第18話 ニセモノ


「ただいまー」


『冬理! 待ちわびていたぞ! 早く、おやつを!』


 僕が玄関の扉をあけ、家の中に入るなり、ココアが飛び出してきた。


 そんなにおやつを食べたいのか……。


 僕は、苦笑いを浮かべる。


 と、同時に――。


「お邪魔しますー」


 ニコニコと笑顔を浮かべて、客人が家の中に入ってきた。


 瞬間――。


 ココアが余程の衝撃を受けたのか、目を大きく見開き、大袈裟に後ずさった。


『ぎゃっ……!? ぼ、ボス……!? ボスがどうしてここに!?』


 僕は、思った以上のココアのリアクションにくすり、と笑ってしまった。


「どうしても、こうしても! あなたがいつまでも帰ってこないから心配になって迎えに来たのです! 全く! あなたという猫は」


 本当に困りますわあ、とでも言いたげな様子でセツナが頭を抱えながら言う。


『その、ボスがカンカンに怒っていたから、帰るのが怖くて……』


 ココアがチラチラとセツナの顔色を覗う。


 よく本人の前で怖いとかそんなことが言えるなあ、と僕は、ココアの図太さに感心した。


「そりゃ怒りますよ! 任務を与えてから一週間……いえ、もう二週間になろうとしているのに報告の一つもない! いえ、あったといえばありましたが、あんなテキトーな仕事が認められるわけがないでしょう! 一体、ここで何をしていたのですか!」


 ココアに一歩詰め寄るセツナ。


『えっと……猫らしい生活といいますか……。あ……いえ、任務のことを忘れていたわけではなくてですね……』


 ココアがセツナに詰め寄られ、目を回しながら言った。


「絶対に忘れていたでしょう!」


 だんだん、とセツナの説教に熱が入ってきたため、僕は、先ほどから気になっていることについて考えを巡らせることにした。


 任務。


 おそらく、僕は、今、ココアが与えられたという任務について考えるべきだろう。


 ココアの任務ねえ。


 そういえば、ココアに初めて会った日にそんな話を少し聞いた気がする。


 確か、僕と渋谷さんの様子を見に来た、とかそんな話だったはずだ。


 普通に見たままを報告すれば、よかったのではないか、と思ったが、セツナに必死に弁明するココアの様子を見る限り、そんな単純な話でもないらしい。


 僕は、セツナがココアに与えたという任務がどういったものか気になり始めた。


 セツナとココアの方を見やる。


「だいたいですね、あなたが最初からずさんな仕事をしていなければよかったんですよ!」


『それを言うならボスだってこの前!』


「それは、言わないでください! わたくしだってミスはします!」


『神様のくせに!』


 ……。


 二人の口論は、まだまだ終わりそうにない。


 猫耳少女と人間の言葉を話す猫の組み合わせをどう表現したらいいか、微妙なところだが、とりあえず人間の言葉を話すということで二人ってことで。


 というか、ココア、セツナが怒っているから家に泊めてほしいとか言っていた割には、かなり嚙みつくじゃん……。


 これだったら、家に泊めていた意味なんてないのでは? と思った。


 が、ココアのことだから、どうせ仕事をサボりたかったんだろうなあ。


 僕は、そう推測した。


「青山様。少し場所を移して、ココアとお話してもよろしいですか?」


「あ、はい。どうぞ」


 僕がそう言うと、ココアが宙に浮いた。


 おそらく、セツナの力だろう。


 これって、もしかしなくても、サイコキネシス的なやつじゃ……?


 僕が、非現実的な光景を前に呆気に取られていると――、


『とぉぉぉりぃぃぃぃ』


 ココアが僕に縋るような視線を送ってきていた。


 気持ちは、わかるけれども、僕には、どうしようもない。


 そのため、曖昧に手を振っておいた。


「ココア。うるさいですよ。私たちの声は、青山様にしか聞こえないとはいえ、迷惑ですよ」


 セツナは、そう言いながら、手を触れずに玄関の扉を開けた。


『うぅぅぅぅ……』


 ココアは、扉が閉まる最後の瞬間まで瞳を涙で潤わせ、僕を見ていた。


***


 それから約十分後――。


 ようやく、セツナとココアによる口論が終わったらしく家の前まで帰ってきたので、僕は、二人をリビングに案内した。


 ココアは、未だに涙目だった。


「お見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした」


 セツナは、床に両手をつき、丁寧な所作で頭を下げた。


 ぴこぴこ、と猫耳が動くのが目に入る。


 うーん……。なんだかなあ……。


「あ、いえいえ……。そんな……頭を上げてください……」


 見た目は明らかに小学校低学年くらいの猫耳少女に土下座をされ、僕は、罪悪感に苛まれた。


 先ほどの口論中に、ココアが『神様のくせに!』とか言っていたことから、セツナが神様であることは確定。


 そういうことは、ちゃんと最初の自己紹介で言ってほしかった。


 神様ってこう、もっと、威厳のある髭を生やした男性だったりするイメージがあるから、まさか、こんな猫耳少女が神様だ、なんて誰が思うだろうか。


 結構、馴れ馴れしくしちゃってた気がするんだけど……。


 僕の方こそ、頭を下げるべきなのではないか、と思えてきた。


「あ、青山様は、頭なんて下げなくて大丈夫ですよ」


 セツナが頭を上げながら言った。


 今、僕のことを見ないで、言ったよね……?


 頭を上げながら言っているのだし、そういうことになる。


 まあ、サイコキネシスみたいな能力を使えるのだし、人間の思考を読み取るくらい造作もないのだろう。そう思えば、納得いく。


 もう一々、気にしたらダメな気がしてきた。


 僕は、今までに何度か同じようなことを思ったような気がしてならないが、もう気にしない、と決心した。


 と、同時に――。


 僕の考え事が終わったのを見計らったのか、セツナが再び口を開いた。


「改めてですが、今回の件で悪いのは、わたくしたちですから青山様が謝る必要なんて一ミリもありません」


 わたくし……?


 僕がそう疑問に思うと、ココアが決まりが悪そうな表情で俯いていた。


『冬理……。お主には、本当に悪いことをした……。まさか、こんなことになっているとは、思わなかったのじゃ……。本当にすまない……』


「えっと、それって、その、セツナさんがココアに与えた任務に関連してるの……?」


 僕は、ココアに訊ねる。あの図太いココアが、こうも改まって言うのだ。余程のことなのだろう。


「それは、わたくしが説明いたします」


 セツナが割って入ってきた。


『お手数ですが、ボス。お願いします』


 ココアは、先ほどまでのとても上司(神様)に向けるとは思えない態度が嘘みたいに、頭を下げ、言った。


「単刀直入に、結果から申しますとですね、青山様。こちらで手違いがありました」


「手違い……?」


 僕は、セツナの言った手違いがどういったものなのか想像もつかなかったため、その言葉を繰り返した。


「ええ……。あなたの前に前世の婚約者を名乗る人物が現れませんでしたか……?」


 渋谷さんのことだ。


「はい。現れましたが」


「実は、そのことで手違いがありまして」


 は?


 え?


 嫌な予感がして頭がずきずきし始め、全身の筋肉が強張る。


「えっと、それって……? どういう……?」


 具体的に何が怖いのか、どんな手違いだったのか、わからない。


 けれども。


 僕の声は震えた。


 こういうとき、だいたい嫌なことが起きるんだ。


 僕は、今までの人生で経験したこと。


 例えば、父親の死を母親に告げられたときのこと。


 父親の死を知った瞬間、何も考えられなくなったことを思い出した。


 なぜかは、わからないけれども、今、僕はそのことを思い出した――。


 一秒がとてつもなく長い時間に感じられる。


 ぴくりぴくり、と腕が痙攣する。


 そして、決定的な一言が僕に告げられた――。







「あなたは、彼女の前世の婚約者などではないのです」


 

 




 



 頭が真っ白になった。





 



 

 わたくしどもの不手際で大変、誠に申し訳ございませんでした。


 そう言って、頭を再び床にこすりつけるセツナの声も。


 本当にすまない。


 と、セツナと同様に頭を下げるココアの声も。


 ――遠くに聞こえた。

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前世の婚約は今世でも有効ですか? しろがね @drowsysleepy

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