10話:絵本のタイトル

 ~ 翌朝 ~


 一晩かけて生み出した「答え」を鞄にしまって、杞憂きゆうは一人で1000階旅館をあとにした。

 晩御飯すら食べさせて貰えない職場に辟易し、逃げる様に現世へと戻る訳ではなく、大事な「答え合わせ」の為に彼は一人出掛けたのだ。


(眩しいな……徹夜明けには辛い)


 目の下にクマを作り、昨日も通った紫陽花通りの小道を歩く。

 木々の葉っぱで早朝の陽光は遮られ、直接的な眩しさは届いていないものの、今日も今日とて紫陽花の葉っぱがキラキラと輝いている。


 必然的に彼の眉間には皺が寄り、眼を細めつつも、感じるのは森からの“視線”。

 まだ『あやかし』も寝ているのか、昨日よりは感じる視線が少ないが、それでも気は抜けないだろう。


 眠気と共に緊張感を持ち。

 朝独特の露っぽい空気の森を進み、途中の分かれ道は昨日と同じように曲がって――しばらくすると、昨日も来た山間の川に到着。


 だいぶ濁りの減った川の流れを眺めていると、揺れる水面からぬっと顔を出す『あやかし』の姿が見えた。


「おや、これは若旦那じゃありませんか。今日はまたどうされました?」


「あー、ちょっとカピの助に渡したい物があるんだ」


「私にですか?」


 愛嬌のあるカピバラの顔で、ポカンとした表情を浮かべるカピの助。

 早朝だとまだまだ冷たそうな川から上がり、ブルルッと身震いで水を飛ばして二本足で近づいて来る。

 その間、杞憂きゆうは鞄から“クリップでまとめた紙の束”を取り出し、それをカピの助に「はい」と渡した。


「よかったら貰ってくれ、というか見てくれ」


「はぁ? まぁ貰えるものは貰いますし、見れと言われれば見ますけども……あ」


 カピの助の動きが止まり、小さな手で紙の束を持つ彼の瞳が見開かれる。

 その瞳に映っていたのは――紙束の一番上に描かれていたのは、人間っぽい黒い影と、小動物っぽい黒い影。

 その上には「     」という“未記入のタイトルスペース”もある。


「コレ、もしかして絵本ですか?」


「あぁ、画用紙に鉛筆でオリジナルの絵本を描いてみた。PCもペンタブも無いから慣れない手書きだし、時間もかけられなかったから雑な絵だけど……」


「なんと、若旦那の手作り? 人間は誰でも絵が描けるのですか?」


「う~ん、そういう訳でもないとは思うけど……コレは上手いとか下手とか、そういうのがあまり無い絵だし。俺はたまたま絵を描くのが趣味だったから」


 ――嘘を吐いた。

 本当は仕事にしたかったけれど、実力不足で仕事に出来なかっただけだ。

 “時間が無かった”という先の言い訳も実力不足の誤魔化しで、時間があったところで満足のいく絵が描けたかどうかはわからない。


 でも、それを言う必要は無いと、恥を晒す必要は無いと杞憂きゆうは言葉を飲み込んだ。

 そんな彼の内心を知る由もなく、カピの助のは爛々らんらんと瞳を輝かせる。


「若旦那が作った絵本……一体どんな内容なのでしょう。見てもよろしいですか?」


「勿論」


 少し気恥しいけれど、幸か不幸か恥を晒すことには慣れている。

 杞憂きゆうが頷き、カピの助がページ(と呼ぶにはお粗末な画用紙)を捲る。

 しばらくはそのページに留まり、そして次のページも熱心に目を通し、「ん?」と何かに気付く。


「コレ、小さな黒い影が無くした宝物を皆で探すお話ですね……もしかして、昨日の私達がモデルですか?」


「あぁ。せっかくだからカピの助を主役にしようと思って」


「なんと、これは照れますねぇ。私が絵本の主役になる日が来るとは……さて、それじゃあ次のお話は――ん?」


 ページを捲ったところで、カピの助が「はて?」と首を捻る。

 その後は小さな手で器用にページをパラパラと捲り、再び最初のページへ。


「若旦那……この絵本、最初の4ページしかお話が描かれてませんけど?」


「あぁ、宝探しの話はその4ページで終わりだ。話の続きは、これからカピの助が体験する出来事を参考にさせて貰おうかなって」


「え? 私の体験談を元に、若旦那が絵本を描いてくれるのですか……?」


「今のところはそのつもりだけど、他の誰が描いても別に良いかなとは思ってる。それこそカピの助が自分で描いてもいいし、別の誰かを話のモデルにしてもいいし」


「ず、随分と自由な絵本ですね」


「あ~……もっとちゃんとした創作物の方がいいか? それならそれで話も考えてみるけど」


 “自由”と言えば聞こえは良いが、裏を返せば“無計画で無責任”。

 人に渡すモノ・人に見せるモノとして、決して褒められたものではないだろう。


 勢いのままに一晩で作るには限界もあり、消去法的にこういう形になった部分は否めない。

 そこを指摘されるのであれば、腐っても絵本の制作者として受け入れる他ないと杞憂きゆうは考えていたが、しかし。

 カピの助は目を閉じ、フルフルと短い首を横に振る。


「いいえ、とても素敵だと思いますよ。先の決まっていない自由な絵本……うん、いいですね。私とても気に入りました」


「そ、そうか。なら良かった」


「はい。私、あの絵本がボロボロになって悲しかったですけど、その悲しみは今も消えないですけど……でも、今はとても嬉しいです」


「そう言って貰えると、俺も嬉しいよ」


 徹夜して描いた甲斐があった。

 今まで描いて来た絵とは全く違うものだけれど、今まで描いて来た漫画では、絵では、こんなに喜んで貰えることは無く、だからこそカピの助が喜んでくれたことが、杞憂きゆうにとっては何よりも嬉しい。


「ところで若旦那、この絵本のタイトルは何でしょう? 何も書かれてませんけど」


「あ~、タイトルはカピの助が決めてくれ。前の人もそうしたみたいだし」


「……いいのですか? 私が決めて」


「勿論」


 杞憂きゆうが頷くと、カピの助はしばらく表紙と睨めっこ。

 その後は空を見上げたり、森を見たり、水面を見た後に、再び表紙に視線を戻す。


「それじゃあ、この絵本のタイトルは――」



 ■



 1000階旅館への帰り道。

 木漏れ日を抜けて届いた陽光を受け、朝露がキラキラと眩く輝く中。

 森に囲まれた紫陽花通りの小道を歩いていると、やはりどうしても気になるのは“周囲の視線”。


(来た時よりも増えてるな……。現世で俺に絡んでくる『あやかし』は夜の方が多かったけど、こっちは写し世こっちは昼型の方が一般的なのか?)


 基本的には警戒心が強く、カピの助みたいに初見でもグイグイくる人懐っこい『あやかし』は稀。

 こちらから手を出さなければ大丈夫だとは聞いているものの、徹夜明けのテンションのままに一人で出掛けたことを少しばかり後悔する。


 相手の神経を逆なでることなく、早々に森を通り抜けよう。

 そう思った杞憂きゆうが早足になったところで――


「おい」


 頭上から声を掛けられた。

 これが見知らぬ『あやかし』であればスルーも1つの選択肢だったが、聞き覚えのある声だった為に、杞憂きゆうは立ち止まって上を見上げる。

 そして、金色の尻尾を揺らしながら木の枝に座っている人物を発見した。


琥珀こはく君……?」

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