勇者一行の金庫番

大魔王ダリア

第1話 豆のスープ

 森の中の開けた場所で、今夜のキャンプを張ることになった。

 アネッサ・ロザリンデは常時不機嫌なところがあるが、今日はいつもに増して機嫌の悪さを極めている。今日退治した魔物が、蛇、蝶、芋虫と食用に適さないものだったせいだ。今夜の主食は豆のスープである。


「豆で斧を振るえってか? 冗談じゃないよ」


 戦斧をメインウェポンとするパワーファイターのアネッサは、三杯目をおかわりしながら悪態をついた。


「貧相な食事ですこと。信じられませんわ……なんとかなりませんの⁉︎」

 

 隣では、よりかしましく騒ぎ立てるエスターテ・キャンピサーノ。千年前から続く大魔法使いの血統で、その力を糧に大貴族となったキャンピサーノ一族のお姫様である。こうして旅に出る前は、豆なんて厄除けの儀式に使う道具としてしか知らなかった。


「……黙って食えねえのかね、あんたらは」


 苦言を呈するのはギャバン・アルトリオ。無精髭とこけた頬に凄味と貫禄を感じさせる四十路の男だ。少し膨らんだ懐には大量の血を吸い続けてきたナイフを呑んでいる。


「猿山の頭風情がわたくしに意見するとはいい度胸ね。消し炭にされたいの? それとも氷漬け? そうね、丁度氷菓子が食べたかったのよ」

「チッ……我儘なガキにゃ何を言っても無駄か。口を縫い付けようにも針仕事は苦手でね……おっと、丁度いいもんがある」

「ひっ……ちょ、じょ、冗談よ」


 懐に手を入れるギャバンに恐慌するエスターテ。

 元はスラムの束役をしていたため、脅迫や恐喝の威圧が違う。高飛車なお姫様も、暗黒街の凄味にはたじたじで、仕方なく味気ないスープを口に運ぶ。


「それもこれもあいつのせいじゃん! あいつがもっとまともな食材を仕入れていればもう少し豪華な食事ができたのに……あいつはどこなのよ」


 恨みがましく周囲の木立に目を配るのは、ベルサリーナ・トロキア。薬師で、回復薬、医薬、浄化薬、更には火薬や毒薬まで材料さえ揃えば一通り調合してみせるという腕利きである。彼女もまた不機嫌で、その横で薬研持ち(助手)のカロイ・リフェンが小さな目をおどおどさせている。

 焚き火を囲んでスープを啜っているのは、他にもう二人。リチャード・フェンディングという射手がいる。この男は寡黙で滅多に口を出すことがない。が、感情が死んでいるわけではなく、くちさがない女たちに苛々とした視線を向けて睨んでいる。

 そして、最後の一人……一行の頭目であり、勇者として使命を帯びた若い救世主、アルフォンス・イルファシア。黒髪赤目のやや憂いを帯びた顔立ちは、勇者という大物の肩書きと確かな剣の腕前、その身に宿す天嶺の魔力と合わさって民衆から絶大な人気を誇る。

 アネッサ、エスターテ、ギャバン、ベルサリーナ、カロイ、リチャード、アルフォンス。この場に見える七人の他にもう二人、計九人の所帯で勇者一行は旅をしている。

 ベルサリーナが腹立たしげに呼ぶ『あいつ』とは、この場にいない青年のことだ。

 三白眼にへの字の唇、黒髪は癖があり、中肉中背だが猫背のせいで低く見える。特に一行の女衆は筋肉質のアネッサ、上背があるエスターテ、足が細く長身に見えるベルサリーナと、いずれも見栄えするうえ、勇者は絶世の美男と来ている。ギャバンはハンサムとはいかないが風格は立派なものだ。カロイは……これといって特徴はない。ベルサリーナの薬研持ち兼下僕のような扱いである。

 その青年は名をヴィクター・グライナーという。彼はこと戦闘面に関してはものの役に立たず、与えられた役目は金庫番というものである。

 旅をする者にとって、魔物と同等に、いやある種それ以上に恐るべきは野盗、物盗りの類である。面と向かって金品を強奪しようとしてくる辻強盗、山賊の類なら一蹴できるだけの力がある。だが、夜陰に紛れて金袋を奪おうとするコソ泥、護摩の灰には手の打ちようもない。不寝番を置けばいい、とも考えるが、女衆はみな我儘放題で、風呂も化粧も満足にないこの上に睡眠を削るなんてとんでもないと、普段は足りない団結を見せるし、ギャバンとリチャードも貴重な戦力で睡眠不足で力を殺ぐわけにはいかない。勇者アルフォンスなどもってのほか。カロイはロングスリーパーで、毎朝ベルサリーナに怒鳴られて鼻提灯を割るのが恒例だ。

 このような一行であるから、一夜明ければ一文なしという状況になりかねない。そこで、本来なら勇者の旅に参加するなどありえないヴィクターに声がかかった。木の棒より重いものは振り回せない、魔力も最底辺レベルの彼だが、奇妙な術をいくつか使える。その一つが、金を無限に収納し、好きに出し入れできるというもの。

 世界には、武器や道具を無限に収納できる術を持つ者がいるとの噂があるが、金に限定してその機能を果たす術である。

 この男がいれば、とりあえず心配の種がひとつ減るわけだ。が、それ以外の役には立たない。

 おまけに、このような術を編み出すだけあって、金銭の出納には殊の外口うるさく、前に滞在していた街で捨て値で売られていた豆を大量に買い込み、夕飯をこのような形にした張本人なのである。


「まあまあ、みんなそう怒らないでよ。ヴィクターだって、これからのことを考えて節制してるんだから。それにほら、豆って栄養満点らしいし」

「でもぉ、勇者様ぁ……女の子って、栄養だけじゃ生きられないんですよぉ」

「うわっ、出た……」


 ベルサリーナの喉から出る、アルフォンス特化型の猫撫で声に、カロイが総毛を立てて震えた。ベルサリーナはカロイ特化型の龍をも殺しそうな睨みを向ける。


「貴女、完全に剥がれ切った化けの皮をいつまで手で押さえているつもりなの? 気色悪いのでやめてもらえないかしら」

「ふざけん……ベル、おじょーさまが何言ってるのかわからなーい」


 舌を出して頭をコツンとしてみせるが、アルフォンスはもうこちらを見てはいなかった。


「豆ってよく噛むと旨味があっていいね。それに、スープにもその旨味が染み出してるみたい。俺は好きだなこれ」

「……味気ねえなあ。旨味ならもっとガツンと欲しいもんだね」


 アネッサがぼやいた。

 金庫番のヴィクターであるが、料理も担当している。彼の吝嗇は調味料にまで及び、塩味もスパイスも抑え気味である。アルフォンスのように、積極的に味わおうとしなければ、物足りないのは必定であった。


「ああもうっ! なんであいつはいないのよ! 文句言われるのが嫌で隠れてんじゃないでしょうね!」

「あんのぉ……それは、ベル様がこのあいだ、ヴィクターさんに向かって『あんたの顔見ながら食事するだけでご馳走が不味くなるの! どっかいきなさいよ!』って怒鳴たっからじゃ……?」

「うるさいわね!」

「ひう」

「ありましたわね、そんな一幕が。たしか、前の街を出る最終日でしたか。まさか、この食事はあの件を根に持って……」


 エスターテが邪推した。

 それを聞いて、ベルサリーナはより憤慨する。


「あいつ……もう許せない。カロイ、あいつを探してきなさい」

「今からですか……? もう暗いですし、魔物はそこらへんうろついてますし、火から離れたくないんですけど……」

「つべこべ言わないの! とっとと行けっ! あぁ、勇者様ぁ、なんでもないんですよぉ」

「うう……」


 カロイはとぼとぼと木立へ向かった。ふりをして、荷物の陰に隠れて寝てしまった。


 さて、そのヴィクターはというと、キャンプを張った森の中の空き地の隅にある倒木に腰かけて、松籟を聴きながらぬるくなったスープを啜っていた。


「はああ……僕もまあ、よくここまで嫌われたもんだよなぁ」


 つぶやきと共に吐く息が白い。これから少しづつ暖かくなっていく季節とはいえ、まだまだ夜は冷え込む。煩いのは嫌いだが、火から離れるのはなんとも辛い。とはいえ、ベルサリーナの怒鳴り声を聞かなくてすむなら、暖かみを手放す理由にはなる。


「隣、座るぞ」

「……勇者様じゃないですか。いいんですか、こっちにきて」

「そう邪険にしないでくれよ。悲しくなるだろ」

「そりゃすいません。で、何しにきたんです」

「お前と話しに。一人で食う飯なんて味気ないだろ」

「何人で食べても味気ない献立だと思いますけどね。我ながら」

「俺は好きだぞ」

「……そりゃ、どうも」


 赤い目で屈託なく見つめられ、ヴィクターはそっと目を逸らす。頭ごなしに怒鳴られたり、役立たずだと罵られるなら、太々しく言い返すこともできるが、こうやって裏なく褒められるのはなんともこそばゆい。

 ヴィクターは、この、眉目秀麗で優しさに溢れる勇者さまが、心の底から苦手なのだった。

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