第2話 魔王と勇者が残したもの

「なんだか、みんながギスギスしててさ」

「月は空に浮かび、手放した玉は地に落ちる」

「うん?」

「当たり前のことを、って比喩ったんですよ。ギスギスなんて今に始まったことじゃあないでしょう」

「それもそうか」


 アルフォンスは頭を掻いて肯定した。そして、ヴィクターに提言する。


「なあ、もう少しだけベルたちに優しくしてやってもいいんじゃないか? 確かに、無駄遣いはよくないが……みんな女の子なんだから、色々とケアしたいものもあるだろうし。別に、困窮してるわけじゃないんだろ?」


 ヴィクターの能力で、一行の資産状況は随時確認できる。確かに、化粧ひとつ、服ひとつ惜しむような状況ではない。

 が、ヴィクターは取り付く島もない。


「僕の役目はお金の管理なんですよ。敵は魔物でもなければ強盗でもない。無駄な出費なんです。みんな、僕のことを使えない木偶の坊だって言ってますけど、無駄遣いを認めてしまったら本当にそうなっちゃうわけです。業腹じゃないですか」

「……まあ、そうかもしれないが。それにしても、もう少し断り方ってのがあるだろ。大根を切るみたいにバッサリやるから彼女たちともしこりができるんだ」

「ああまで言わんと諦めませんから」


 ヴィクターは、普段から役立たずだなんだと陰日向なく罵声を浴びながらも、それを倍にして返すくらいに向こう気が強く、毒舌な男である。アルフォンス以外には高飛車なベルサリーナも、生粋のお姫様のエスターテも、片手で岩を握り潰すアネッサも、ヴィクターと口喧嘩をしていい思いをしたことは一度もない。実力を行使すれば簡単にのしてしまえるのだが、それをした後の虚無感といったら……蟻に喧嘩を売られて思わず買ってしまったような、情けなさである。

 どちらの言い分にも納得できる点、そうでない点があるために、中立の立場であるアルフォンスは頭を悩ませているのだ。


「結納の仲人じゃないんですから、そうやって仲を取り持とうとしなくていいですよ。ギスギス、結構じゃないですか」

「いやあ、仲良しに越したことはないだろ」

「仲良し、ねぇ」

「誰もが俺とお前みたいになれれば幸せだと思わないか?」

「……人類みな幼馴染って? あはは、確かにそれは面白いかも」

「お、やっと笑ったな仏頂面め」


 頬をぐりぐりと指の関節でいじくるアルフォンスを鬱陶しそうにしながら、皿の底に残ったスープを飲み干した。完全に冷め切っていたが、不思議と腹の底が温まった気がした。

 アルフォンスとヴィクター。二人が幼馴染であることは、他のメンバーは知らない。もともとヴィクターは勇者一行に加われる立場になかった。もし幼馴染だと発覚すれば、縁故を利用して名声を得ようとしたなどとあらぬ疑いをかけられかねないからだ。もっとも、ぜひ同行してくれという幼馴染の頼みを聞き入れたのは、友誼のみならず名声や権威に惹かれたからでもある。

 しかし、いざ旅をしてみれば、同行するメンバーは一癖も二癖もある者ばかり。おまけに、今回の旅は前例のないものであるため、頗る不調であった。


「難儀だよな」

「ですね。時間と費用はかかる割に、やってることは先代勇者の後始末ですから」


 二人のぼやきを理解するためには、七年前に突如地上に現れた魔王について知らねばならない。魔王はパンデミカと名乗り、世界中に呪いをばら撒いた。その呪いは、やがて地上の魔物以外の生命を全て死滅させ、世を暗く黒きものへと変えるだろうと高らかに笑った。

 しかし、世界は魔王の呪いを軽視していた。

 エーデル大聖堂の『聖女』パトリシアは、あらゆる呪いを浄化する能力を持ち、彼女の指先ひとつで全てが救われると、大衆は信じていたのだ。エーデル大聖堂を総本山とし、浄化の焔竜ファフニールを崇めるユルガノ教は、聖女の浄化能力を恃みに世界中に教会を持つ一大宗教として信仰されていた。

 が、パンデミカの呪いはパトリシアの浄化をもってしても解呪することはできなかった。

 その理由はほどなく解明された。パンデミカは呪いと嘯いたが、その実は病気。身体を魔術的に侵略する呪いではなく、生物的、物質的に侵略する病だった。必要とされていたのは、聖女と浄化ではなく医者と特効薬だったのだ。

 しかし、ユルガノ教は血迷った。今までユルガノが絶大な支持を得てきたのは、歴代魔王が操る強大な呪いの力に対抗できる聖女パトリシアの存在があってこそ。しかし、パトリシアの存在が役に立たない魔王もいるのだと証明されてしまっては、その支持は低迷してしまう。

 そう恐れた教会は、あらゆる手を尽くして真実を覆い隠した。病人を脅して聖女の力で回復したと言わせたり、さくらを雇って殊更に宣伝したりし、末期にはただの水や紙切れを呪いに効くと高額で売り捌いたりした。

 そして魔王の跋扈から二年、今からおよそ五年前に、とある医者を中心とした集団が真実を暴いて世間に知らしめ、ユルガノ教は瓦解し、程なく特効薬が出来上がった。が、この二年で既に多くの民が病死していた。世界の二割が死に絶えたという学者もいる。

 一方、全ての元凶である魔王パンデミカを倒すため、時の勇者ローマイン・アトレイヨとその仲間たちが旅をしていた。

 パンデミカは狡猾だった。歴史上の魔王はみな勇者を目の敵にし、魔物も勇者の息の根を止めんと襲ってきたものだが、パンデミカとその兵は後方支援こそ敵軍の急所であるとし、回復役を執拗に狙い、また世界に跋扈する魔物たちは積極的に神官や白魔法使いを殺害していった。

 ローマインの仲間で、回復を担うクレリックにパロマという女がいた。狡知の牙はパロマにも及び、ある戦いでパロマは病毒に冒されてしまう。

 ユルガノ教の騒動を知らないローマインたちは、各地の教会で高名な神官や賢者に解呪を頼むも当然失敗した。

 パロマは遂に帰らぬ人となり、ローマインは人目も憚らず号泣した。ローマインはパロマを深く愛していた。

 犠牲はそれだけではない。回復役を失った一行の旅はより危険なものとなり、艱難辛苦の果て遂に魔王を討ち果たすとき、生き残っていたのはローマインのほか二人だけ……十四人で始めた魔王討伐の旅は、思いもよらぬ犠牲を強いられたのだった。

 そして、満身創痍のローマインが人の住む都へ帰ったところで知らされたのは、ユルガノ教の一件。ユルガノ教が目先の小利に捉われず、事実を世界に知らしめていれば、パロマは助かったかもしれない。

 ローマインは深い絶望と虚無に襲われ、廃人になってしまった。

 魔王が意図したことかどうか、思わぬ業の深さを目の当たりにした人類は後味の悪い結末を迎えたが、悲劇は終わっていなかった。

 歴代の魔王は、なぜか有力な部下を四人集めたがる。そして、お約束のように『四天王』と名付けて世界に発信する。これは絶対の約束事で、魔王といえば四天王と完全に紐づいている存在だ。

 パンデミカも『病巣の四天王』と呼ばれる恐ろしい怪物を従えていた。

 そして、ローマインたちは消耗を防ぎ、一刻も早く旅を終わらせるため、四天王を討たずに魔王を倒してしまった。

 結果、仕える主人を失った病巣の四天王は、むしろ檻から解き放たれた獣のように活発化して世界を荒らしはじめた。

 世界の首脳は再びローマインに決起を促したが、彼の心はズタズタに壊れてしまっていた。

 まさか首に縄をかけて引っ張っていくわけにはいかず、そのような状態の勇者に戦える力があるはずもない。

 よって、異例ながら魔王を討伐するためではなく、魔王と勇者が残した病巣の四天王を掃討するための新勇者が誕生した。勇者とその仲間を指名するのは、ユルガノ教ではなく『エンシェント』と呼ばれる組織である。世界最古の神を崇める彼らは、名前も素性も信仰の内容も知られていない。実際にどうやって勇者が誕生するのか、知っている者はほんの一握りである。

 閑話休題。このような経緯を以て、アルフォンスたちは旅をしているのである。

 ヴィクターの言う通り、言わばローマインが損ねた仕事をやれと言われているのであって、あまり誇れるものではない。おまけに、四天王は守るべき砦を捨てて世界各地を飛び回っており、その所在を突き止めるだけで一苦労。やっと居所を掴んでも、名乗りを上げて踏み込むときにはもぬけの殻という経験は何度も積んだ。

 目的が遅々と果たせぬその理由は、なにも外的なものだけではない。


「ん? どうした、俺の顔に何かついてるか?」

「有史以来稀に見るお人好しを、物珍しいものだと思いまして」


 勇者アルフォンス。ことあるごとに首を突っ込み手を差し伸べたくなる性質で、困っている人、悩んでいる人がいれば自分の事情を差し置いて全力で助けに行ってしまう。それに付き合わされる八人の仲間はへとへとである。

 ベルサリーナなどはアルフォンスに惚れているし、エスターテも勇者の血を狙って婚姻を目論んでいる様子、アネッサも姉御肌でどちらかといえばお節介を焼くのが好きなタイプだから、女衆からはそこまで不満は出ていない。

 しかし、男たちは違う。違うのだが、女衆が賛同しているのに面と向かって意見できるような猛者は、ヴィクターを除いて存在しないのである。そして、ヴィクターもまた、幼馴染の困った性格を、鬱陶しいと思いながらも密かに好ましく思っているため、結局従ってしまうのだ。

 そういうわけで、四天王討伐は一向に進まない。

 豆のスープについて色々と不評が噴出しているが、およそその根源はこの状況に対する憤懣であると思われる。


「まぁ、どうでもいいですけど」

「ん? おかわりが欲しいのか?」

「結構です。ダイエット中なんで」

「別にお前太ってないじゃないか」

「それでもですよ。こっちはチビで根暗で役立たず扱いですから。最近視力に不安が出てきたので、メガネが追加されるかもしれません。せめてデブは回避したいと思うのが人情じゃないです?」

「いきなり饒舌になったな。体には気をつけろよ。お前に倒れられたら……」

「そこは大丈夫。ううぅ、寒くなってきた。そろそろ火にあたりに戻りましょうかね……よっと」


 倒木から尻を離し、パチパチと爆ぜる音へ向かう。


「あっ! やっと来たわね! 今日という今日はあんたをけちょんけちょんにしてやるから、今夜は眠れると思わないことね!」


 荒ぶる乙女にため息をつきつつ、舌戦の準備を始めるヴィクターであった。

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