第7話 疑念と視線

 ジェリアに案内された小屋は、外観こそ普通の樵小屋だが、扉を開けた瞬間、只事ではない空気を感じた。

 鼻腔をくすぐる薬品の臭い。ベルサリーナが調合するものとは異なる、純粋な魔法薬独特の刺激臭だ。物にもよるが、魔法薬の多くは化学的に酸性を示し、臭いの強いものが多い。特に、人間が服用する目的でないものは顕著だ。

 顔をしかめるヴィクターに、ジェリアが悪戯っぽく笑いかける。


「嫌そうな顔だね。仕方ないか、慣れないとどうもね」

「連れに魔法薬が必要なやつがいないもので」


 魔法薬の主な用途は、強力な魔法を発動する際の触媒である。人間の器で発揮できる魔力などたかが知れている。どれほど才能に恵まれた器でも、その魔力を小出しにしかできなければ宝の持ち腐れである。どうにか強力な魔法を行使できないかと、人間は知恵を絞りつくした。

 魔法の杖を生み出したのは、およそ二千年前の伝説的魔導士ゼッペル・キースリッカだ。杖は、魔力の増幅回路である。ゼッペルは、世界樹の守り手であるシルフ族が、世界樹の枝を通してその小さな体から強烈な魔法を弾き出す姿を見て、着想を得たらしい。キースリッカの血統は軈て分裂し、その片割れがキャンピサーノである。

 そしてまた、魔法薬も特定の魔法を行使する際、より少ない魔力で行使できるように配合された薬だ。

 他にも、魔導書を用いてその文字を辿ることで、強力な魔法を放つこともできる。エスターテは、杖と魔導書を用いる。魔法薬は絶対に使わない。『魔法薬を用いると服に臭いが移るから嫌ですわ』とのこと。ヴィクターとしても、出費が抑えられて有難い限りだ。

 逆に、強力な魔法を必要としない場合、魔法薬は必要とされない。もしかしたらベルサリーナの調合素材として必要になる場合もあるかもしれないが、その都度どこぞで買い求めることになるだろう。旅路に不可欠なのであれば、厳正な審査のうえ購入を認めるつもりだ。

 襲い掛かってきたのは臭いだけではない。視覚的要素も刺激抜群だ。

 天井一面を覆うほどの巨大な蜘蛛が太い釘で打ち付けられている。


「アラクネの幼体の標本だね。あれが成長すると、熊を丸のみにする獣罠じゅうびん蜘蛛になるってわけだ」

「標本ってよりは磔刑ですね」

「ちなみにまだ生きてるよ。アラクネは身体の損傷じゃ死なないからね。今は腹部を刺して、動きを封じてるだけ」

「じゃあ、釘を抜いたら」

「辺り一面粘糸で絡め取られて二人共仲良く餌になるだろうね」

「物騒なところですね」

「はは、楽しんでいるようでなにより。ついてきて」


 おっかなびっくり蜘蛛の下を通って奥の部屋へ。部屋の一角に、キノコの苗床があった。

 

「松林はキノコに汚染されてしまった。だけどね、近隣の村の樹々や西の山林には全く被害が出ていない。つまり、このキノコはこの松にしか寄生しないってことだよ」


 そう言って、豊かな胸元からカプセルを取り出すと、蓋を開けて青い霧とともに中からキノコ塗れの手袋を取り出す。キノコは人の鼻くらいの大きさで、五指を埋め尽くすようにびっしり生育している。


「この手袋は、松の木の皮の繊維で作ったもの。特殊加工で、繊維の細胞は死んじゃいない。そして、このカプセルの青い霧は植物の生育に必要な養分が含まれているんだ。加えて、このカプセルの中は時間が百倍の速度で流れていてね。キノコの菌糸を付着させて二日もぶち込んだらこの大きさだ」

「二日で、ですか」

「そう。明らかにおかしいんだよ」


 二日の二百倍、つまり二千日かけても、この程度の大きさにしかならない。しかし、バルティの松林は、たしか……。


「あの森は、一夜であんな姿になり果てた。明らかに異常なんだ」

「それは、そうですね」


 ヴィクターも同意する。

 加えて、バルティの松にしか寄生できないキノコ。これもまた、自然発生したとは思えない。特定の種にしか寄生できない菌類を偏向菌と呼ぶが、それらは火山帯や砂漠など、過酷な環境を生き抜くために体質を変化させた結果である。このような住みよい地域で、異常な進化が起きるとは考えにくい。

 

「つまり、自然的な事象じゃなくて、何者かの手によって松林の免疫が異常に低下した、ってことになりますか」

「そうだね。そう考えている。そう考えれば、ひとつだけ思い当たる節がある」

「聞かせてください」

「この森に魔物がいないのは気づいただろう? あれはバルティパインの町のやつらが呼ぶところの『神木』の効能だそうでね。私は町の人間じゃないから、神木に近づいたことはない。嫌がられるからね。私としても町のやつらに嫌われたくはないから、不思議なもんだって済ませてた」


 その神木にもし、何らかの非常事態があったとすれば。

 しかし、この仮説が正しいとなれば、ひとつ新たな問題が浮上する。

 神木は、その神聖な力によって魔物を受け付けないらしい。もし、四天王の尖兵が神木に工作を仕掛けようとしても、近づくことさえできないはずなのだ。もし、神木の力に打ち勝てるほどの邪悪な存在が訪れたなら、ジェリアにも感知できたはずだとのたまう。宮廷大学に勤めていた高名な魔女の言うことに誇張はあるまい。

 となると、神木とやらの力を失わせたのは、魔物ではない存在。

 そしてまた、神木の存在は基本的に伏せられている。町の衆も、噂になって観光客に松林を荒されたら面倒だからと、広めるような真似をしない。つまり、神木に工作を仕掛けるという案を思いつけるのは町の住民……ということになる。

 ヴィクターが、思わず唸った。


「でも、林業で成る町の住民が、貴重な財源を破壊しようなんて……いやむしろ、町に恨みを抱いている者を探せばいいのか」

「そういうことだね。でも、私はこの通り、怪しさ満点の風体でさ。バルティパインの町長とは親しくさせてもらってるから、普通に生活する分には支障ないんだけど……やっぱり、奇怪な魔女って白眼視するやつらもいてさ。思うように情報集めとかできないんだよ」


 ジェリアはヴィクターをひたと直視した。

 窓から風が吹き込んで、薬品の臭いが一瞬薄くなる。三角帽の鈴が軽やかに鳴った。


「勇者様に伝えてくれないかな。もし、この町を救ってくださるというなら……これを町長に見せてほしい」


 そう言って、一冊の本を渡された。魔導書ではない。何かの日記のようだ。


「おっと、読まないで。それを町長に渡してくれれば、色々協力してくれると思う」

「ありがとうございます」

「礼はいずれ、こっちから言えることを願うよ。よそ者とはいえ、この森は私の臨終の地って決めたところだ。先に死なれちゃ、寂しいよ」

「……きっと、生き返らせますよ」

「そうかい? 見かけによらず頼もしいことを言うじゃない」

「僕は何もしませんけどね。あいつ……勇者さまなら、何がなんでも助けるはずです」


 ヴィクターは、小屋を後にした。退去間際、天井のアラクネがギョロリと赤い複眼を向けて威嚇した。

 ジェリアは森を再生させるための研究を続けるつもりらしい。




 エスターテは憤慨していた。こんな経験は初めてだった。いや、腹を立てるのは初めてではない。むしろ日常茶飯事だ。腹が減るのと同じくらい、腹を立てる日々だ。

 だが、仮にも勇者とその連れに対して、町長の対応はあまりにひどかった。三時間も待合室に放置された挙句、げっそりと痩せた白髪の中年が蹌踉と現れて、ようやく話を聞けると思ったらなにやら緊急の商談が入ったとかでまた後日に改めて、と追い出されてしまった。


「また後日? わたくしたちの対応よりも商談を優先させるのですかあの凡愚は!」

「まあまあ、抑えて。主要産業が絶えて切羽詰まってるんだ、仕方ない」

「それをわたくしたちがどうにかして差し上げようとわざわざ足を運んだのにこの仕打ちですのよ⁉ 勇者様、このように愚かな町は早々に見捨てて旅を続けるのが賢明ですわ」

「そうはいかない。どんな困難を前にしたとて、誰をも見捨てはしないんだ。それが勇者だからな」

「……」


 真顔で言い切られると、返す言葉もない。

 どうにか感情を鎮めて、熱を抑えた声音で言う。


「とはいえ、今のままでは話を聞いてもらえそうもありませんわ。それに、この町は新しい産業を打ち立てることに夢中で、松林を復活させることなど考えていない様子ですわ」

「そうだな……」

「この方針のままで、復興が成るとは思えません」


 エスターテは若き大魔導士であり、貴族の姫であると同時に、商才に優れた人物でもある。父親の教育方針で、魔法の素養だけでなく商売の基礎も叩き込まれた。貴族の癖に吝嗇で神経質な父のことは大嫌いだが、教わったことは案外役に立つことが多い。


(そういえば、お父様とあの男は、どこか少し似ているのですよね……嫌なところだけですけれど)


 そんなことを考えつつ、宿の前まで戻ってきてしまった。

 ロビーでアネッサとリチャードが寛いでいる。


「おっ、勇者サマのお帰りか!」


 アネッサが大きな声で呼びかけた。蓑虫組に聞き込みに向かっていたはずだ。


「こっちは収穫なしだな。蓑虫組は、この猛暑の原因を何とかするためにほとんどが遠征しててよお」


 今朝からの猛暑は魔物が原因らしく、蓑虫組のうち腕の立つ者はその討伐に向かったという。討伐に成功すれば、領主から恩賞がもらえるはずだ。それをバルティパインの復興資金の足しにしようと考えたらしい。


「そうか……俺たちも、捗らなくてな。結局町長とはまともに話せずじまいだった」

「……」


 リチャードも、何をしていたのかわからないが、言いたいことはなさそうである。

 突如、背に視線を感じて、アルフォンスが宿の玄関を振り向く。

 同じく異変を察したステラも暗器に手をかけていた。気配は完全に消している。


「……消えた」


 ステラが呟く。

 異質な視線だった。敵意ともまた違う、警戒するような視線だ。

 妙な雰囲気を漂わせたまま、残りの四人の報告を待った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勇者一行の金庫番 大魔王ダリア @mithuki223

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ