番外編 happy new year!
数日前から雪がどっかりと降り始めたので、その日は早々に洞へと移動した。
魔法の火は不思議だ。一つ点ければ、洞の中全体が適温になる。一歩外に出たら凍える寒さなのに、今この洞の中は雪用コートを着ていると汗をかくくらいだ。水色の毛布を膝掛けにしているくらいがちょうど良い。
蛍がその日が特別な日だと知ったのは、ピンク色のコーヒー豆をゴリゴリ挽いているデザルトの横で日記をつけていた時だった。
日記帳代わりのノートを開いて、日付を書いたところで「あ、今日大晦日じゃん」と気づいた。
それをデザルトに伝えようと顔を上げたところで、デザルトも外の雪を見て「あ、」と口を開いた。
「デザルトさん、どうしたの?」
「そういえば、明日は新年ですね」
この世界には大晦日という概念は無いようだ。歌合戦もカウントダウンコンサートもないこの世界だが、「新年」とわざわざ言った様子から、何かしらイベントがあると蛍は察した。
蛍がコクコク頷くと、デザルトはチラリとこちらを見て「どうしましょうか」と言い出した。
「どうするって、何が?」
「賢者候補様はここに来て初めての新年ですよね。なのでこちらのお祝いを見せたかったのですが……」
そう言って、外へとまた視線を戻した。
蛍もその視線を追って外を見て、納得する。
今、ここから近い村と街は、どちらも夜通し歩いて二日程度はかかる。陽が傾き始めた現在、この雪の中を歩くのは危険だ。
デザルトはどうにか蛍にこの世界の新年を見せたいようだったが、しばらくして彼は諦めたように首を横に振った。
「せめて、何かいつもと違う一日にしましょう」
「うん。ありがとう、デザルトさん」
この世界を嫌いにならないように、デザルトは蛍へあれやこれやと考えてくれる。それがとても嬉しくて、感謝しかなかった。
デザルトはテキパキとコーヒーを淹れて、蛍にもマグカップを渡してくれた。
流れるようにミルクポットも渡されて、デザルトの中ではいつまでも蛍は「ブラックコーヒーの飲めない子」扱いだった。用意してくれたのだから仕方がない、と蛍は大人しくそれを受け取り、ミルクコーヒーを作った。
濃い色の中に、ゆっくりとミルクが溶けていく。映像で見るようなグルリと円を描くことはなく、すぐに薄茶色へ変わっていった。
このミルクポットは不思議だ。
いくら注いでも空っぽにならない。鞄に無造作に入れているのに、溢れている様子もない。魔法の一種なのは分かるが、何がどう作用しているのかさっぱり分からなかった。
ミルクポットを返すと、デザルトは代わりに鞄から小さな旗を出してきて焚き火の横に置いた。赤の生地に、金色の糸で何やら独特な紋様が刺繍されていた。
「この世界では、新年は基本的に家族と過ごします。一月二日からは至るところで新年を祝う祭りが行われ、そこから三日三晩ほどどんちゃん騒ぎです。家にこういう旗を立てます。花火とドラゴンの凧があちらこちらで上がるし、豪勢な食事に、新年用の服に……あぁ、『聖なる森にある村』では酒樽がよく飛んでいますね」
感謝祭の時もそうだが、この世界の人たちは基本的にお祭り大好き人間が多いようだ。
酒樽が飛ぶ状況がよく分からないが、ともかく感謝祭の時同様ド派手に新年を祝うらしい。
デザルトもその中に混じるのだろうか、と考えてみたが、基本的に静かな場所にいるイメージが強いデザルトが、どんちゃん騒ぎに興じる姿はまったく想像がつかなかった。
「デザルトさんもお祭りに行くの?」
「僕はああいうのは好かないので毎年家にいますが、家にいてもものすごい音と振動なんです。外に出たら長老様に捕まるし、新年になってしばらくは良いことなんてありません」
本当に嫌そうな顔で言い切ったデザルトが面白くて、蛍は吹き出してしまった。一回吹き出してしまったが最後、蛍の笑いは止まらなかった。こういう時、箸が転げても可笑しい年頃というのは難しい。
「……笑いすぎです」
「ごめんごめん。あー、おもしろい」
それにしても、デザルトは想像通りの新年のようだった。あの荒屋のような家で、静かに、一人で。家族で過ごすのがデフォルトのこの世界では、だいぶ異質に見えることだろう。
その日は、新年の祭りが如何に五月蝿いのか、という話で終止した。
翌朝、蛍が目を覚ますとデザルトが飯屋と何かを話している声が外から聞こえた。
起き上がって外を見ると、やたら派手に装飾されたロバに荷物を満載に積んで雪の中を歩いてきた様子の飯屋が、デザルトに何かを渡しているところだった。蛍の存在に気づいたデザルトがこちらに戻ってきた。
彼の手にあったのは、いつもよりも分厚い紙包が二つ。それと、湯気が立つスープ缶が二つだった。取っ手のついたそのスープ缶は銀色で、だがアルミとも違う光沢があった。雑にスプーンを刺したまま、デザルトが足早に戻ってきた。
雪の中で見るデザルトは、今にも消えてなくなりそうなほど儚い雰囲気を醸し出していた。服に派手な刺繍がなければ、寝起きの頭ではこの真っ白な世界で彼を見つけることは困難だろう。
「おはようございます、賢者候補様。寒いでしょう。中に入ってください」
「おはよう、デザルトさん。それ、何?」
「ペリザと、あと温かいスープも売っていたので買ってきました。どうぞ」
受け取ったスープ缶のスープは透明で、だが鼻に届く匂いはピリッと辛そうだった。肉団子と、刻んだパプリカが入っている。この世界に来てから常々思っていたのだが、この世界の料理は全体的にピリ辛な味付けだ。たまには出汁の効いた優しい味が食べたいと思うものの、こればかりは叶わぬ夢である。
スプーンでスープを一口。胃の中からぽかぽかと温まっていくのを感じる。舌奥に感じる辛味も、匂いで感じるよりはマイルドで美味しい。
ペリザの紙包を開くと、半月パンに挟まっていたのは分厚い牛肉の塊で、いつにない豪華さで蛍の目が爛々と光り輝いた。
「牛肉だ!」
「今日は新年ですから。飯屋も、新年用に生の肉を仕入れているんですよ」
まるで普段は生肉ではないかのような口ぶりで、デザルトも蛍の横でペリザに噛みついた。
途端に、顔を顰めて口を離す。
何事かと思って見ていると、ペリザの中をほじくっている。出てきたのは、小さな陶器の人形だった。
「え? 何それ? 異物混入ってやつ? 返金してもらわなきゃ!」
あの飯屋に文句を言わなければいけない。だがもう飯屋はこの場から遠く離れてしまっていて、追いつけそうになかった。
慌てる蛍を他所に、デザルトの方は酷く冷静にその人形を魔法で洗っていた。
「これは新年の祝いの一つで、こうして料理の中に陶器の人形を入れておくんです。一年安泰に過ごせるようにという願いが込められています」
「へぇ! おもしろい!」
蛍のペリザにも入っているのだろうか。
デザルトが先に気付けたのは、蛍よりも彼の一口が大きかったからだろう。まだ半分も食べ終わっていない蛍に比べて、デザルトは三口ほどでペリザを食べ終えてしまった。スープもさっさと飲み干してしまって、デザルトは優雅にコーヒータイムに入るようだった。
急いで食べても心配されるだけなので、蛍は蛍のペースで食事を楽しむ。
ややあって、蛍も肉の中に違和感を感じて中を見ると、人形の可愛らしい頭が覗いていた。白い陶器でできたその人形は、すぐに取れた。
「あった!」
「よかったですね。おめでとうございます」
「《アクア》」
魔法で綺麗に洗ってからよく見てみると、この世界独特の刺繍が繊細な筆使いで再現された小さな女の子の人形だった。
感動に震える蛍の手に、デザルトが彼の人形を乗せてくれ、そちらは犬の人形だった。のっぺりとした質感の陶器に合わせたような、のっぺりとした表情の犬はなんとも可愛らしい。
「かわいい!」
「あげますよ、それ」
「え! いいの?」
「賢者候補様の一年が、優しく安らかなものでありますように」
「やったー! あ、でも待って」
この人形は、安泰の象徴である。蛍が二つとも持っていて良いわけがない。デザルトだって、その恩恵に与るべきなのだ。
コーヒーの準備を始めたデザルトの手を取って、無理矢理彼に女の子の人形を握らせた。
驚いてこちらを見る彼に、蛍はにっこりと笑った。
「交換しよ! デザルトさんがそっち持っててね」
「どうして?」
「いいから! お守りにしよ!」
お揃いとはいかずとも、こうして交換して持つことで互いの願いも補強されるに違いない。祈りは気からである。
嫌がりそうな気配を察して、蛍は握らせた彼の手を両手で包んで、祈りのポーズを取った。目を閉じて、先ほどのデザルトの言葉を反芻した。
「デザルトさんの一年が、優しくて安らかで健やかなものでありますように!」
この世界では、きっとこうして祈るのだろう、と勘でやってみる。チラッとデザルトを見てみると、ポカンと口を開いていたかと思うとカァッと頬を赤く染めた。
意図は伝わったらしい。
「い、いいのですか? 賢者候補様」
「いいの! 私一人で持ってても意味ないし。デザルトさんにもこういう祝福がないなんて、私嫌だもん」
可愛らしいものを持つ抵抗感なんて知ったことか。
これがお守りだと言うのであれば、みんなに平等に行き渡るべきなのだ。
「ちゃんとこれ持っててね! 約束!」
ついでに、日本式の祈りも見せてやろうと、今度はデザルトの小指を蛍の小指で絡めてゆびきりげんまんした。
「賢者候補様?」
「ゆーびきりげんまんっ、嘘ついたら針千本飲ーます! ゆびきった!」
丁寧にゆびきりげんまんの歌も歌ってから彼の手を解放すると、デザルトはきょとんと離れた小指を見つめていた。
「今のは、私の世界の約束」
「あなたの祈りなんですね」
「まぁ、そんな感じかな」
だいぶ高尚なものだと思われてそうであるが、約束を守ってくれたらそれで良い。
先ほどとは打って変わって大事そうに人形を鞄にしまう姿を見て、蛍の顔が少し綻んだ。
「美味しいね、このペリザ」
「お口に合いましたか? スープも美味しいですよ」
「うん。ありがとう」
何もない場所で迎える新年。
テレビも、スマートフォンもない。
年賀状も、SNSで「あけおめ」とやり取りすることもない。
横に、デザルトがいる。
それだけでいい。こういうものも良いものだ、と蛍はスープを口にした。
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