20話 桃色の光

 翌朝も、太陽が昇る前からプレイピアの特訓は始まった。

 出発準備をデザルトが代わりにやってくれている間、基礎魔法を徹底的に教えられた。

 

 物を浮かす、火を出す、水を出す、空を飛ぶなど、取り急ぎ必要な魔法を、ちょっとずつ。

 プレイピアは、蛍がどれだけ周囲の地形を変えようと、大気圏まで飛んで行こうと、根気よく教えてくれた。


「大丈夫、杖はあなたを裏切らないわ。怖がらずに、信用して」


「杖に感情があるの?」


 蛍が不安を全面に押し出した顔でプレイピアを見ると、プレイピアはにっこり笑った。


「杖を侮っちゃいけないわ。人間のような感情はないけれど、持ち主のために精一杯力を発揮してくれるの。だからそんなへっぴり腰じゃダメね。呆れられちゃうわ」


 そう言って、蛍の腰を叩く。それに慌てて背筋を伸ばして、杖を構える日々だった。

 これまで蛍の魔法が下手くそなのは、杖と心が通じていないからだろうか。


 杖と心が通じるってなんだ。


 自分で考えて、蛍は首を横に振った。

 心が通じるとは到底思えない無機物相手だぞ、と考え直して、蛍は今日何度目かの呪文を唱えた。杖を通じて出てきた水は、やっぱりチョロチョロだった。心が折れそうになりながら、蛍は静かに「《エント》」と唱えた。


「はぁ……上手くいかないなぁ……」


 水魔法は、杖先からチョロチョロ出てくるのではなく、任意の場所に出現させるのが本来の魔法らしい。

 火魔法はマッチみたいな火種なんかではない。物や人を浮かすと杖で操れるし、大気圏まで飛んでいくことはない。


 前を歩く二人の後ろで、蛍は杖を手の中で遊ばせながら、家から持ってきた本を開いた。


 こういう本はだいたい最初に序章としてその本の読み方や、コツの掴み方などが書いてあるものだが、これは素人の書いた日記に近い覚書である。魔法が上手くなるコツなんてものは書いておらず、これはもう自分で掴んでいくしかないだろう。


 書いてある英語が現代でも使われている英語でよかった。しかも授業で触れているアメリカ英語だ。これでイギリス英語や古語なんて使われていたら、お手上げだった。


「《ファロ》」


 歩きながら後ろを向いて、杖を構えて、呟いてみる。イメージは、小さな火の玉が宙に現れてふわふわ舞う光景だ。

 

 ジッと音を鳴らしながら杖先に火が点いたのを確認して、蛍は肩を落としながら「《エント》」と呟いた。


 上手くいかない。

 妄想は得意なはずだった。

 脳内イメージを具現化する時にどうも不具合が出るのか、想像通りの結果にならないのが本当に嫌になる。

 

「わっ!」


「っと……賢者候補様、大丈夫ですか?」


 後ろ向きに歩いていたら、デザルトとぶつかってしまった。彼の大きな手がしっかり蛍の肩を掴んできて、ちょっとの触れ合いだというのに心臓がドキッと跳ねた。単純な心臓で、それもそれで嫌になる。


「ど、どうしたの? 何かあった?」


 慌ててデザルトから距離を取って、杖と本をしまいながら聞くと、デザルトはきょとんと瞬きした後に背後を指差した。


「もうすぐ東の村です。プレイピアさんと話して、一度ここの村長に話を聞きに行くことになりました」


「わかった」


 デザルトの前を覗き見ると、小さな村が見えた。

 『聖なる森にある村』よりも、家の数が少なく、人通りもない。あんな事件があったのだから仕方ないのだろうが、蛍たち以外に人の姿がなかった。


 あんな事件があった直後なのだから当たり前だが、非常に寒々しい村だ。

 蛍たちが村の中を進んでいても、誰も出てこない。どこからも視線が無く、本当に人がいないのだと理解した。


「魔除けの魔法はかかってないみたいね」


「ええ、そうですね」


「魔除けの魔法?」


 蛍が首を傾げると、プレイピアが眉間に溝を刻んだまま口を開く。


「えぇ。魔物の侵入を阻む防御魔法よ。人が住む場所には必ずかかっているの。そのおかげで、基本的には魔の長などの侵入を抑えていたんだけど……」


「突破されたような跡もありませんし、元々かかっていなかったところをやられたのでしょうね」


 ずさんな村だ。それが第一印象だった。


 村の中心を走る道を歩いてくと、三十分もしないうちに村の出口に到着してしまった。

 その出口の向こうには、木製の柵で囲われた何かがあった。

 こんもりと盛られた土が無数にあり、その盛り土の上をふよふよと緑色の光球が泳いでいた。

 

 嫌な予感がする。


「こ、ここは……?」


「あちゃ~、すごい数ね」


「えぇ」


「も、もしかして、これ、お墓……?」


 そのあまりの数に、蛍は呆然と立ち尽くしてしまった。

 この村で一番日当たりのいい場所にあるはずなのに、どんよりとした空気が漂っている。


「……ともかく、村長か長老を探しましょう。この村にいるはずです」


「おや、私をお探しかな?」


 突然、後ろから声をかけられた。

 振り返ると、腰の曲がった老人がスコップと花束を持って立っていた。

 蛍がおそるおそる頭を下げると、蛍の格好に気づいた老人が「おや、もしやあなた様は……」と呟いた。


「そちらの方は、もしや賢者様ではございませんか……?」


「えぇ。今はまだ修行中ですので、賢者候補様ですが」


 蛍の代わりにデザルトが答えると、老人もとい村長はその場にスコップと花束を落として跪いた。祈るようなポーズを取って、必死に蛍に向かって頭を下げてくる。


「え? え?」


「あぁ……賢者様……せっかく来てくださったのに申し訳ございません……このような失態、あなた様にお見せすることになろうとは……」

 

「えっと、ちょっと、おじいちゃん、顔を上げてよ」


 蛍が慌てて村長に駆け寄ろうとしたのを、なぜかデザルトが止めた。

 腕を引かれて一歩後退すると、代わりにデザルトが村長の前に屈むと、優しく彼の肩に手を置いた。


「悔やむ必要はありません。我々は、なぜこの村が魔の長に襲われたのかを調査しに参りました。顔を上げてください。あなたは、この村の村長ですね?」


 デザルトの言葉に、村長は目に涙を溜めた状態で顔を上げた。弱弱しい声で「はい」と言い、それにデザルトは満足そうに笑う。


「では、お話を聞かせてもらっても良いですか? 我々はこの惨劇の全てを知る必要があります」


「はい」


 その前に、と村長は言った。


「この花を、墓に供えても良いでしょうか。娘へ届けたいのです」


「ええ、もちろんです」


 身体を開けて、老人を通す。

 彼の後をなんとなく三人で着いて行った。


「ここは元々、私の家がありました」


「そう、ですか……」


 ゆっくりと墓の間を進み、とある墓の一つで村長は止まった。他の墓と違い、その墓に寄り添う光球は薄ピンク色だった。


「私はこの通り手も足も動きませんで。墓の場所が足りなくなったので、家を壊させたんですよ」


 村長の言葉に驚いたのは蛍だけだったようで、残りの二人は神妙な顔のまま彼の話を聞いていた。


「魔の長は、突然現れたんです。本当に、あっという間でした。あの方は、黒い雲と共に現れたかと思ったら、若い人間だけを攻撃したのです」


 村長の手は震え、危うく花束を落としそうになる。それをそっと支えたのは薄ピンク色の光球で、柔らかく花束を墓の上へと持っていく。

 花束はゆっくりと花びらを舞わせて、まるで手を取り合って踊っているように光球は寄り添った。


「……本当に、一瞬でした。我々が目を開いた先は、地獄が広がっていたのです」


 村長は静かに涙を流す。

 どうしたらいいのか分からず、だがこの空気を壊すこともできずに、蛍はただただ鞄の紐を強く握りしめることしかできなかった。


「どうして、魔の長だと分かったのですか?」


「昔から、魔の長は黒の雲を纏い現れる、と聞いていたので」


 つまり、この村を襲った人物が黒い雲を伴って現れたから魔の長だと思ったらしい。

 なるほど、と蛍が納得している横で、デザルトはあまり納得のいっていないような顔をしていた。


「デザルトさん?」


「……なるほど。話は分かりました。それでは、どうしてこの村が襲われる事態となったのでしょうか? 、魔の長は確かに人を襲いますが、彼女が住んでいる場所からこんなに遠く離れた場所を襲ったという話は、聞いたことがありません」


 デザルトがなぜか知らないていで話をし始めたものだから、蛍は目を丸くした。あれだけ教会のシスターには自分が長命であると主張したくせに、ここでは短命だと言い出したようなものである。

 突然の発言に、だがさすがプレイピアは動揺を見せず、むしろ「そうよねぇ。ワタシも聞いた話なんだけど、」とデザルトの言葉に続いたのだった。


「魔の長は若い子ではなく老人を襲うだとか、短命種ではなく長命種から狙うとかって話だったけど、あなたたちは人間じゃない? エルフ族とか、小人族とか、ドワーフ族とか。あまり人間族が襲われたって話は聞いたことがないわ」


「……」


 村長は、プレイピアの言葉に反応するかと思ったが、何も言わない。それどころか、村長の顔がみるみるうちに歪んでいったのだ。

 ガラス玉のような目が、蛍を見た。固まる蛍の前に、デザルトが割って入る。


「いいえ。いいえ。我々は、魔の長に襲われたのです。あれは魔の長でした。間違いない。だって、彼は黒い雲を伴って現れたのですから」


「……そうですか」

 

 村長の言葉に、デザルトは頷いて、蛍とプレイピアに向かって「行きましょう」と言った。


「この村に、しばらく滞在させてください」


「えぇ、良いですよ。バドリゴの家を使ってください。彼にはこちらから話をしておきます」


「ありがとうございます。よろしくお願いします」


「小さいですが、店もありますので、そこもお使いください。賢者様がいらっしゃったと知れば、みんな快く助けてくれますよ」


「ありがとうございます!」


「ありがとうございます」


 賢者ではないのだけど、と思いつつ、蛍は頭を下げて村長の申し出を受け入れた。デザルトは舌打ちしそうなほどの形相ではあったものの、村長に視線だけで礼を言い、蛍の背中を押して墓場から離れた。

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JK賢者候補が転移した世界は言葉がまったく通じません!〜翻訳機もあるけど言葉が通じない?!それでも賢者になるまで帰れません!〜 緑丸 鉄弥 @hyakuzaku

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