6話:カピの助が無くした宝物

(カピバラが喋った……)


 朝霧あさぎり杞憂きゆうが驚愕するのも無理もない。

 1000階旅館を訪れた客は二本足で立つカピバラで、その上「あ、どうも~」と人の言葉を発したのだ。


 受け入れ難い現実を受け入れるのに時間を要する杞憂きゆうを無視し、彼の後ろから白蛇様がぬっと顔を出す。


「おや、“カピのすけ”じゃないか。久しぶりだね」


「あ、白蛇様お久しぶりです。旅館に新しい若旦那が来たと噂を聞きつけまして」


「随分と情報が早いねぇ。タイミング的には“薬屋さん”経由かな?」


「えぇ、先程あの方から話を聞きましてね。これは顔を見ておかねばと挨拶に来た次第です」


「あはは。そんなに急がなくても杞憂きゆうは逃げないよ」


 さも当然と呑気に会話を続ける白蛇様。

 隣の琥珀こはくも平然としているが、流石に杞憂きゆう的にはスルー出来ない案件か。


「おい、ちょっと待ってくれよ。どうして普通にカピバラが喋ってるんだ? もしかしてコイツも『あやかし』か?」


「もしかしなくてもカピの助は『あやかし』だよ。っていうか、杞憂きゆうみたいな一部の例外を除いて、この写し世うつしよに居るのはほとんど『あやかし』だ」


「マジか……。『あやかし』って、もっと怖いものだと思ってたんだけど」


 幼少の頃から絡まれ、自分の周囲を不幸にしていた存在――それが杞憂きゆうにとっての『あやかし』。

 いわゆる「動物霊」や「妖怪」と言われる類の存在が杞憂きゆうにとっての『あやかし』であり、その姿形も一目で畏怖を覚える“おどろおどろしい見た目”をしているモノばかりだった。

 白蛇様の“巨大な蛇の姿”なんか良い例で、アレを見て畏怖を抱かない方がおかしいだろう。


 しかし。

 今現在目の前に居るのは、何処かのほほんとした愛嬌ある面構えのカピバラ。

 ずんぐりむっくりな体型なのに2本足で立っているせいか、かなりひょうきんな印象を受ける。


「……カピの助、とか言ったか。アンタも人間に化けれるのか?」


「まさか。そんな高度な術を使えるのは、白蛇様みたいな一部の『あやかし』だけですよ。私の様な普通の『あやかし』にそこまでの力はありません」


「ってことは、人間に化けてる琥珀こはく君も結構凄い『あやかし』なのか?」


 視線を隣の少し下へ。

 つまらなそうに話を聞いていた狐の美少年に向けると、彼は「やれやれ」と肩を竦める。


「何言ってるんだお前、ボクは別に化けてないぞ」


「へ?」


琥珀こはくはちょっと特殊でね。言ってしまうと人間と『あやかし』のハーフなんだ」


 この白蛇様の補足に「えぇ……」と戸惑う杞憂きゆう

 先程から戸惑ってばかりで頭を抱えたくもなるが、それを見越してか白蛇様がポンと杞憂きゆうの肩を叩く。


「一言に『あやかし』と言っても、その生まれや成り立ちは千差万別だ。あらゆる怪異的な存在を、一括りにまとめて私達は『あやかし』と呼んでいる。杞憂きゆうを困らせていた厄介な『あやかし』がいたのも事実だけど、そういう輩はほんの一部に過ぎないんだよ」


「そう、だったのか……」


「まぁ写し世うつしよには来たばかりだし、『あやかし』への理解は少しづつ深めていけばいいさ。それよりほら、今は若旦那としての仕事をしないと」


「仕事?」


 一瞬、現世でのバイトを思い出した杞憂きゆうだったが、よくよく思い返さなくてもバイト先にカピバラは居ない。

 それで何とか自分の立ち位置を思い出し、杞憂きゆうは腰を落としてカピの助に目線を合わせる。


「何か困ってる事とか、俺にやって欲しい事はあるか? 客の願いを叶えるのが俺の仕事なんだけど」


「いえいえ、今日は挨拶に来ただけですし、若旦那の顔が見れて満足です。何が困り事があったら改めてその時にお伺いを……あっ」

 大きな2本の前歯をむき出しにして、カピの助が短い手を「パシッ」と合わせる。

「そう言えばありました。実は先日、大雨で家が流されてしまいまして」


「家が流された? それは大変じゃないか」


「そうなんですよ。まぁ家と言っても、枯れ葉で作ったベッドがあっただけですけどね。だからそれは作り直せばいいのですが、家と一緒に、私が大事にしていた宝物まで一緒に流されてしまいまして……。よろしければ一緒に探して貰えませんか?」


「なんだ、それくらいならお安い御用――って、いいんだよな?」


 1人で安請け合いをしようとして不安になった杞憂きゆう

 すぐに白蛇様へ確認を取ったものの、彼は頷くことも首を振ることもしない。


「依頼を受けるか受けないか、それを決めるのも杞憂きゆうの仕事だよ」



 ■



 ~ 森の小道:紫陽花あじさい通り ~


 駅前から1000階旅館を繋ぐ、新緑が眩い森の小道。

 葉っぱに付いた水滴がキラキラと輝く紫陽花を眺めながら、彼は琥珀こはくと共にカピの助の後を歩いていた。

 二本足で立ってもカピの助は小柄なので、必然的にその歩みはゆっくり目。

 美しい紫陽花を堪能するにはピッタリだが、それよりも気になるのは全方位から感じる“妙な視線”か。


「――琥珀こはく君、この森って結構『あやかし』が居る? さっきから視線を感じるんだけど……」


「おう、沢山居るぞ。知らない人間が来たから、皆お前を警戒してるな」


「だよね……俺がこの森を歩いて大丈夫かな?」


「問題ない、お前が変なことしなきゃな。臆病な『あやかし』も多いんだ」


「そうなんだ? でも、俺達だけで大丈夫かなぁ……」


 見えない視線が不安を助長させるのか。

 初めての土地で心が落ち着かない杞憂きゆうだが、一番頼りになりそうな白蛇様の姿はここにない。



『私は久々の遠出で疲れたし、杞憂きゆうの仕事だから手は出さないよ。琥珀こはくと一緒に頑張ってね』



 そう言い残し、白蛇様は1000階旅館に残ったのだ。

 仕事初日で随分と手薄いサポート体制に思えるが、琥珀こはくが付いて来てくれただけマシだと思う他ないだろう。


 それからしばらく。

 姿を見せない『あやかし』達の視線を感じつつも道を進むと、水のせせらぎが聞こえて来た。

 木々で隠れていた前方の視界も徐々に開け、森を抜けた3人(?)が開けた空間に出ると――


「着きましたよ。ここが私の棲み処です」


 カピの助が立ち止まったのは、川幅5メートル程の茶色に濁った川の前。

 あちらこちらで岩に引っ掛かった流木が散見され、川辺に茂っている背の高いあしも、下流に向かって大きく傾いている。

 かなりの大雨に見舞われた事は容易に想像がつき、今でこそ水流は落ち着いているものの、濁りのせいか川底は見えない。


 一転して森の美しさとはかけ離れた光景を前に、杞憂きゆうはゴクリと唾をのむ。


「川が氾濫したのか。自然のことだから仕方ないけど……大雨が降ったのは何日前だ?」


「え~っと、確か4日前でしたかね。降った直後はかなり増水していたのですが、今は大分落ち着いてきました。ちなみに私の家はここにあったんですよ」


 そう言ってカピの助が指差したのは、大きく倒れたあしの上。

 濁流の爪痕であってどう見ても家には見えないが、このあしの群生地の中に枯葉を敷き詰め「ベッド = 家」にしていたらしい。


「あらら、こりゃまた跡形もなく……家が流されてから、カピの助は何処で寝てたんだ?」


「その辺の草むらで寝てました。私、枕が変わっても全然寝れるタイプなので」


「そ、そうなのか……それで、流された宝物って何だ?」


「絵本です」


「……はい?」


「流されたのは、私が大切にしていた絵本です」

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