第4話 枕取りゲーム
ベルサリーナの怨嗟を背に受けつつ、ヴィクターは主人に男部屋に案内された。
他の四人も部屋の中で思い思いに過ごしている。
ギャバンは小刀で爪を切り、カロイは薬研の手入れをしている。リチャードは相変わらず無口に飛んでいる羽虫を目で追っている。
声をかけてきたのはアルフォンスだけだ。寝台の縁に腰かけて、手招きしている。
「遅かったじゃないか。ベルとは和解できたのか?」
「ええそりゃもう。双方納得の上で引き揚げてきましたよ」
「ならいいんだ」
うんうんと頷くアルフォンス。奥でギャバンが胡散臭そうに視線を向けてきたが、口出しはしなかった。
「それにしても、立派な寝台だな」
「……でも布団が貧相ですね」
薬研の汚れを落としていたカロイが、虫食い穴だらけのシーツをつまんで文句をつけた。
ギャバンが口の端を歪めて、唆すように言う。
「文句があんなら、ベッドを降りてもいいんだぜ? むしろ是非そうしてくれや」
「ひう。そ、そういうわけにはいかないんですよ」
一行の男衆は五人、対して部屋は四人部屋。といっても、娯楽目的の旅行者が宿泊する宿の二人部屋分くらいの広さしかない。女衆はそれに文句を言ったわけだが、男衆は狭さ以上の問題に毎度直面することになる。
それは、四人分しかない寝台をめぐる熾烈な争い。椅子取りゲームならぬ枕取りゲーム。勝てば安眠、負ければ鈍痛、明日の体調を決定するからには、各々意地でも退けぬは自明の理。
たとえギャバンに睨まれても、カロイが唾を呑んで耐えるのは、堅い床に枕も毛布もなく眠るのが嫌でならないからだ。エスターテは薪の上で眠ればいいと冗談交じりに言っていたが、男部屋では毎晩それを現実にして苦しむ誰かが輩出されている。
「
リチャードが独言した。陰翳の深い顔からは想像もできない、童子のように高い声だ。
森に入る前、前回の枕取りゲームに負けたのはリチャードだった。彼は静かに、前轍は踏まぬと闘志を燃やす。
「歯ぎしりしてねえでさっさと決めろや。今夜のバクチの中身をよお」
ギャバンが急かす。枕取りゲームの内容は、前回の敗者が決めることができる。その内容は、四人が全員で拒否しないかぎり可決される。
リチャードは、しばしむっつりと黙っていたが、やがて……。
「開眼」
とだけ言った。
ギャバンはつまらなさそうにぼやく。
「またかよ。ちったあ別の趣向を凝らそうって気にはならねえのか」
「でも、リチャードさんらしいですよね。無駄に動かずに済むし、喋る必要も無いし」
「へっ、若けえくせにだらしねえ」
ギャバンは賭博好きなのもあり、駆け引きや肝の太さが要となる勝負事を好む。
リチャードの言う開眼とは、読んで文字のごとく眼を開き、開いたまま閉じない……つまり、身もふたもなく表現すれば『瞬きしたら負け』の我慢勝負である。
リチャードは優秀な射手であり、獲物をしとめるための最適なチャンスを逃さないように訓練している。集中すれば五分程度目を開いたままでいることもできる。
一方、一言も発さないままでいるヴィクターは、密かに背筋に冷や汗を流していた。
ただでさえ、ドライアイの気があるのに、近頃は視力に不安を覚えるようになってきている。これ以上目を傷めるようなことは避けたい。が、勿論堅い床に甘んずるつもりもない。
(リチャードはもちろん、ギャバンも我慢にかけては相当……で、一番挫けそうな彼は)
ヴィクターはカロイを見た。鞄から小さな透明の薬瓶を取り出して、目に滴下している。
「目に潤いを……これでオイラは無敵だぁ」
「ちぇっ、小細工かけやがって。まぁいいさ、どうせ負ける奴は決まってんだ、なぁ?」
向けられた嫌味に、ヴィクターは口を曲げて返す。
「さあ、どうでしょうね。勝負の鍵は意外なところに転がってるものですから。踏んづけて足元を掬われないように気をつけた方がいいんじゃないですか」
「一端の勝負師気取るんじゃねえ。てめえの吠え面拝むのが楽しみだぜ。あの小煩え女と毎晩楽しそうに喚きやがって、いい加減ムカムカしてたころだ」
「そこに関しちゃ僕は被害者ですからね」
「俺から見りゃてめえも同類だ」
「まあまあ、落ち着いてくれよ二人とも」
睨み合う二人の間にアルフォンスが割って入る。
そして、ヴィクターの目を覗き込んだ。遠目にはなんの異常もないが、間近に見れば充血しているのがわかる。
「なあ、もうやめないか。せっかく屋根のある場所に泊まれるんだから、争い合わずに譲り合っていこうよ」
「んじゃなんだ勇者様、てめえが降りるってのか」
「ま、まあ、みんながどうしてもって言うなら、やぶさかじゃない」
予想通りの返答に、ヴィクターは軽くため息をついた。流石に、この親切に甘えて柔らかい枕を得ても、それこそ寝覚めが悪いというものだ。
「そ、それかさ……なあ、ヴィクター」
アルフォンスは顔を近づけて、何かを言いよどんだ。心なしか深雪のような肌が淡く赤に色づいていて、得体のしれない妖艶さを感じさせる。
「その、さ。もしお前が嫌じゃないなら、なんだけど……その、横で寝てもいいんじゃないか、なんてな」
「な」
真紅の瞳を揺るがせて、そんなことを囁く。ヴィクターは思わずのけぞった。その様子を、やはりギャバンが怪訝そうに見ている。
「いや、無理でしょ……立派な寝台だって言っても、二人並んだら寝返りもうてないですし」
「そ、そうだよな。変なこと言って悪かった。やっぱり俺が床で寝るよ」
「それじゃあこっちが寝づらいんですってば。変な気を回さないでいいから勇者様は目を開いてじっとしてて」
「でもそれじゃお前の目が」
「だからもう気を回さないでいいんだって」
純粋に気を遣ってくれる幼馴染を直視できず、ヴィクターは部屋の隅に目を逸らした。
ふと、視界の端にそれが写り込む。寝台の端から立ち上がって、壁際でしゃがみ、それを手に取る。
背を向けてしゃがんだまま、言った。
「じゃあ、さっさと始めましょうか」
「やっとかよ。わけのわからん茶番を見せられて億劫だったところだ」
ギャバンの挑発的な態度に、ヴィクターは余裕を見せ、少し前に放った言葉をそのまま繰り返した。
「勝負の鍵は意外なところに転がってますから」
そう返して、アルフォンスの隣に戻る。
リチャードが音頭をとって、今宵の生贄を決める勝負の火蓋を切った。
「……開眼ッ!」
五人が身を見開いた。
十秒は、誰も身じろぎ一つしない。口を利くこともない。
十三秒、ヴィクターがのそりと腰を浮かせる。
「あのぉ……触れて妨害するのは反則ですからね」
「わかってますって。別に邪魔するつもりは毛頭ないですよ。ただ、少し見てほしいものがあるだけで」
「あぁ? 俺にか?」
ヴィクターはギャバンの鼻先にあるものを垂らした。
透明な糸。その先には、黒光りする小指大の虫……八本の足を必死で動かす蜘蛛の姿があった。
「ウグッ! て、てめえなんてもんを見せやがる!」
ギャバンの反応は、面白いほどに過敏だった。かつてはスラムの無頼漢どもを束ねて『腐敗街の王者』などと呼ばれ畏れられた男にも、ただひとつ苦手な物があった。それが蜘蛛である。女衆と違って、考えなしの無駄遣いを避け、酒と煙草以外は奢らないギャバンがただ一つ、金をかけて大量にストックしているのが蜘蛛除けの塗薬だ。
蛇の蒲焼を馳走だと言って憚らない男が、小さな虫相手におののく姿に、仕掛けた本人も驚いている。
(まさかここまで苦手とはね。生理的に無理ってやつかな。まあ、僕も蜘蛛は好きじゃないし気持ちはわかりますけど)
蜘蛛そのものよりも、蜘蛛の巣が苦手なヴィクターである。
ギャバンは目の前でぷらぷらしている蜘蛛を見せつけられ、反射的に目を閉じてしまった。
勝負は決したわけである。
「ちょ、そんな妨害ありなんですか⁉」
「体に触れてないしですしね。喋ったり、何かを見せたりするのは禁止されてないでしょう」
「それはそうだけど……」
「ちっ。いいぜ、俺の負けだよ。ったく、どうにも蜘蛛だきゃあ克服できねえな」
まさか苦手がバレてたとはな、と悪態をつきながらも負けを認めた。
ギャバンは床に胡坐をかいて、元いた寝台にヴィクターが移る。今晩の争いは結した。
「……やくざな俺が
「なかなかうまいことを言いますね。座布団一枚あげましょうか」
「くれんのか」
「気持ちだけ」
「ほっとけ。ああそうだ、そういや眠る前にひとつ。そこの無口野郎と酒場に行ったとき、小耳にはさんだ話があらあ」
クレイダンテの経済は、原木の売買が一に来る。そのため、材木商の手代や仲買人が村に多く滞在し、酒場にはその用心棒をしている傭兵や冒険者の姿があった。
同じ商人のもとで働いているらしい、十九くらいの手代と、三十路半ばと思われる髭面の男が話していたことがギャバンの耳を惹いた。
『この村は平和ですね』
『ああ、賊にも魔物にも脅かされてないらしい。まあ、街道に面してない、材木商以外にゃ縁のない町だ。賊の蔓延る旨みってのがないんだろ』
『それに、あの奇妙な病……バルティパインを全滅させたってあれも、この村までは冒してないみたいですね』
『だな。しかし、不思議な病もあったもんだ……これも、あの魔王の残滓かね』
『どうでしょうね……もしかしたら、生き残った四天王の仕業かもしれませんね』
『にしちゃあ、やることが味気なくないか?』
『う~ん……考えようにも、酔いが回ってきちゃいました』
『情けねえ……俺が十九のときは、ジョッキ五杯あけるまで顔色ひとつ変えなかったもんだぜ』
十の誕生日に半魂(酒精率50%)の酒をボトル十本飲ませられたギャバンは、薄笑いを浮かべながらその話を聞いていた。
(バルティパインと言えば、松材が有名な町だったな)
耐湿に優れ、色合い淡く香り爽やかであるため、海に面した金満家の別荘や机椅子、箪笥などの建具などに用いられる高級な材木としてバルティの松は重宝されている。
同じ林業が主産業の町でも、クレイダンテとは規模が違う。そんな町が『病で全滅』とは聞き捨てならない話題だ。
近寄って話しかけようかと思ったが、髭面の男が酔った手代に肩を貸しながら退店したため、見送った。飲みかけの酒を捨ててわざわざ追いかけるほどのことでもないと考えたのだ。
酒場での見聞を伝え終わると、真っ先に反応したのはカロイだ。
「バルティの松は、建材として優秀だって話ですね……それに、どんな痩せた土にも地中深くまで根付くんで、昔はその根を煎じて飲むと体にいいなんて言われてましたね」
「眉唾な話だな」
「まぁ、実際には気休め程度にしかならないんですけど……それに、オイラも試しに舐めたことありますけど苦いのなんの」
「カロイは博識だな」
「いぇへへ。勇者様に褒められちったら、恐縮するしかないですね。へへ」
カロイはベルサリーナの薬研持ちなだけあり、そのあたりの知識には詳しい。調合の腕前や医道の知識はベルサリーナに負けるものの、薬品の原料となる草木や虫、魔物などの生態については勝るとも劣らない知識を持ち合わせている。
アルフォンスがなるほど、と頷いて立ち上がる。
「ギャバン。良く知らせてくれたな。おかげで目的地がやっと定まった。今日はゆっくり休んでくれ」
と、自分の寝台を指さした。
ギャバンは一瞬目を丸くしたが、すぐに細めて探るようにアルフォンスの端正な顔を見る。
(……ちっ、本気で言ってやがる。たかだか酒場で聞きかじっただけのことで)
勇者のお人好しさに呆れながら、場所を交換する。
少しバツが悪そうにしていたが、壁を向いて横になってしまった。
「ふぁ~あ。オイラも寝ますねぇ」
ロングスリーパーのカロイも、同じく横になる。
リチャードは、既に腕を組んで居眠りしていた。彼は寝る時、決して横にならない。誰も理由を知らないが、聞いても仕方ないことだと思って確かめることもしていない。
床に寝そべろうとしたアルフォンスに、ヴィクターがちらりと横目を流す。
「……ねえ、勇者様」
「なんだ」
「……隣、来ます?」
薄いブランケットをつまみ上げて、ぶっきらぼうに言った。冗談とも本気ともわからない。
ヴィクター本人も、なぜそんなことを言ったのかわかっていない。少なくとも、床にいるのがギャバンだったらこんなことは死んでも言わなかっただろう。
狭苦しい寝床になってしまうが、それでもいいと思う自分がいた。なんだかとっても温かそうだ。
アルフォンスは少し考えた後、にっこり笑って答えた。
「いや、今日はいいや。お前もゆっくり休んでくれ。俺はどこでも眠れるから」
「……そっか。お休み」
こうして、男部屋の夜は更けていった。
余談であるが、女部屋の夜は、いつもより少しだけ広い空間をのびのびと使って、終始穏やかに過ぎていった。
更に重ねて余談であるが、ベルサリーナは元犬小屋の臭気と外気の寒さに耐えきれず、自腹を切って部屋を借りた。一人部屋は快適だったが、財布は空しくなった。
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