第六話 かっこいい
新幹線での長い旅路を経て、駅から外へ出るとまっさらな秋晴れが俺たちを出迎えた。
ぐーっと腕を伸ばし、空をも飛べそうな解放感を噛みしめる。山の頂上でもないのに外の空気がこんなにうまいと感じたのは初めてだ。周囲に佐倉の姿がないのを確認して、もう一つ伸びる。
何故こんなにも疲れたかと言えば、窮屈な座席にずっと座っていたために体が固まってしまったのもそうだが、一番は隣の席だった佐倉がちょこちょこアメに対して、探りを入れるような質問や会話を滑り込ませていたからだった。
おかげで全くといっていいほど、俺の気が休まる瞬間が無かった。佐倉は基本明るくていいヤツだけど、少々デリカシーに欠けるところが玉に瑕だと思う。
「ふふ、もう疲れちゃったの、優太?」
大きな欠伸をしていると、アメはころころと飴玉を転がすように笑った。
「昨日、あんま眠れなかったんだよ」
「やっぱり? ボクも楽しみでなかなか寝付けなかったよ」
俺の場合は楽しみと不安が半々くらいだったが、それは黙っておく。
「お、そんな調子で大丈夫? 修学旅行の夜は──」
長いぞと言いかけて、はたと気がつく。
そうか。アメは男子とは別室だったっけな……。
不自然に言い淀んでしまったため、焦る。冷静に考えれば、大したことではないのかもしれないけれど、気づいて途中で止めた以上、進むことも後へ引くもできなかった。
「──いや、何でもない。皆集まってるし、行こうか」
結局、下手くそにお茶を濁して会話を終わらせる。アメは頷いていたが、気まずさを悟られたかもしれない。
クラスごとに分かれて列を作る。バスの停留所のようなのりばの前には、レールが敷かれており、クリームと緑のレトロな路面電車が行き来していた。俺たちはそのうちのひとつに乗り込んだ。
「ボク、路面電車乗るのはじめてかも」
「だな。俺も初めて乗ったよ」
時折、会話を挟みつつ、車窓を流れていく広島市街の景色を眺める。
マンションやビルが並ぶ大通りを車と同じ目線で走っていくというのは少し不思議な感じがした。
物珍しい光景に、隣に立つアメも瞳を輝かせながらしきりに視線を移している。
何気なく、車内を見渡す。
佐倉は仲のいい女子たちと楽しげに喋っており、こちらの方にまで黄色い声が届いてくる。さらに視線を滑らすと、彼女らと背中を合わせるようにして、春木さんと栗秋さんが反対側の吊革につかまっていた。
不意に、振り返った春木さんと目が合う。
予想通り、何見てんのよ、と敵意がこめられた目で鋭く睨みつけられた。男子嫌いを公言している彼女に関わったところで碌なことにならない。皆が言う「鉄の女」というよりはむしろ、「敵の女」と呼ぶ方が彼女を表すにはふさわしいような気がした。
俺が目を逸らそうとすると、春木さんの目線を追ったらしい栗秋さんが俺に気づいて、ひらひらと笑顔で手を振る。俺はそれに軽く手を上げて答えてから、再び窓の外へと向き直った。
原爆ドーム前駅で下車し、平和記念公園に到着すると、クラスごとにガイドの案内がついた。
カシマという名前らしいガイドは、老齢の人柄のよさそうな男性でよく日に焼けていた。カシマさんに従ってB組の集団はもっさりと動き出す。俺はアメとともに後ろの方についていった。
移動していると公園の木々の間から原爆ドームが姿を見せた。セピア色の外壁に特徴的な骨組みのドームがてっぺんに被さった、教科書で見た通りの建物がそこにはあって、おお、と何人かが感嘆の息を漏らしていた。
集団は立ち止まり、カシマさんが話を始める。
原爆の種類や爆心地との位置関係について語られているようだったが、後ろの方までははっきりと届かない。そのうち、同じように後ろにいた何人かが飽き始めたようで小声で喋り出す。
「おじいちゃんの声聞こえないよね」
「てかさ、ぶっちゃけつまんなくない? うち原爆とかあんま興味ないし」
小さな波紋がやがて大きな波となるようにざわめきは広がり、ガイドさんの話よりも笑い声の方が目立つまでになった時、剣尖が閃くように鋭い声が割って入った。
「あなたたち、静かにしてくれないかしら。カシマさんのお話が聞こえないのだけれど」
集団の中ほどから振り返った春木さんが言い放つ。彼女の注意によって後ろの方に満ちていたざわめきは、しんと静まり返った。
「春木ー、ありがとう。ほら、ちゃんと聞くんだぞお前らー」
前の方にいた藤ヶ谷先生に言われて、皆口々に「はーい」と返事をする。春木さんも鋭い眼光を散らしながら、前へと向き直った。
「かっこいいね、春木さん」
隣で同じように一部始終を目撃していたアメが小鳥のさえずりのように、こそっと伝えてくる。俺はそれに短く頷いた。
かっこいい、か。
確かに物怖じせず、単身、クラスメイトに注意できる様はかっこいいのだと思う。けれど、それ以上に危うい性格だとも俺は思ってしまうのだ。
自分に罪があったとしても、それを咎められれば、咎めた相手を恨んでしまう。ましてや同じ立場にいる人間に諫められたとあらば、罪をも歪め、自己正当化に走る。
人間なんて、中学生高校生なんて、そんなものだ。結局、傷つくのはいつも無垢で正しい者で、傷つけた方は何食わぬ顔で笑っている。世界なんてそんなものだ。
その証拠に、春木さんに注意を受けた連中が今度は悪口めいたことをこそこそと囁き合っている。
春木さんは気づいているんだろうか。気づいていて、何度も嫌な思いをしてなお、正しく強くあろうとしているのだろうか。
自分が痛いぶんにはまだいい。けれど、俺は誰かが──、アメが傷つく姿などもう見たくないのだ。
ここには中学の時みたく面白半分に揶揄う奴らはいないけれど、人間の本質はいつだって変わらない。一般の大多数と異なった、異質の存在に対して壁を作るのだ。その壁が目に見えて明らかかそうでないか。せいぜいそれくらいの違いだ。
ならば、その壁を逆に利用してやろうじゃないか。
明確な境界線を引いてそれを越えないようにすれば、誰も傷つかないし、軋轢も生まれない。仮に衝突したとしても、川の流れに乗るみたいにふらふらと浮いていれば、痛くない。
とても冴えたやり方のはずだ。はずなのだ。
でも。
そうやって逃げ続ける俺にアメは何を思うだろうか。
真剣な眼差しでガイドさんの語りに耳を傾けるアメの横顔を盗み見る。
日に照らされた肌は今にも透き通りそうなほど淡く、唇は儚げだ。しかし瞳だけは煌々と輝いて、世界を映している。俺の好きな瞳だ。
ふうっ、と息を吐き出して俺も前を向く。
いずれにせよ、こんなふうにアメの顔色ばかり窺っているうちは、たぶんかっこよくはなれないのだと思う。
快晴のアメフラシ 三ツ石 @mitsuishirei
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