17話:薬屋:貞明《ていめい》はかく語りき

 木造住宅において「木の温もりを感じる家」とはよくある枕詞だが、この『薬屋:蓬莱亭ほうらいてい』以上に「木の温もりを感じる家」は早々お目に掛かれないだろう。

 床も壁も天井も全てが「巨木の内部」であり、視覚的にも嗅覚的にも木の存在感に包まれている。


 広さはざっと10畳程。

 天井から吊るされた複数の傘付きランプが空間を淡い光に包んでおり、奥には「扉」と「2階へと上る階段」も見える。

 手前側には用途不明の代物が雑多に置かれた棚も設置されているが、今杞憂きゆうが気にするべきは棚に置かれた代物ではなく、奥に見える階段の手前。


 空間を仕切る様に設置された木製のカウンター越しに、ラフなパーカー姿で桃色の髪を持つ青年がいた。

 そして、「あの~」と声を掛けた杞憂きゆうに気付き、ランプに照らされた顔を静かに上げる。


「――待ってたよ、朝霧あさぎり杞憂きゆう


「俺のことを知ってるのか?」


「うん、白蛇の旦那から聞いてる。1000階旅館に新しい若旦那が来たってね」


 この青年、どうやら白蛇様とも知り合いらしい。

 つまるところ、それは杞憂きゆうと同じく、彼も“見える側”――『あやかし』が見える人間だという話になる。

 無論、彼が『あやかし』の化けた姿でなければ、という前提であり、杞憂きゆうとしてもそこを明確にしておく必要はある。


「一応聞くけど、アンタは人間だよな? それとも『あやかし』が化けてるのか?」


「違う違う、僕は普通に人間さ。名前は貞明ていめい、『あやかし』専門の薬屋をしてる」


「『あやかし』専門の薬屋……? 『あやかし』が病気になるのか?」


「余裕でなるよ。『あやかし』だって生きてる訳だし、体調が悪くなる時もそりゃあるさ。でも、本当に恐ろしいのは病気とはちょっと違う状態の時。杞憂きゆうっちはさ、『けがき』って聞いたこと無い?」


「『けがき』? ……いや、知らないな(それに“杞憂きゆうっち”って……まぁ何でもいいけど)」


 彼からの軽々しい呼び名に関してはさて置き。

 『けがき』――言葉の響き的に、何となく“良くないモノが憑いている”んだろうなー、くらいの想像は出来るモノの。

 逆に言えばその程度が限界。

 具体的にどういう状況を指すのかは知る由もない。


 そんな杞憂きゆうの表情から何を読み取ったのか、貞明ていめいと名乗った青年は頬杖をついて続きを語る。


「“けがれ”とは、人間から生み出される“負の感情の集合体”だ。誰誰が嫌い、誰誰が憎い――数多の人間から生み出された負の感情が集まり、真っ黒い霧の様な“けがれ”となって『あやかし』に取り憑く。こうして『けがき』となった『あやかし』は、負の感情に従って人間に悪さを始めるんだ。杞憂きゆうに悪さをしてた『あやかし』も、この『けがき』で間違いない」


「えっ、どうしてそのことを……?」


「それも白蛇の旦那から聞いたんだ。もし『けがき』に困ることがあったら僕の所に来ると良い。――それで、今日は何の用? 今は『けがき』に困ってる風には見えないけど」


「あぁ、それに関しては……」


 かくかくしかじか。

 メロンパン作りに失敗してレシピ本を探している旨を伝えると、貞明ていめいは「アハハ」と軽く笑う。


「料理が得意な訳でもないのに、それは随分な安請け合いをしたね。まぁ琥珀こはくっちの頼みなら断れないか」


「承諾した時は、スマホで調べればいけると思ったんだよ。でも完全に圏外だし」


「あー、写し世うつしよにはキャリアの基地局が無いからね。それは仕方がない。僕のスマホも写し世うつしよじゃほとんどカメラ専用だよ」


貞明ていめい、スマホ持ってるのか? それにキャリアの基地局とか……随分と現世に詳しいんだな」


「勿論。去年まで大学通ってたし、今も買い出しやら何やらでちょくちょく現世に出かけるからね」


 ここで頬杖を止め、「ちょっと待ってて」と席を立った貞明ていめい

 猫背気味な姿勢の為か、杞憂きゆうより少し小柄に見える身体でヒョイヒョイと奥の階段を上り、ゴソゴソと探し物をしている音が響く。

 しばらくしてゴソゴソ音が止んだかと思えば、階段を降りて来る貞明ていめいの手には数冊の本が抱えられていた。


「レシピ本、何冊かあったよ。大学生で一人暮らしを始めた時に、料理も頑張ってみようかと思って買ったやつ。まぁすぐに面倒くさくなって辞めちゃったけどね」


「ちょっと見せて貰っていいか?」


「見せるというか、全部あげるから好きにしていいよ。この“菓子パン100選”ってやつにメロンパンの作り方も載ってるから」


「それはありがたい。でもいいのか? こんな初対面でいきなり……」


「使わない僕が持っててもしょうがないでしょ。代わりに、僕が困ることがあったら杞憂きゆうっちに手伝って貰おうかな」


「あぁ、それは勿論。俺に出来ることなら」


 かくして料理のレシピ本をくれた薬屋:貞明ていめい

 桃色の髪もあってか、杞憂きゆうの第一印象はチャラそうで少し苦手なタイプかと思ったが、喋ってみればそうでもない。

 フランクに話しかけてくれるおかげで、思ったほど苦手な印象は受けなかった――が、これで万事解決となった訳でもない。


貞明ていめい、悪いけどイーストも持ってないか? パンを膨らませるのに必要な、この本にはドライイーストって書いてるけど」


「う~ん、悪いけどそれは持って無いかな。また5日後に現世に行く予定だから、その時でよければ買って来るけど」


「5日後……」


 メロンパンを食べられるのは早くても5日後だと、それを告げることが杞憂きゆう出来るだろうか?


(いやぁ、琥珀こはく君、滅茶苦茶ガッカリするだろうなぁ……)


 一度失敗したメロンパン作りを、「このままでは終わらないだろう?」と杞憂きゆうに続行させる程だ。

 5日も待たせてしまうのは非常に心苦しく、こうなったら現世で買い出しさせて貰えないか、白蛇様に交渉するのも一手ではないかと、杞憂きゆうが本気で思案し始めた――その時。


 貞明ていめいが意外な提案を出す。


「ドライイースト……“草の雫っち”なら、もしかして作れるんじゃない?」

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