨木が目印の『薬屋:蓬莱亭ほうらいてい』にて、無事にレシピ本を入手した朝霧あさぎり杞憂きゆう

 店の外で待っていた琥珀こはくと共に30分かけて来た道を戻り、1000階旅館に無事到着。

 そのまま休む間もなく厨房キッチンへと足を運ぶが、その途中で琥珀こはくが足を止めた。


「ボクは中庭の掃除をするから、ふわふわのやつが出来たらすぐ呼べよ。いいか、すぐだぞ?」


 念押しする彼は厨房キッチンに向かわず、中庭を望む回廊からそのまま苔庭にトンッと降り立つ。

 相変わらずシトシトと振り続ける小雨に打たれながら、真上からの日差しに照らされる琥珀こはくが、何気なく一枚の落ち葉を拾う。


 それを両手で――叩くパンッ

 すると落ち葉がボフッと煙を上げて“箒に様変わり”。

「え?」と杞憂きゆうが驚くのも無理は無い。


琥珀こはく君、今のって……」


「ん? 妖術ようじゅつに決まってるだろ。白蛇様ほどじゃないけどボクだって使えるぞ。それより早くふわふわのやつを作れ。今すぐ作れ。さぁ作れ」


「わ、わかってるよ」


 あまりの急かしっぷりに妖術の話を聞いている場合ではなくなった。

 まぁ話を聞いたところで「へぇ~……」となるだけなのは目に見えているし、そもそも白蛇様だって人間の姿に化けたりするのだ。

 ある程度“力”のある『あやかし』は「妖術」とやらが使えるのだろう。


 それから早足で厨房キッチンに向かった杞憂きゆう

 朝と同じく4匹の雫達が出迎えてくれるかと思ったら、今は少々寂しい人数(匹数?)に変わっていた。


「あ、キューぞす。おかえりぞす~(雷)」


「ただいま。他の皆はどうしたの?」


 テーブルの果物籠に居たのは雷の雫だけ。

 他の3匹(火・水・草)の姿は何処にも見当たらない。


「皆は仕事してるぞす。ぼくはちょうど休憩ぞす(雷)」


「そうなんだ? ちょっと草の雫に用があるんだけど、何処に居るかわかる?」


「草の雫なら、多分裏庭の“畑”に居るぞす(雷)」


「そっか、ありがと」


 この1000階旅館に畑があるとは知らなかったが、とにかく場所はわかった。

 厨房キッチンから裏庭に出れるみたいなので、杞憂きゆうは奥の扉から裏庭へ出ると……。


「おぉ~ッ、何だコレ? 凄い数だな……」


 裏庭に出てすぐ。

 杞憂きゆうの視界に飛び込んで来たのは、数えきれない程の作物が植えられた畑。

 白菜やレタスと言った葉物から、トマトやピーマンと言ったナス科の野菜に、恐らくはジャガイモだろうイモ類や根菜・はたまた蜜柑みかん林檎りんごや桃の木など、ありとあらゆる作物が1株/1本だけ植えられていた。

 

 しかも、本来は収穫期もバラバラの筈なのに、その全てが丸々と実っている。

 作物の桃源郷とでもいうべき光景を前に杞憂きゆうが言葉を失っていると、真っ赤に染まった苺の間から緑色の雫がひょっこりと顔を出す。


「あ、キューぞす。何かぼくに用ぞす?(草)」


「うん。ちょっとお願いがあったんだけど……その前に、凄い畑だね。これ、全部草の雫が管理してるの?」


「ぼくと水の雫で作ってるぞす。桃源郷の神々にお供えする代物ぞす」


「へぇ~、そうなんだ?(これが全部お供え物か)」


「食べてみるぞす?(草)」


 草の雫が苺を1つ持ち上げた。

 小さな身体に似合わずかなりの力持ちらしいが、問題はそこではない。


「お供え物なのに食べていいの?」


「沢山あるから大丈夫ぞす。写し世うつしよの『あやかし』達は基本的に食べないから、食べれる人に食べて貰いたいぞす~(草)」


「そっか。それじゃあお言葉に甘えて……」


 せっかくのご厚意。

 無下にするのも悪い、という言い訳の元に苺を受け取り。

 口に入れた瞬間に広がるのは、ジュースを飲んだかと錯覚する瑞々みずみずしさと、砂糖とは違う天然の甘さ。

 高級フルーツ店に来たのかと勘違いしてしまう美味しさだが、実際に杞憂きゆうが高級フルーツ店に足を運んだことは無い為、あくまでも彼の想像だ。


「これ、凄く美味しいよ。こんなに美味しい苺を食べたの初めてかも」


「やったぞす~、褒められたぞす~。もう1つ食べるぞす?(草)」


「いや、1つで十分だよ。このままだと全部食べつくしちゃいそうな美味しさだったから」


「大丈夫ぞす。収穫してもすぐに生えて来るぞす(草)」と草の雫が言うな否や。


 先ほど収穫した苺のつるから小さな花芽(つぼみ)が生まれ、白い花弁の花が咲き、緑色の小さな実がなったかと思えば、それが成長して真っ赤な苺に様変わり。

 僅か数十秒で食べ頃を迎えた光景は、魔法でも見ているかのような衝撃だった。


「コレは……凄いね。植物を成長させるのが草の雫の力なんだ?」


「大体そんな感じぞす。だからキューがもっと食べても大丈夫ぞす(草)」


「ありがとう。でも今は大丈夫だから、また今度お腹が減った時に来るよ。それで、草の雫にお願いがあるんだけど……」


「あ、そうだったぞす。ボクに何の用ぞす?」


 事情説明かくかくしかじか


「――という訳で、薬屋の貞明ていめいがさ、草の雫ならドライイーストを作れるかもって話だったんだけど」


 ここまでの流れを説明した後、期待の眼差しを草の雫に向ける杞憂きゆう

 この話が通らなければ、ドライイーストが手に入るのは貞明ていめいが現世に出かける5日後以降。

 それでは琥珀こはくが悲しむと、草の雫に最後の望みを託すが――小さな精霊の反応はかんばしくない。


「ドライイースト……ぼく知らないぞす。聞いたこともないぞす(草)」


「……そっか。まぁそうだよね」


 これだけ大量の作物を作っていても、桃源郷の神々にパンをお供えすることはないだろう。

 いくら草の雫が凄い力を持っているとはいえ、知らないモノは仕方がない。


「ゴメンね、仕事の邪魔しちゃって」


 肩を落として踵を返す杞憂きゆう

 そんな彼を止めたのは、勝手に期待されて勝手にガッカリされた張本人だった。


「待つぞすキュー、諦めるのは早いぞす(草)」


「え、でも草の雫はドライイーストを知らないんでしょ?」


「知らないけど、テイメーがボクに作れるって言ってたなら、もしかしたら本当に作れるやつかも知れないぞす。ドライイーストはどんな代物ぞす?(草)」


「う~んとね、小麦粉とかに混ぜて寝かせておくと、膨らんでパン生地になるモノなんだけど……っていう説明でわかる?」


 杞憂きゆうが聞き返して数秒。

 可愛らしい顔で難しい顔を作っていた草の雫が、ハッと顔を上げる。


「それ、もしかして“ふっくらごな”のことぞす?(草)」

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