4話:『1000階旅館:よろず荘』

 森を抜けた先で、朝霧あさぎり杞憂きゆうは呆然と見上げる。


 『1000階旅館:よろず荘』


 雲まで届く旅館の看板には、流れる様な字体でそう記されていた。

 看板自体は古そうに見えるものの、文字に「算用数字」が使われているのがこれまた珍妙に見える。


「凄いな……上が全く見えないぞ」


「当たり前だ、1000階もあるんだからな。それよりこっちに来い。白蛇様が待ってる」


 狐の美少年:琥珀こはくが、華奢な腕で「こっちこっち」と手招き。

 彼の狐耳と尻尾も相まって、狐に化かされている感がしなくもないが……ここまで来たら覚悟を決めるしかない。

 意を決し、杞憂きゆうは彼に続いて歩を進める。


 正面玄関はりガラスの引き戸。

 慣れた手つきで琥珀こはくが開けて、その奥で二重ドアになっていた引き戸も開け――ここで杞憂きゆうの目が奪われる。

 無論、実際に目玉を奪われたわけではなく、目の前の光景に言葉を失ったのだ。


(……美しい)


 咄嗟に出る言葉はそれしかない。

 扉の奥:ロビーの先は、回廊に囲まれた中庭が広がっていた。

 中央に池を有する手入れの行き届いた日本庭園で、一面が苔に覆われているところを見ると、いわゆる「苔庭」の類だろう。

 それ以上の詳しい様式まではわからないが、飛び石や松の木など、現代日本人の多くがイメージする日本庭園がそこにはあった。


 しかも天井は吹き抜けなのか、更に言えば「外の天気と違う」のか。

 中庭の真上から優しい陽射しが注ぐと共に、シトシトと小雨が降り注いでいる。


「は~、随分と素敵な中庭だな。苔がキラキラと輝いて見えるけど……雨が降ってるのはどういう訳だ?」



『それには私が答えようか』



「うおッ!?」


 振り向くと、巨大な白蛇の顔があった。

 初見ではなく本日二度目の出来事だが、丸飲みにされそうなレベルで巨大な白蛇の顔を間近に見るのは、二度目だとしても中々にインパクトがある。


「白蛇様か、吃驚させんなよ」


『そちらが勝手に吃驚しただけだろう? 私は杞憂きゆうを脅かすつもりは無いよ。まぁ揶揄からかうつもりならあったけど』


「……真面目に話す気が無いなら、俺は帰るぞ」


『まぁ待ちなさい――と言うより、杞憂きゆうは本当に帰りたいのかい?」


「当たり前だろ」


『本当に?』


 ジロリと、蛇の目玉が杞憂きゆうを“見据える”。

 決して睨まれた訳ではなく、心の奥を見透かすように、ただただ蛇の目玉がジッと見つめて来る。

 蛇に睨まれた蛙でもないのに、杞憂きゆうは自然と一歩下がった。


「……どういう意味だ? いきなりこんな場所に連れて来られて、帰りたくない訳がないだろ」


『そういう風に、キミは自分に言い聞かせているだけだろう? それじゃあ聞くけど、現世に戻って杞憂きゆうは何をするんだい? 電車の中で“死にたい”と、そう絶望していたじゃないか』


「それは……別に本気で言った訳じゃないし、そもそも俺はバイトに行く途中だ」


『そのバイトは、杞憂きゆうが本当にやりたいことなのかい?』


「まさか、そんな訳ないだろ。生活費を稼ぐ為にやってるだけだ。……でも、働くってのはそういうことだろ? 生きる為には金が要るからしょうがない」


『そうかい。なら、今すぐ帰っても構わないよ』


「……え?」


『帰りたいんだろう? 来た道を戻って、乗って来た列車に乗れば現世に帰れるよ。何を失うこともない。今まで通りの生活にキミは帰れる。この私が保証しよう。――さぁ、今すぐ帰りたまえ」


「………………」


 杞憂きゆうは戸惑った。

 今すぐ帰れと言われ、それに“迷ってしまった”自分に戸惑ったのだ。


(俺は、何に迷ってるんだ……? 『あやかし』と関わって良いことなんか何もなかったじゃないか……)



 ――――――――

 ――――

 ――

 ―



 思い出されるのは『あやかし』と共にあった苦い記憶。


 杞憂きゆうが「見える」体質だった為に、幼い頃から、彼の近くには常に『あやかし』が付きまとった。

 害の無い『あやかし』も居ない訳ではなかったが、中には人間に悪さをする『あやかし』もいて、必然的に彼の周囲では不幸が多発。


 やがて、いつも不幸の近くにいた杞憂きゆうが、周囲の人間から忌み嫌われるのも必然。

 彼は自然と周囲から孤立し、両親からも距離を置かれるようになる。


 そんな生活の中で、唯一の救いが「漫画」。

 一人で誰にも邪魔されず、『あやかし』を忘れて没頭出来る空想の世界が、彼にとって唯一の救いだった。


 そして高校を卒業すると同時に、地元と両親から逃げる様に上京。

 孤独の中で唯一の救いだった漫画に憧れ、一念発起して漫画家を目指し――挫折。



 ―

 ――

 ――――

 ――――――――



 かくして、朝霧あさぎり杞憂きゆうは“今”に至る。


(俺は、帰るべきなのか……?)


 少なくとも、ここで引き返せばこれ以上の面倒事に巻き込まれることはない。


 言葉には「力」がある。

 白蛇様が「帰っていい」と言葉にした以上、杞憂きゆうが帰ろうと思えば本当に帰れるだろう。


 未だ『あやかし』が見える体質は変わらないけれど、それでも“見えない振り”をするスキルは身につけた。

 大抵の『あやかし』は見えない人間には寄って来ない為、そこさえ気を付ければ人並みの生活も普通に送れる。

 今ここで帰れば、確実に元の生活に戻れる筈だ。


 これまで通りの、夢を諦めた絶望の世界に――



「おい」



 ぐいッと、急に袖を引っ張られ、ハッと我に返る杞憂きゆう

 視線を落とすと、袖を引っ張ったままこちらを見上げる狐の美少年の顔。

 その宝石の様な瞳は、何処か物寂し気な雰囲気を纏っているように見えた。


「“さっきのやつ”、作らないのか?」


「……そう、だったね」


 ここが人生の分岐点。

 琥珀こはくの美しい瞳に見つめられたことが、琥珀こはくの願いを無視出来なかったことが、朝霧あさぎり杞憂きゆうという青年の、その後の人生を大きく決定付ける。


(別に『あやかし』と関わりたい訳じゃない。むしろ可能な限り関わりたくはなかった……。でも、元の生活に戻ったところで、つまらない日々を繰り返すだけだ)


 地元から逃げ、心機一転始まった東京での生活は既に夢破れた。

 漫画の面白さを享受することは出来ても、その面白さを生み出す人間にはなれなかった。


 そんな夢追い人としての絶望が、そのまま己が人生の絶望に変わった――そう思っていた。


 しかし、本当にそうなのだろうか?

 朝霧あさぎり杞憂きゆうという青年の人生は、本当に絶望しかないのだろうか?


(……馬鹿か俺は、いくら何でも自分に酔い過ぎだろ。自分の人生なんて自分でどうにでも出来る)


 恐らく、杞憂きゆうは待っていたのだ。

 己の人生を変える“何か”を。

 残念ながら自分では見つけることが出来なかったけれど、その待っていた“何か”が『あやかし』としてやって来た。


 であれば、ここで帰るべきかどうかは迷うまでもない。。

 彼は「ふぅ~」と長い息を吐き、それから改めて白蛇様を見据える。


「――俺は、この旅館で何をすればいい?」


 杞憂きゆうの問いに、白蛇様は満足気に口角を上げた。



 ――――――――――――――――

◆あとがき

ここまでお付き合い頂きありがとうございます。

続きに期待と思って頂けたら、本作の「フォロー」や「☆☆☆評価」を宜しくお願いします。

お時間ある方は筆者別作品「■黒ヘビ(ダークファンタジー*挿絵あり)/🌏異世界アップデート(純愛物*挿絵あり)/🍓ロリ巨乳の幼馴染み(ハーレム+百合*挿絵あり)」も是非。

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