9話:千の間

 金色の尻尾を追いかけて。

 風呂上がりの杞憂きゆうが辿り着いたのは、琥珀こはく曰く「千の間」という名の――


「エレベーターホール? ってことは、ここにあるボタンは全部“階層”のボタンか」


 壁に近づいて確認すると、それぞれのボタンに番号が割り当てられていた。

 左下から『1』で始まり、縦に25個並んだボタンが40列で、一番右上には『1000』と描かれたボタンが、つまりは1000個のボタンがある計算となる。

 上の方は杞憂きゆうでもギリギリ届くかどうかといった具合で、小さな琥珀こはくは踏み台を使わないと上のボタンを押すことが出来いだろう。


 壁の中央には「かご」に繋がる扉もあるが、恐らくは手動で開閉するガラスの引き戸で、更には蛇腹式の鉄格子も確認出来た。

 相当な年代物であることが伺えるものの、肝心なことはエレベーターの作られた年代ではなく、ここに連れて来られた理由か。


「もしかして、このエレベーターで1000階まで辿り着けるのか?」


「扉が開いてたらな。これ見ろ」


 スッと、琥珀こはくがボタンの1つを指さす。

 そこには「779」と記されていて、他の多くと同様に淡く光っているものの、その列の上と右側のボタンは光っていない。

 その下と左側のボタンは光っていて、「光っている = 今現在で行ける階層」と考えるなら、「780階」より上はまだ開かれていないらしい。


「客の願いを叶えたら、1000階層へ続く扉が1つ開く。お前が来る前、779階まで光ってた」


「ってことは、既に3/4以上は開かれてるのか。思ったより進んでるんだな」


 この“進んでる”という言い方が合ってるのかどうかはさて置き。

 言った後に杞憂きゆうは「ん?」と首をひねる。


「俺が来る前から779階が光っていて、今も780階は光っていない……それはつまり、俺はカピの助の願いを叶えられてないってことか? 要望通り、探してた絵本を見つけたのに?」


「でも、絵本はボロボロだった」


「確かにそうだけど、アレはどうしようもない。修復のしようがないんだから」


「それでも何とかするのがお前の仕事だ。この1000階旅館は、客をおもてなしする為にある。客の願いを叶えることが、この旅館のおもてなしだ」


「そんなこと言われても……」


「はぁ~」

 大きな溜息を吐き、琥珀こはくは「やれやれ」と肩を竦める。

「お前にはガッカリだぞ。おもてなしが終わるまでご飯抜きな」


「えぇ……」


 堪らず不満げな声を上げるも、琥珀こはくに聞く耳は無いらしい。

 大きな獣耳を器用にペタンと閉じて、彼は杞憂きゆうを残したままエレベーターホール:千の間を後にした。



 ――――――――



(参ったな、一体何をどうしろって言うんだ。あんなボロボロの絵本を修復する技術なんか持ってないぞ? ……腹も減ったし)


 一人、千の間に残された杞憂きゆう

 自宅で朝食を食べて以来何も口にしておらず、鞄に入れていたメロンパンも琥珀こはくに食べられた為、風呂上がりの腹が「ぐぅ~」と空腹を訴える。

 さっさと夕飯にしたいところではあるが、琥珀こはくの「ご飯抜き」を無視していいものかどうか、悩んでいたところで――



 チャイム音ポーン



 ビクッと杞憂きゆうの身体が震える。

 何事かと思えば壁の中央にあるガラス扉が開き、エレベーターの「はこ」から長身のイケオジ:白蛇様が姿を現した。


「おや、杞憂きゆうじゃないか。まだお風呂に入ってるかと思ってたのに、どうして千の間に?」


「さっき琥珀こはくに案内されて、ここの説明を受けていた」


「そうなのかい? 私が説明しようと思ってたんだけど、琥珀こはくのおかげで一つ手間が省けたね。――さて、それじゃあ夕飯にしようか。お腹空いたでしょ?」


「あぁ。でも琥珀こはくが、俺は飯抜きだとさ。まだ仕事が終わってないって」


「あらら、そうなのかい? あの子らしいねぇ。まぁ私は別にどちらでもいいけど、従うかどうかは杞憂きゆうに任せるよ」


 ご飯を食べていいとも、食べては駄目とも白蛇様は言わない。

 子供の戯言だとでも思っているのか、それとも杞憂きゆうの出方を試しているのか。

 単に考えるのが面倒くさいから丸投げしている様にも思えるが、何かを試されている様な気もして、杞憂きゆうは未だ光らない「780階」のボタンをそっと撫でる。


「――俺は、言われた通りカピの助の宝物を見つけた。客の願いは叶えた筈だ。それなのに、何でこのボタンは光らないんだ? 客の願いを叶えたら、次の階層の扉が開くんだろ?」


「さぁ、何でだろうね? それを考えるのも若旦那の仕事なんだけど……でも私は優しいから、ちょっとだけヒントを与えようか」


「ヒント出すくらいなら、答えを教えて欲しいんだけど」


「ん~、それは優しさとは呼ばないよ、少なくとも私の中ではね。そもそもの話、私は全知全能の神でもないし、今回の答えというか正解だって知らない。それでも、答えに近づく方法なら杞憂きゆうに教えられるよ。――聞きたいかい?」


 背を丸め、グイっと顔を近づける白蛇様。

 比較的長身な杞憂きゆうとしては、更に背の高い男性の顔が近づいて来る珍しい光景だ。

 反射的に「うッ」と身構えるも、ここで脚を引いたら何故だか負けな気がして、杞憂きゆうは若干反り気味に「それは?」と聞き返す。


 それから数拍の間を置き、白蛇様は告げた。


「カピの助が本当に大切にしていたモノは何か、それをもう一度よく考えるんだ」



 ■



 ~ 杞憂きゆうの部屋(6畳間の一室)にて ~


 1000階旅館の新しい若旦那こと朝霧あさぎり杞憂きゆうはベッドの上で横になっていた。

 窓の外には月光を背にする竹林が広がり、月明かりの中でザワザワと、落ち着くことも不安になることも出来る音を奏でているが、杞憂きゆうの視線は窓の外ではなく真上。

 その瞳は天井を見つめているようで、しかし実際のところは目に見えない別のモノを見ている――考えている。


(カピの助が望んだ物……だからそれは、流された絵本だろ? それはもう見つけたんだよ)


 既にトリックを知っている手品を、さも「知らなかったでしょ?」みたいなドヤ顔で種明かしされた気分だ。

 期待外れだった白蛇様の言葉に少々腹も立つが、未だ夕飯にあり付けず減ったままの腹を立てたところで事態は何も進展しない。


(これが現世の話なら、同じ本を買って来ればいい。だけどカピの助が大事にしていた本は、写し世うつしよを訪れた人間が描いたオリジナル……同じ物を買って来ることは出来ない)



『カピの助が望んだ物は何か、それをもう一度よく考えるんだ』



 白蛇様が残した言葉が、嫌でも頭の中を過る。

 ヒントらしいヒントには思えず、そもそも白蛇様も正しい対処の仕方はわからないという。


 それなのに、この言葉を残した。

 答えを知らない筈なのに、答えに近づくヒントだと言った。

 その意図は、真意は何処にある?


(確かに、カピの助の絵本はボロボロだった。望みが叶えられていないと、そう言われるのはまぁ仕方がない。けど、だからって俺に何が出来る?)


 絵本の修復?

 そんなことは無理だと、カピの助だってわかっているだろう。

 でも、じゃあ他に何がある? カピの助は何を望んでいる?


(もしかして、何も望んでいないんじゃないか? ……いやいや、だとしたらそもそも話にならないし……ってか、話になるって何だよ?)


 思考は回って堂々巡りどころか、明後日の方向に向かってしまう。

 正解の見えない答えに頭を悩ませる杞憂きゆうだが、それでも彼に出来ることは頭を回すことだけ。


 その後も、彼は一人悶々としたまま思考を続ける。

 夢を諦めるまで、絶望するまでそうしていた様に。

 この写し世うつしよに場所を変えても、彼は変わらず暗闇の中で悶々と戦い続けた。



 ――――――――

 ――――

 ――

 ―



 ~ 数時間後 ~


 とばりの降りた夜も更け。

 窓の外に見える竹林の背後が僅かに白みを帯びて来た時間帯。

 延々と思考を回していた杞憂きゆうがゆっくりとベッドから起き上がる。


「――よし、やるか」

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