第5話 枯れ果てた松林

 旭日に照らされる三角帽が、魔女の顔に深い影を落とした。細面で美麗な魔女は、変わり果ててしまった松林に入り、ひとつひとつの樹木の木肌をそっと撫ぜる。

 早逝した我が子の骸を慈しむ母親のように、愁いと哀しみに染まった横顔を見るものはいない。


(嫌になるねえ。長生きはするもんじゃないよ)


 触れた手袋の指先にこびりついた灰色の菌糸を忌々しく睨む。

 魔女は艶やかな胸元に手を入れ、カプセルのようなものを取り出した。開くと、青色の霧が僅かに溢れる。

 手袋を脱ぐと、青色の霧に浸す。手袋は異次元に吸い込まれるかのようにカプセルの中へ引き摺り込まれた。閉じたカプセルを胸元にしまう。

 魔女は更に、別の手袋を嵌めて、同じ動作を繰り返す。その顔はやはり哀しげだが、そこに諦観や絶望は微塵もありはしなかった。


(あたしゃ、町の連中みたいに諦めがよくないもんでね……必ず、生き返らせてみせるよ)


 心中で堅く誓い、魔女は松林を後にした。





 バルティパインは街道から見て山林を背に位置している。勇者一行が町の玄関にあたるバルティ橋に辿り着いたとき、時刻はまだ正午を迎えていなかった。


「あっつい……」


 ベルサリーナが太陽を太々しく睨みつけた。眩しくてすぐに目を逸らす。

 夜はまだ肌寒い季節だったというのに、今日の暑さは異常だ。どこかで火山でも噴火したんじゃないかと冗談が飛んだ。笑い事じゃないわよとベルサリーナが噛み付いた。


「ああもうっ、汗でどろっどろよ! なんなのもう! こんなに暑かったら山火事が起きちゃうわよ!」

「相変わらず煩えなあ……山ってのはてめえほど軟弱じゃねえんだよ」

「黙んなさいよ腐れヤクザ! ああもうっ目を開けてると汗が目に入ってくる!」

「じゃあ閉じて歩けばいいんじゃないですか」

「そうね……きゃあっ!」


 ヴィクターの言葉を考えなしに受けたベルサリーナは、数秒も経ず段差につまづいた。


「その勢いで端から落ちれば万事めでたしですね」

「謀ったわね!」

「貴女が脳味噌を使って生きていないだけなのではないかしら」

「使ってるわよ! 今日は暑いからちょっと動作不良起こしてるだけ!」

「うう……早めに直してくださいね。脳が動作不良のベル様って、手に負えないんですから」

「うるっさいわね! 堀の水でも飲んできなさいよ!」

「ひう。橋から蹴落とそうとしないでくださいよぉ」


 バルティ橋は、バルティパインを囲む環濠の東側に架かっている。環濠は、南北が幅厚で、東西が幅薄になっている。街道に面する東にはバルティ橋の他に小さな橋がふたつ、松林に面する西には材木運搬用の大きな橋がひとつと、人が行き来する小さな橋がひとつ架かっている。

 橋上は人が大勢行き交って賑やかだ。特に関所のようなものは設けられておらず、行商人や職人らしい風体の人々が往来している。橋の脇には露店が並んで、土産物の木製細工や食器などが売られている。


「特に異常は見当たらないな」

「ですわね」


 酒場では、バルティパインは全滅したと言っていたが、酔った末の妄言だったのだろうか。

 橋を渡り終えると、道の両側に大きな建物があった。右手が町一番の材木商の表店、左手が町の警備を預かる『蓑虫組みのむしぐみ』の屯所だ。

 やはり人通りが激しく、とても壊滅的な状況とは思えないが……確かに、こころなしかピリピリした雰囲気が感じられる気もする。

 勇者一行は、道の先にある広場へ向かった。広場は町の南北へ向かう大通りが貫いており、北に宿屋と食事処が揃っている。南に材木商の店や寮が櫛比しており、西には職人街と木場(木材の倉庫)がある。

 町の案内板を見て、町の構造をアバウトに理解した一行は、町の北に向かおうとしたのだが……。

 人混みの中、肩を切って早足で歩いていた職人衆と、アネッサの肩がぶつかった。


「前見て歩け泥人形が!」

「あぁ? なんだいその言い種は」


 はなから喧嘩腰で噛み付く相手に、アネッサも語気荒くやり返す。女衆の中では一番手が早く乱暴で、彼女の前では岩が豆腐と化すような怪力の主でもある。

 相手は三人組で、相当気が立っている様子だ、昼日中から酩酊しているようで、刃物さえ抜きかねない勢いだ。


「やろうってのかい。いいさ、相手になるよ」


 アネッサは好戦的に受けて、拳を鳴らした。

 職人衆は赤ら顔を更に好調させて憤ったが、拳を振るうことはしなかった。


「ちっ、八人相手はしんどいぜ。怪我してもつまらねえや、行こうぜ」


 ステラの隠密能力はとても優秀である。

 三人が大人しく去っていくのを、アネッサがつまらなさそうに見ていた。


「大の男が、売った喧嘩を買い戻すなんて情けないねえ。反吐が出るよ」

「うーん、うちの狂戦士よりかは随分と理性的なようですね」

「へぇ、今度はアンタが喧嘩売るってのかい」

「野蛮も大概にしないと猿になっちゃいますよ」

「誰が猿だい! アタイはどっちかといえばゴリラだろうが!」

「どっちみち人じゃないのね……」


 大きさと強靭さが何より大切だと考える脳筋の鑑のようなアネッサには、人間扱いされているかどうかは些細なことなのである。

 アネッサはともかく、職人三人が荒れて好戦的なのは、性格や異様な暑さのせいとばかりに限らない。

 人ごみから土産物屋の露店主が現れて、話しかけた。


「君たち! すまないねえ。あいつら、今わけありなんだ。礼儀知らずになっちまってるが、容赦してほしい」

「何があったか教えてくれないか」


 アルフォンスが聞いた。美少年ぶりにたじろぎながらも、露店主は多弁な性格のようであれこれと教えてくれた。


「実は、バルティの松林……西の林が、一夜にして奇病に冒され駄目になってしまんったんだ。それも尋常の枯れ具合じゃない。幹から枝から根から、毒々しい赤や緑の茸が生えて全身腫れものみたいになった。聞いたこともない病だが、魔王のせいかねえ。バルティの松は病気に強くて滅多なことじゃ枯死しないもんで、町の衆は大わらわ。今は保管していた貯材を売りつつ、新たな代わりの産業を打ち立てようと町長が躍起になってるとこさ」


 と、根掘り葉掘り聞くまでもなく流暢に事情を話してくれた。

 

「先ほどの連中は、何者ですの?」


 と、エスターテ。


「彼らは建材として売り出すには半端な木を細工して商品にする指物師。さっきいた三人は腕が良くてうちの露店でもよく品を並べてたんだけどね、今じゃ腕を振るおうにも肝心の木が無くて、ああして昼から酒を浴びて腐ってるんだ。お嬢さん、後から言い含めておくから腹立ちを納めてほしい」

「別に、わたくしは構いませんわ」

「……アタイもまあ、気にしねえよ」


 ここまでかしこまって謝られては、大人げなく怒ったままでいられない。

 更に、アルフォンスとヴォクター、ギャバンらが三、四と物を尋ねた。やはり町の情報に精通しているようで、よどみなく答えた。

 最後に、露店主の弟がやっているという宿を紹介してくれた。自分の名前を出せば多少の割引くらいは効くだろうとのこと。

 ヴィクターが飛び上がって喜んだのは言うまでもない。


「割引。この言葉を聞くとき、僕の全身は喩えようのない喜びに打ち震えるんだ」

「みみっちい男ね。それより、折角木の町に来たんだからお洒落な根付のひとつでも買いたいものね」

「で、金をよこせというわけですか」

「アネッサが肩を張ってあんたの大好きな割引をもぎとったのよ。浮いた分は有効活用すべきでしょ」

「浮いた分は貯金する方針ですので。というか装飾品風情に有効活用もへったくれもないでしょうに」

「ああもうそうよね、わかってたわよ! 怒鳴りつけたいところだけど怒ると余計に暑くなるからやめとくわ。いつか、乙女の恨みを思い知るといいんだわ」

「いつか、貯蓄のありがたみを思い知るといいんだわ。さあ、与太話はまたにしよう。宿はここらしいですね」


 手早く八人で部屋を二つとって、余計な荷物を手放した。

 宿のロビーに集まった八人+αは、松林の異常を探るべく各々の行動を決める。何せ数が多いから、それぞれが得意な方面で情報を得たり、交渉したりするのが常だ。

 

「町長に話を聞くのは、いつも通り俺とエスターテとステラでいいな」


 アルフォンスの言葉に皆が頷く。アルフォンスは勇者であり一行の代表であるから、当然偉い人との顔合わせには不可欠だ。エスターテは生粋の御姫様であるので、大概の地位ある者に対しても押し出しが効く。勇者と聞いて畏まる者ばかりでなく、不遜な態度を取ったりずる賢く利用しようとする者もいる。良くも悪くも素直なアルフォンスだけでは騙されかねないので、エスターテが随伴するのだ。幼いころから権力闘争を間近で見ていたため、そういった思惑を看破するのはたやすい。


「俺は、あの荒れた職人たちをあたろう。ぐれた奴らは俺の担当だからな」


 煙草をふかしつつギャバンが言った。スラムの身も心も腐ったような連中を束ねてきた彼には造作もないことだろう。


「じゃあ、アタイは蓑虫組かねえ。あそこは町の強いやつだけじゃなくて傭兵や冒険者も雇ってるから、知り合いがいるかもしれない」


 元腕利きの女傭兵のアネッサだ。冒険者や傭兵は、命懸けの職業である分、同業者に対する敬意や仲間意識が高い。


「……窮まりし商いの徒を囲う」


 リチャードも、よくわからないが何かをするつもりのようだ。


「あたしたちは、松林を調べるわね。奇病というけど、実際に見れば心当たりがあるかもしれないから。カロイ、いいわね」

「もちろん。キノコが食べられるやつならいいんだけどなあ」


 ベルサリーナは呑気なことを言うカロイをひっぱたいた。

 最後に、ヴィクターは、ベルサリーナたちに同じく松林へ行くと言った。


「ついてくる気?」


 露骨に嫌そうにするベルサリーナを無視して、アルフォンスを向く。


「僕が町中を歩いても、さっきみたいなやつらに絡まれてぼこぼこにされるのが目に見えてますからね。それに、僕も奇病ってやつを一度お目にかかりたい。なにか気づきが得られるかもしれないし」

「構わないぞ。ベルも、色々思うことはあるだろうが、協力してやってくれ」

「勇者さまが仰るならぁ、毒蜘蛛とでもハグしてみせますぅ」

「おえっ」


 想像したギャバンが小さくえずいた。


「じゃあみんな。松林に何が起こったのか、頑張って調査してくれ。憎き病巣の四天王が関わっているかもしれないから、気を引き締めていこうな」


 アルフォンスが激励して、各々が宿を後にした。

 陽はいままさに南中し、ギラギラと季節外れの猛暑を振り撒いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る