第6話 キノコと魔女

 それは、目を疑うほど奇形的な光景であった。

 一つの木から、枝葉のよに大小さまざまのキノコが生えている。赤色と緑色が基調で、小さい物は小指程度、大きい物になると腰かけられるくらいに巨大な笠を持っている。

 毒々しい様子にベルサリーナは絶句したが、すぐに一つのキノコに近づいて丹念に調べはじめた。


「ベル様! 触っても大丈夫なんですか」

「問題ないわよ。手袋してるし、胞子に毒があればちょっと風が吹くだけで町の人は全滅してるわ。びくびくしてないでこっち来なさい」

「うう」


 カロイは仕方なく、見るだけで奇妙な感覚を催す樹群に近づく。

 赤いキノコも緑色のキノコも、笠の形状や模様から同種ないし極めて近縁の種だと判断した。


「キノコは普通、木と共生するか倒木に寄生するかよね……生きた木に寄生して枯らすなんて聞いたことないわ。どう?」

「オイラもです。もしかしたら、ただのキノコじゃなくて魔物が関係してるかもですね」

「そうね。このあたりでは特に脅威的な魔物が発生する様子がないけど……だからこそ、こういう陰湿な類の魔物が暗躍する余地があるかもね」


 ベルサリーナはひとつの仮説を立てた。魔物の仕業なら、まずは見つけ出して討伐しなければなるまい。その上で、町を救う方法を見つけなければならないだろう。


 (そこまで面倒見る義理はないと思うんだけどね……勇者さまなら何がなんでも助けるって言うんだろうなぁ)


 ベルサリーナとしても、相手が人間ではない植物とはいえ、原因不明の病に苦しみ死に絶える生物があると思えば、薬師として対処法を確立し、さらなる被害を抑えたいという思いがある。


「とりあえず、症状の確認はこの程度でいいわね。次は、そうね……松林に出入りしていた樵夫の話を聞きたいわね」


 病を探るためには、症状がいかに進行していったか、つぶさに知る必要がある。もしかしたら、キノコが寄生する前に兆候のようなものが見えたかも知れない。

 カロイが小刀を取り出して、赤と緑のキノコをそれぞれ削り、サンプルとして真空嚢に詰めた。一見ただの頭陀袋だが、口を紐で縛ると内部で嫌風けんふう効果が発動して内気を一掃してくれる。嫌風は、風のマナに反発する魔法的作用だ。魔法力学の話題に踏み込むと煩雑なことになるため、詳細は割愛する。いずれまた語る時もあろうかと思う。

 

「ベル様、ところで……」


 周囲を見渡して、ヴィクターの姿がないことに気づいた。


「はぐれちゃったんですかね」

「ああ、あいつなら勝手にどっかふらふらって行っちゃったわよ」

「ええっ! ヴィクターさんは魔物どころか老いたヤギに負けるくらいひ弱なんですよ。止めてあげたほうが良かったんじゃ」

「うるさいわね。五歳児じゃないんだから、自己責任よ。もしかしたらそこら辺でキノコ生やして倒れてるかもね」

「うう、オイラのせいじゃないですからね……アルフォンスさまになんて言われるか」


 ベルサリーナがハッとした表情で口に手を当てる。ヴィクターの身の安全などどうでもいいが、勇者様に嫌われるのは死んでも御免だ。何故だか知らないが、勇者様はヴィクターに殊の外親身になっている。


「ちっ、口と金銭管理だけ達者なガキがいると面倒この上ないわね。カロイ、あんた探しといて」

「ええっ、オイラだけですか? ベル様も手伝ってくださいよぉ」

「うるさい! いいからやれっ!」


 ベルサリーナは、傍の赤いキノコをむしりとると、顔面に思いっきり投げつけた。

 

(癇癪起こして近くの物投げるなんて、どっちが五歳児なのか)


 カロイは思ったことを口には出さなかった。


「五歳児!」


 いや、少しだけ口に出した。そして、何よと振り返るベルサリーナを尻目にヴィクター捜索を開始した。






 一応、彼の名誉のために事実を宣言しておくが、ヴィクターは決して危機管理能力が低いわけではない。むしろ、自分の弱さをしっかり理解して、弱いなりの振舞い方を心得ている。自分より強い女衆に対しては、わざと殴られに行っているような節もあるが、これもまた自身の弱さを適切に知らしめるための方便という側面もある。弱い者いじめというのは、いじめ甲斐があってこそ成り立つもので、その弱さが図抜けていると何もする気が起きないのだ。まあ、単にヴィクターが煽り気質というのもある。というかそれが大部分を占める。

 が、しかしこの男、戦闘関連以外の感覚は割とまともだというのに、一つだけ大きく欠如しているものがあった。

 それは、方向感覚である。

 方角は理解できる。地図の読み方も知っている。印を刻んだり、標となる物を置いたりする知恵もある。

 それでもなお、来た道を一人で引き返すことができないし、順当に歩いている感覚のまま未知の道へと踏み込んでいく。生粋の方向音痴なのである。もはや病的なもので、何より救いがたいのは本人がそれを自覚していないこと、そしてまたほとんどの場合が二人以上で行動するために仲間たちもそれを知らずにいることだ。唯一アルフォンスが知っているのだが、彼はベルサリーナとカロイがいるから大丈夫だと思っていたし。幼馴染の恥を許可なく公開するようなノンデリカシーなことはしない。

 そんなわけで、アルフォンスとは対照的にデリカシー欠乏症のヴィクターは樹々とキノコの中を彷徨っていた。

 幸いなるかな、この森に魔物はいないようだ。それどころか、動物の存在が認められない。足元の雑草と、枯れ枝の隙間から見える鳥たちの飛翔姿を除けば、生命の息吹が感じられない。

 松林は大した規模ではないのだが、方向感覚を失った者にとっては、抜け出すのに苦労する迷宮ともなる。


(まあ、いい散歩だね。健康第一。不健康な色のキノコに囲まれてるのが難点だけど)


 ヴィクターは呑気に、周囲の景観に文句をつけていた。

 彼は彼なりに、頭を働かせて原因を探ろうとはしている。

 もちろん、キノコの種類や松の木にどういった状態異常がかかっているのか、それは専門知識なしにはわからない。

 が、知識なしに見ただけでわかる事柄もある。

 キノコは、赤も緑も、木の根に近いほど大きく、樹冠に近づくにつれて小さくなっている。植物は根から維管束を通じて水分と養分を摂取しているため、おそらくそれを横取りする形で寄生しているのだろう。そして、流しそうめんの要領で、養分(そうめん)の源に近い部分程おおく喰らえて肥え太り、樹冠(麺受け笊)近い場所にはかっすかすの養分しかまわってこない。

 他にも気づいたことがある。それは、明らかにキノコが痩せていて、木肌の弾力が異なるものがいくつか存在することだ。キノコにせよ病原菌にせよ、稀に耐性を持つ個体がある。これは呪いに関しても同じで、どんな凶悪な呪いでもまったく効かない個体が、極偶に存在するのだ。ここに、何らかの光明があるかもしれない。

 などと考えていたら、木の根につまづいて転んでしまった。

 起き上がってみれば、その根もまたキノコの侵食に抵抗しているように、力強さを失ってはいなかった。

 それだけではない。目の前に、巨大な人影がぬっと現れた。

 巨大、というのは礼を失する表現かもしれない。その人影は女性で、大柄ではあるものの人並外れているわけではない。男にしては低身長なヴィクターが、転んだ状態で見たから巨大に見えただけだ。

 女性は緑色の三角帽子に若草色のローブ、腰のベルトに革装調の魔導書を挟んだいでたちで、胸の深さといい脚の具合といい、凄味ある妖艶な美女であった。

 ヴィクターは立ち上がって前身の汚れを払う。


「なんだい、死にかけの森に入ってくるなんて。子供の遊び場じゃないよ」

「遊び場にしては目に悪いですよね」

「何をしてたんだい」


 魔女は、特段警戒している様子もなく、とはいえ気を許している風でもない。物腰はやわらかいが、おそらく見た目以上の年齢を重ねているはずで、真意を悟らせない話し方、表情を心得ていた。

 ヴィクターは正直に話した。勇者一行の一員であることも、この松林の異変が病巣の四天王に関わっているかもしれないから調査していることも。


「ふうん。君みたいな子供が勇者の仲間ね」

「同年齢ですよ、勇者アルフォンスとは」

「へえ」

「今は若者中心の世の中ですから」

「だねえ。おばさん魔女はこうして森の中に隠遁してないとねえ」

「はいはいまったくです」

「頷くな」


 魔女は軽く小突いた。

 ジェリア・ストレイドと名乗った。


「昔はバルセイキの宮廷大学院で教鞭を執って、それなりの富と名声があったんだけどね。年甲斐もなく急に冒険者になりたくなって、組合に入って意気揚々と旅に出かけたんだけど……まあ色々不幸があって、いまはこうして森の魔女やってるわけさ。ところが、終生安穏の地と定めたこの森が、一夜明けたらこの有様。別に贅沢は言わないけど、こんな場所に骨を埋めたくないから、どうにかできないか調べてるってわけ」


 君たちが協力してくれるなら、ありがたく助力を請うよ、と嫣然に笑った。

 

「ひとつ、実験してることがあるんだ。良かったら見てってくれないかい」

「魔女の館ですか。結構興味ありますけど、入場料とか取りませんよね」


 どんな時でも一番気にすることはそれである。

 魔女はふふっと軽く吹いて、かぶりを振った。三角帽子の先に飾られた小さな金属片同士がぶつかって小さく気味良い音を奏でる。


「館なんて大層な物じゃないよ。樵夫の小屋を買い取って改築しただけだからね。でも、見て楽しいものがあるのは保証する。もちろんお金なんて取らないさ。今の私には無用の長物だからね」


 ジェリアは町へ、木材の加工時に用いる種々の魔法薬を錬成し、その対価に食料や生活品を受け取っている。金のしがらみから解き放たれた、悠々自適の隠遁生活。ヴィクターとは正反対の生きざまだ。

 それはそれですごく楽しそうだと考えていたら、魔女の館が見えてきた。松林の南端、バルティパインの南西に位置するそれは、確かに館と呼ぶには貧相だが、好奇心を刺激してやまない妖しい雰囲気が溢れ出ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る